トガtoga)とは古代ローマで下着であるトゥニカの上に着用された一枚布の上着の名称である。トゥニカが英語由来の「チュニック」で表記されることがあるように、本来ラテン語では長音の付かないトガも英語などの現代西洋諸語の読み方にならって「トーガ」と長音を付して表記されることがある。古代ギリシアヒマティオンに似るがはるかに巨大(ヒマティオンと比べて丈は2倍、幅にいたっては3倍近い)で、ヒマティオンが両性が着用できるものであるのに対してトガはその発展に伴い男性服となっている。

トガ

その前身は古代ギリシアのヒマティオン模倣説や同じくイタリア半島の古代国家エトルリアの長方形や半円形の布を使った同型の衣装からの発展説の2つが主流だが、トガの最大の特徴は社会制度に深く結びついていたため身分標識としての発展が目覚しいことである。

ローマ初期共和国時代(紀元前6世紀から4世紀)には短いタイプのヒマティオン同様ごく小ぶりなトガが主流であったがローマが国力を増すのにしたがって徐々に大型化、共和政末期(紀元前3世紀から1世紀)には服制が定められて正式な公服となりトガの階層分化が進んだ。ローマの最盛期である帝政前期にはトガも細かな形式の差異が出来、絢爛豪華なものとなったが庶民層では長大化したトガの煩わしさが嫌われ徐々に衰退した。帝政末期には急激に衰退し上流階級の間にわずかに着られるのみになり、後のビザンチン時代には痕跡として布紐状のロールム(lorum)と呼ばれる装飾品として残るのみとなった。

形状 編集

形状については異説が多く、長方形のものという説から楕円形のものという説までさまざまである。

大理石像などから構造を類推して、八角形の布を半分に切ったような形だったのではないかという説が最有力と考えられている。ただし、これはあくまで共和政末期の正装における形状についての仮説であり、普段着やそれ以前のものがこのような形状であったかは不明。

正装として着つける際には、各部の襞に名称があり襞取りに非常に気を使っていたことが分かる。襞は前日のうちに奴隷が火熨斗のようなもの(古代のアイロン)で襞づけしていた。着つけについては、貴族の家には必ず、着つけの訓練を受けた専門の奴隷が抱えられていた。

 
ネルウァ皇帝のトーガを着ている像
  • 肩から胸にかけての襞はウンボーと呼ばれ、もっとも重要な襞として扱われている。
  • 肩にかかる部分の襞はプレキンタと呼ばれる。
  • 足元の部分の襞はラキヒアと呼ばれる。
  • 背から腰にかけての襞はシヌスと呼ばれる。

最盛期のトガ色々 編集

多種多様なトガが存在し、ここに挙げるのはごく一部である。

  • トガ・プッラ:庶民のトガ。装飾はなく色も羊毛そのままの淡いベージュ。
  • トガ・プラ:喪服用のトガ。装飾はなく色は黒か黒褐色。
  • トガ・トラベア:下級神官・占術師・騎士のトガ。やや小型で色は紫無地か紫と緋色。
  • トガ・プラエテクスタ:貴族・執政官・神官のトガ。白地に赤紫の縁飾り(クラビ)でクラビが胸の前で十字に交差するよう着付ける。貴族家庭の14~16歳の成人間近の少年も着用。
  • トガ・ピクタ:皇帝のトガ。将軍の凱旋パレードにも着用された赤紫の地に金のクラビ。
  • トガ・カンディダ:純白に漂白されたトガ。政務官選挙に立候補している候補者が着用した。

このほかに、娼婦や姦通罪を犯した女性など不身持の女性に着用が強制された女性用のトガも記録されている。

参考文献 編集

  • 丹野郁 編『西洋服飾史 増訂版』東京堂出版 ISBN 4-49020367-5
  • 千村典生『ファッションの歴史』鎌倉書房 ISBN 4-308-00547-7
  • 菅原珠子『絵画・文芸に見るヨーロッパ服飾史』朝倉書店ISBN 4-254-62008-X
  • 深井晃子監修『カラー版世界服飾史』美術出版社ISBN 4-568-40042-2