トッテナム・ホットスパーFC

イングランドのサッカークラブ

トッテナム・ホットスパーFC(Tottenham Hotspur Football Club、イギリス英語発音: [ˌtɒtnəm-ˈhɒtspəː-])は、イングランドの首都ロンドン北部をホームタウンとする、プレミアリーグに加盟するプロサッカークラブである。「トットナム・ホットスパー」と表記されることもある。愛称はスパーズ(Spurs)。

トッテナム・ホットスパーFC
原語表記 Tottenham Hotspur Football Club
愛称 Spurs
Lilywhites
クラブカラー    
    紺色
創設年 1882年
所属リーグ プレミアリーグ
所属ディビジョン 1部(2023-24
ホームタウン ロンドン
ホームスタジアム
トッテナム・ホットスパースタジアム
収容人数 62,850
運営法人 イギリスの旗 ENICインターナショナルLtd.英語版
代表者 イングランドの旗 ダニエル・リーヴィー英語版
監督 オーストラリアの旗 アンジェ・ポステコグルー
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

概要 編集

クラブのモットーラテン語で「Audere est Facere(英語訳「To Dare Is to Do」)。クラブ名の「ホットスパー」は、トッテナム湿地英語版英国貴族パーシー家が所有していたことから、同家の祖先である中世イングランドの騎士ヘンリー・パーシーのあだ名「ホットスパー[1]」から取ったものである[2]

1901年に初めてFAカップを制した。これはフットボールリーグの設立以降にノン・リーグ・クラブがFAカップを制した唯一の事例である。1960-61シーズンにリーグカップとFAカップを制し、これらの大会の2冠(ダブル)を達成した20世紀初のクラブとなった。1962年にFAカップを連覇し、1963年にヨーロピアンカップウィナーズカップを制し、欧州のクラブ大会を制したイギリス初のクラブとなった[3]。1970年代にリーグカップを2度制し、1972年にUEFAカップ(現UEFAヨーロッパリーグ)の初代王者となった。異なる2つの主要な欧州タイトルを獲得したイギリスのクラブはトッテナムが初めてである。1978年よりイングランドのトップリーグであるプレミアリーグに所属し続ける。フットボールリーグ時代に2回の優勝記録を持つが、2007-08シーズンのEFLカップを最後にタイトルを獲得していない。

地元のアーセナルとは長年ライバル関係にあり、両者の対戦はノース・ロンドン・ダービーと呼ばれる。

チームカラーの白と紺は、1888-89シーズンにリーグ戦とカップ戦の2冠を達成したプレストン・ノースエンドのキットカラーである。1898年以降は白のシャツと紺のパンツが基本スタイルとなり、現在まで続いている[4]

世界最大の会計事務所である『デロイト』が公表したデロイト・フットボール・マネー・リーグによると、2020-21シーズンのトッテナムのクラブ収入は4億620万ユーロでヨーロッパ第10位に位置しており、3億6650万ユーロでヨーロッパ第11位に位置するライバルのアーセナルを上回っている。

エンブレムには雄鶏が描かれている。これは、紋章学で「戦いの準備・覚悟ができている」という意味がある。

歴史 編集

創設 編集

1882年9月5日火曜日、オール・ハロウズ・チャーチ英語版と呼ばれるロンドントッテナム地区にある教会の聖書研究会に所属するグラマースクールの学生によって創設された。結成当初の名前はホットスパーFCであり、彼らはホットスパークリケットクラブのメンバーでもあった。「ホットスパー」という名称は14世紀にこの地域に住んでおり、その子孫が近隣に土地を所有していたヘンリー・ホットスパー・パーシーと関連していると言われている。1884年、既に定着していた「ホットスパーFC」との混同を避けるため、トッテナム・ホットスパーFCと改称した[5]。1950-51シーズンにリーグ初制覇。1960-61シーズンにリーグとFAカップの2冠を獲得、1962-63シーズンには初の欧州タイトルとなるUEFAカップウィナーズカップを獲得した。

1975年にグレン・ホドルが加入、1978-79シーズンにオズワルド・アルディレスリカルド・ビジャが加入し、1980-81、1981-82シーズンのFAカップを連覇、1983-84シーズンにはUEFAカップを制した。

1990-91シーズン、リネカー、ガスコインを擁して7シーズン振りのタイトルとなったFAカップ優勝を果たした。

欧州の舞台へ 編集

2001年よりジョー・ルイスが率いるイギリスの投資会社ENICグループ(かつてスラヴィア・プラハグラスゴー・レンジャーズを保有していた)がクラブの所有権を握り、ダニエル・リーヴィが会長に就任した。2005年にダミアン・コモリをスポーツディレクターとして招聘し、この時期にディミタール・ベルバトフガレス・ベイル、後にバロンドールにも選ばれるルカ・モドリッチらを獲得した。

2005-06シーズンはチャンピオンズリーグ出場まであと一歩のところで足踏みし5位。しかし当時の監督マルティン・ヨルファンデ・ラモスに補強に関する権限を与えなかったことからトラブルが起こり、その後チームは一時低迷する。

2008年10月にハリー・レドナップが監督に就任。同時にSD職を廃しチーム編成は監督と会長のリーヴィが主導するスタイルに改められた。2009-10シーズンは、ウィガン戦でプレミアリーグ史上2番目の得点差となる9-1で圧勝するなど、プレミアリーグ発足後のクラブ史上最高位となる4位となり、クラブ史上初めてUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得した[6]。これによって、2005-06シーズンから2008-09シーズンまで続いたいわゆるビッグ4(アーセナルチェルシーマンチェスター・ユナイテッドリヴァプール[7][8]によるチャンピオンズリーグの出場権独占を終わらせた。

 
旧本拠地ホワイト・ハート・レーン
 
会長のダニエル・リーヴィ。ケンブリッジ大学を首席で卒業している。

2010年代 編集

2010-11シーズン 編集

2010年にENICが前オーナーのアラン・シュガーイージーグループの総帥ステリオス・ハジ=イオアヌが持つ株式を買収し、クラブ株式の85%を持つに至る。2010-11シーズンの夏の移籍市場ではレアル・マドリードからラファエル・ファン・デル・ファールトを獲得するなどをして注目を浴びた。初のチャンピオンズリーグでは、イタリアの強豪インテルを抑えてグループリーグを1位通過するとベスト16では同じくイタリアの強豪ACミランを破ってベスト8に進出して健闘した。一方、プレミアリーグではフォワード陣の得点不足やキーパーの凡ミスなどが問題となって5位となり、2年連続のチャンピオンズリーグ出場はならずUEFAヨーロッパリーグに出場することになった。

2011-12シーズン 編集

2011-12シーズンは得点不足を解消するためにマンチェスター・シティからエマニュエル・アデバヨールをレンタルで、加えてブラッド・フリーデルスコット・パーカーなども獲得し、前シーズンの不安要素を中心とした補強がされた。また冬の移籍市場では元マンチェスター・ユナイテッドルイ・サハなども獲得した。ヨーロッパリーグではターンオーバーに徹して主力を温存したこともあり、PAOKテッサロニキFCルビン・カザンに次ぐ3位でグループステージ敗退。プレミアリーグでは4位となり、チャンピオンズリーグ出場権を獲得したが、プレミアリーグを6位で終えたチェルシーがUEFAチャンピオンズリーグで優勝し前年優勝クラブ枠を手にしたため、トッテナムはUEFAヨーロッパリーグへ回ることとなった。2012年1月には、収容人数が4万人に満たないホワイト・ハート・レーンに代わる新たなスタジアムの建設に向け、クラブの非上場化の手続きを完了した。

2012-13シーズン 編集

2012年6月14日、レドナップの退任が発表された。7月3日に新監督としてアンドレ・ビラス・ボアス就任を発表した。それに続いてギルフィ・シグルズソンヤン・フェルトンゲンを獲得した。さらにはエマニュエル・アデバヨールを買い取り、フラムFCからムサ・デンベレクリント・デンプシーを獲得し、フリーデルの後継者としてウーゴ・ロリスも獲得した。一方でモドリッチを移籍金3330万ポンドでレアル・マドリードに売却し、同時にレアル・マドリードと業務提携を結んでいる[9]。さらに冬の移籍市場では、シャルケ04からドイツ代表ルイス・ホルトビーを獲得した。

2013-14シーズン 編集

2013年夏、チームの顔であるガレス・ベイル移籍の噂が大きく報道される中、移籍市場では積極的に動き、チームを強化するためこれまで主力選手だった、クリント・デンプシー、トム・ハドルストーンジェイク・リヴァーモア、前主将のウィリアム・ギャラス、さらには副主将のスコット・パーカーまでもを放出し、巨額の資金を投じてブラジル代表パウリーニョや当時のクラブ史上最高額の移籍金となる約3000万ユーロで、スペイン代表ロベルト・ソルダード、ベルギー代表ナセル・シャドリ、フランス代表エティエンヌ・カプエを獲得するなど大型補強を敢行した。2013-14シーズン開幕戦クリスタル・パレス戦、第2節のスウォンジー戦共に、新加入のソルダードのPKでどちらも1-0で勝利し、幸先の良いスタートを切った。さらに補強の手を緩めずエリク・ラメラクリスティアン・エリクセンヴラド・キリケシュといった各国の代表クラスの選手を獲得し、この移籍市場での投資額は、レアル・マドリードパリ・サンジェルマンに次ぐと見られる約160億円に上った。特にエリクセンの獲得はチームの攻撃に大きなオプションを与えた。そして9月1日にベイルを史上最高額の8500万ポンドでレアル・マドリードに売却することを発表[10]、背番号11番はエリク・ラメラが受け継いだ[11]

2013-14シーズンは前述の大型補強にも拘らず11月24日のマンチェスター・シティ戦で0-6の大敗、12月15日のリヴァプール戦で0-5の大敗を喫するなど調子が上がらず、12月16日にビラス・ボアスは解任された。後任として、ティム・シャーウッドがアシスタントコーチから暫定監督を経て正式に監督に就任、ビラスボアス時代に冷遇されていたエマニュエル・アデバヨールを起用して、彼が再びエースの地位を取り戻すチャンスを与えた。輝きを取り戻したアデバヨールに加え、エリクセン、レノンのコンディションも順調に整い、元日のマンチェスター・ユナイテッドFC戦で勝利するなどして短期間で一気に順位を上げる事に成功したが、その後も優勝争いには絡むことなく6位に終わりCL出場権を逃した。

2014-15シーズン 編集

2013-14シーズン終了後にシャーウッドは解任され、新監督にサウサンプトンFCで好成績を残したマウリシオ・ポチェッティーノを招聘した。2014年6月9日にはベテランGKブラッド・フリーデルが1年間の契約延長発表と同時にクラブのアンバサダーに就任した。

2014-15シーズンは、ベンジャミン・スタンブリフェデリコ・ファシオミシェル・フォルムベン・デイヴィスエリック・ダイアーデアンドレ・イェドリンなど守備に重きを置いた補強を展開した。ベルギー代表ナセル・シャドリが開幕から5試合で4得点を決めるなど、前シーズンに「失敗」の格印を押された選手達が活躍を始めた[12]

2015-16シーズン 編集

夏の移籍市場ではパウリーニョエティエンヌ・カプエユネス・カブールルイス・ホルトビーアーロン・レノンロベルト・ソルダードらが移籍した一方、ケヴィン・ヴィマーキーラン・トリッピアートビー・アルデルヴェイレルトクリントン・エンジソン・フンミンを獲得した。

プレミアリーグではレスター・シティと優勝争いを演じ、終盤に失速したものの3位でフィニッシュした。これによりUEFAチャンピオンズリーグの出場権を得た。トビー・アルデルヴェイレルトダニー・ローズハリー・ケインデレ・アリPFA年間ベストイレブンに選出された。ケインはリーグ得点王と、アリはPFA年間最優秀若手選手賞とのダブル受賞であった。

2016-17シーズン 編集

夏の移籍市場ではケニア代表MFビクター・ワニアマフランス代表MFムサ・シソコオランダ代表FWフィンチェント・ヤンセン、フランスU-21代表FWジョルジュ=ケヴィン・エンクドゥを獲得。

昨シーズン活躍したハリー・ケインデレ・アリなどに加え、ソン・フンミンや新加入のビクター・ワニアマなどが活躍した。しかし、チェルシーとの優勝争いに敗れチームは2位でシーズンを終えた。ライバルであるアーセナルよりも高順位で終えたのは22年ぶりのことである。表彰では、ゴールデンブートにハリー・ケインPFA年間最優秀若手選手賞デレ・アリPFA年間ベストイレブンカイル・ウォーカーダニー・ローズデレ・アリハリー・ケインが選出された。

1899年から本拠地であったホワイト・ハート・レーン最後のシーズンであった。最終戦はマンチェスター・ユナイテッドとの試合でビクター・ワニアマハリー・ケインのゴールで2-1で勝利し、最終戦に華を添えた。終了後には最後の勝利を祝うサポーターがピッチになだれ込み空には虹が現れた。なお、リーグ戦におけるホーム戦では無敗を記録した。

UEFAチャンピオンズリーグ 2016-17ではグループリーグでASモナコバイエル・レバークーゼンCSKAモスクワと同組になり、決勝トーナメント進出は確実かと思われていたが、2勝1分3敗のグループ3位で敗退した。ヨーロッパリーグに回ったが、ラウンド32でKAAヘントに敗れた。

2017-18シーズン 編集

当シーズンはウェンブリー・スタジアムを本拠地として使用した[13]

カイル・ウォーカーマンチェスター・シティへ、ケヴィン・ヴィマーストーク・シティFCへ完全移籍、レンタル移籍中のファシオローマベンタレブシャルケへ完全移籍した。一方でアヤックスからコロンビア代表DFダビンソン・サンチェスサウサンプトンからGKパウロ・ガッサニーガパリ・サンジェルマンからコートジボワール代表DFセルジュ・オーリエエストゥディアンテスからU-20アルゼンチン代表フアン・フォイススウォンジーから元スペイン代表FWフェルナンド・ジョレンテを獲得した。1月の移籍市場ではパリ・サンジェルマンからブラジル代表MFルーカス・モウラを獲得。

UEFAチャンピオンズリーグ 2017-18ではグループリーグで前回王者のレアル・マドリードに勝利するなどして首位通過を果たした。ラウンド16では前回準優勝のユベントスFCと対戦。敵地での1stレグでは序盤に2点を失うもハリー・ケインクリスティアン・エリクセンのゴールで追いついて2-2で終了。貴重なアウェイゴールを2つ奪い、優位な状況で迎えた本拠地での2ndレグでも前半にソン・フンミンのゴールで先制したが、後半にゴンサロ・イグアインパウロ・ディバラに連続でゴールを許し1-2で逆転負け、2戦合計3-4で敗退した。

2018-19シーズン 編集

このシーズンからトッテナム・ホットスパースタジアムを本拠地として使用する予定だったが工事が間に合わず、シーズン前半戦はウェンブリーで試合が行われた。新スタジアム建設費がかさんだことにより夏の移籍市場では補強を一切行わなかった。シーズン前に補強を行わなかったのは全チームを通じてプレミアリーグ史上初であった。冬の移籍市場でも補強は行われなかった。

シーズン中は、ハリー・ケインデレ・アリエリク・ラメラらが怪我に悩まされ、冬には主力のムサ・デンベレが移籍したが、プレミアリーグでは4位でフィニッシュして来季のUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得した。

またこの年のUEFAチャンピオンズリーグではクラブ史上初の決勝進出を果たした。FCバルセロナインテル・ミラノと同組だったグループステージは2位での突破だったが、決勝トーナメントのラウンド16ではボルシア・ドルトムント相手に4-0で完勝。準々決勝ではエースのケインを怪我で欠きながらもソン・フンミンフェルナンド・ジョレンテらの活躍により2戦合計4-4の撃ち合いの末にマンチェスター・シティを下した。なお、2ndレグでは開始21分で両チーム合計5得点が飛び交い、最速での5得点として大会記録を更新した。準決勝ではこの大会でレアル・マドリードユヴェントスを破る快進撃を続けていたアヤックス・アムステルダムと対戦。ホームでの1stレグをドニー・ファン・デ・ベークのゴールにより0-1で落とすと、2ndレグでもマタイス・デ・リフトハキム・ツィエクに得点を許し、前半終了時点で合計スコア0-3と絶望的な状況に追い込まれたが、ルーカス・モウラが55分にカウンターからゴールを沈め、その4分後にはゴール前の混戦から叩き込み、さらに95分にはハットトリックとなる3点目を決めて3-2で逆転勝利した。この結果2戦合計3-3で並び、アウェイゴールの差でクラブ史上初の決勝進出を果たした。決勝はリヴァプールFCに0-2で敗れた。

2019年4月には新本拠地トッテナム・ホットスパースタジアムが完成した。新スタジアムの初戦となったクリスタル・パレスFC戦ではソンがファーストゴールを記録し勝利した。

2019-20シーズン 編集

トッテナム史上最高額の移籍金でリヨンからタンギ・エンドンベレべティスからレンタルでジオヴァニ・ロ・チェルソなどを獲得し、またレアル・マドリードへの移籍が取り沙汰されていたエリクセンも残留した。

前年以上の成績が期待されたが、リーグ戦では12節終了時点で3勝5分4敗の14位に沈み、チャンピオンズリーグではバイエルンにホームで2-7で敗れるなど絶不調に陥った。11月19日、マウリシオ・ポチェッティーノ監督が解任され[14]、後任にジョゼ・モウリーニョが就任した[15]。モウリーニョ監督の初戦となったアウェイのウェストハム戦では3-2で勝利した。モウリーニョ政権初のCLかつホームゲームとなるオリンピアコス戦では、2点を先制されるも的確な交代策により4-2で逆転勝利し、この勝利によって決勝トーナメント進出を決めた。

冬の移籍市場では、SLベンフィカからジェドソン・フェルナンデス、PSVからステーフェン・ベルフワインを獲得し、レンタル加入していたロ・チェルソを完全移籍で獲得した。一方で、エリクセンはインテル・ミラノに完全移籍、ダニー・ローズがニューカッスル・ユナイテッドに、カイル・ウォーカー・ピータースがサウサンプトンにレンタル移籍した。

20年1月1日、第21節サウサンプトン戦にて、エースのケインが左足ハムストリング断裂の重傷を負い、試合にも0-1で敗れた。チャンピオンズリーグのラウンド16でドイツ・ブンデスリーガのRBライプツィヒと対戦し、好調の相手にホームでの1stレグを落とした。2ndレグまでの期間に、FAカップでは5回戦でノリッジ・シティと対戦し、勝ちきれずPK戦に持ち込まれ、PKストッパーとして知られる相手GKティム・クルルの活躍により敗れた。また、3試合行われたリーグ戦でも一度も勝てず、タイトルに最後の望みを繋いだライプツィヒ戦2ndレグは0-3で完敗し無冠が決定した。6試合連続勝利なしの苦境の中、新型コロナウイルス感染拡大によりリーグ戦が中断。3ヶ月の中断期間にケインを含む多くの負傷者が復帰し、再開初戦のマンチェスター・ユナイテッド戦は引き分けたが、次戦のウェストハム戦では実に10試合ぶりのクリーンシートを達成し2-0で勝利した。次節シェフィールドU戦には敗れたものの、最終的に再開後9試合を5勝3分1敗で乗り切り、最終節でウォルバーハンプトンをまくって6位に滑り込み来季のヨーロッパリーグ出場権を確定させた。シーズン終了後、ヤン・フェルトンゲンとミシェル・フォルムの退団が発表された。

2020-21シーズン 編集

サウサンプトンの主将を務めていたピエール・エミール・ホイビュアや、バーンリーからジョー・ハートウルブズからマット・ドハーティを獲得した。また、レアル・マドリードから買い戻しオプション付きの完全移籍でセルヒオ・レギロンを、1年間のレンタルでガレス・ベイルを獲得し、ベイルは7年ぶりに古巣へと復帰することとなった[16][17]。更に昨シーズンにベンフィカで公式戦24得点をマークしたカルロス・ヴィニシウスをレンタル移籍で獲得、[18]国内移籍市場の終了直前にはチャンピオンシップスウォンジー・シティからジョー・ロドンを獲得し、近年にないレベルの大型補強を敢行した夏となった。

9月13日のリーグ開幕節エヴァートン戦に敗れ2015-16シーズン以来の黒星スタートを切ったが、その後は10月の国際Aマッチウィークまでヨーロッパリーグ予選やEFLカップなど1週間に4試合ペースの超過密日程(計8試合)を無敗で乗り切るなど持ち直した。なお、8戦目のプレミアリーグ第4節オールド・トラッフォードでのマンチェスター・ユナイテッド戦では6-1での歴史的勝利を収めている。11月8日、リーグ第8節ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンFC戦に勝利し暫定ながらも首位に立ち、さらに同月中はマンチェスター・シティを破るなどして首位を走り続けたが、12月には初の連敗を喫するなど失速しその座を明け渡した。2021年1月10日、FA杯3次ラウンドにて8部に所属するマリンFCを破ったが、この対戦は同大会史上最も格差のあるカードとして記録を更新した。2月10日、FA杯5回戦にてエヴァートンと撃ち合い、延長戦の末に4-5で敗退した。3月11日、ELラウンド16のディナモ・ザグレブ戦1stレグでは2-0で勝利するが、3月18日、2ndレグでは0-3で敗戦し、逆転敗退となった。カラバオカップではブレントフォードなどを破り決勝に進出したものの、リーグ戦後半でのBIG6との直接対決では5戦全敗を喫するなど前半戦の勢いを取り戻すことはできず、32節を終えて7位に沈み、4月19日、クラブの欧州スーパーリーグ参加発表の直後にモウリーニョ監督は解任された。後任は暫定でユースチームの前監督であるライアン・メイソンが務める。4月21日、スーパーリーグ構想からの脱退を発表し、同日のメイソン監督初戦となるサウサンプトン戦は2-1で勝利した。4月25日のカラバオカップ決勝ではマンチェスター・シティに0-1で敗れ、準優勝となった。5月23日、リーグ最終節レスター戦ではガレス・ベイルの2ゴールなどで勝利し、7位で来季のヨーロッパ・カンファレンスリーグ出場権を獲得した。シーズン終了後、パウロ・ガッサニーガとダニー・ローズの退団が発表された。

2021-22シーズン 編集

昨シーズンまでユヴェントスFCで幹部を務めていたファビオ・パラティチが幹部に就任し、メイソン暫定監督の後任となる監督の招致を主導したが交渉は難航した。以前も監督を務めたポチェッティーノ、昨シーズンにインテルを11年ぶりのリーグ優勝に導いたアントニオ・コンテ、前ローマ監督のパウロ・フォンセカ、前ナポリ監督のジェンナーロ・ガットゥーゾなどと交渉したがいずれも決裂した[19]。ガットゥーゾに至っては交渉の動きにサポーターがSNS上で反発し、交渉を取りやめる事態になった[20]

その他にも多くの候補者の名前が浮上したが最終的に、昨シーズンでウルブズを退任したヌーノ・エスピーリト・サントが監督に就任した[21]

監督が決まると補強の動きを強め、アタランタBCから買い取りオプション付きレンタル移籍でピエルルイジ・ゴッリーニ[22]、同じくクリスティアン・ロメロをアタランタBCがユヴェントスFCから買い取りオプションを行使した同日に獲得し[23]セビージャFCからブライアン・ヒルエリク・ラメラの譲渡+金銭で獲得した[24]。一方で長年守備に貢献したトビー・アルデルヴェイレルトアル・ドゥハイルSC[25]、前述の通りエリク・ラメラをセビージャFCへ、ジョー・ハートセルティックFC[26]へ放出した。また、マンチェスター・シティへの移籍を希望していたハリー・ケインも残留した。

シーズンの開幕戦では昨シーズン王者のマンチェスター・シティFCソン・フンミンが1ゴールを挙げ勝利した[27]。さらに3節まで1-0での3連勝を飾り首位に立ったが、4節クリスタル・パレス戦に0-3で敗れると、5,6節も多失点での敗戦を重ね失速。その後も同格以上のクラブにことごとく敗れて順位を落としていき、10月末のマンチェスター・ユナイテッド戦に0-3で敗れた直後にヌーノ監督は解任され、後任に昨季インテルをスクデットに導いたアントニオ・コンテが就任した。

就任初戦となるECLグループステージのフィテッセ戦では、OGが決勝点となり3-2で勝利した。またリーグでは初めの5試合の走行距離がヌーノ時代のリーグ最下位からトップに躍り出るなど変貌を遂げ、3勝2分と復調。12月19日のリーグ18節ではリヴァプールと引き分けたが、同クラブから勝点を奪ったのは2018年2月以来の出来事であった。2022年1月17日に発表されたFIFAプスカシュ賞では昨シーズンまで所属したエリク・ラメラが昨年のソン・フンミンに続いて受賞し、プスカシュ賞を連覇した史上初のクラブとなった[28]。1月19日、リーグ17節レスター・シティ戦では、試合終了直前まで1-2とリードされていたものの、ベルフワインが僅か1分強の間に2得点し逆転勝利を収めた。94分52秒からの逆転勝利は、11-12シーズン最終節のマンチェスター・シティ(91分14秒)を抜いてリーグ記録である(23-24シーズン第5節に同クラブがシェフィールド・ユナイテッド戦で97分33秒からの逆転勝利を演じ記録を更新した)。5月12日に延期分となった第22節でCL出場権の4位を争うアーセナルとのノース・ロンドン・ダービーにて3-0と快勝し、CL出場権獲得へ大きな歩みとなった。最終節ではノリッジに5-0で勝利し、ソン・フンミンは2得点をあげ、アジア人初のプレミアリーグ得点王を獲得。リーグ戦を4位でフィニッシュし、来季のCL[29]出場権を獲得した。

2022-23シーズン 編集

夏の移籍市場では積極的な補強を敢行し、エヴァ―トンかリシャルリソン・デ・アンドラーデを、ブライトンからイヴ・ビスマを完全移籍で獲得。さらにインテルからイヴァン・ペリシッチがフリー移籍で、バルセロナからクレマン・ラングレがレンタル移籍で加入した。

開幕戦のサウサンプトン戦で4-1と快勝してスタートを切ると、そこからリーグ戦ではカタールワールドカップによる中断までCL圏の4位を維持し、CLでもグループリーグを首位で突破する戦いぶりを見せた。しかしワールドカップの中断が明けると怪我人などの事態に対応できず失速。冬の移籍ではスポルティングCPペドロ・ポロビジャレアルアルノー・ダンジュマをレンタル移籍で獲得したが状況は好転せず、マンチェスター・ユナイテッドニューカッスル・ユナイテッドに順位を先行される厳しい戦いが続いた。

3月にはFAカップシェフィールド・ユナイテッドに、CLではACミランに立て続けに敗れてカップ戦から姿を消すと、18日のサウサンプトン戦後にコンテ監督がチームへの不満を記者会見で語り解任される事態となった。暫定監督としてクリスティアン・ステッリーニが就任したが、そのステッリーニもニューカッスル・ユナイテッド戦で1-6の大敗を喫して解任されるなど最後までチームの混乱を収めることが出来なかった。最終順位は8位に終わり、2008-09シーズンぶりに欧州カップ戦への出場を逃す失意のシーズンとなった。

2023-24シーズン 編集

2023年6月6日、再び暫定監督となっていたライアン・メイソンの後任として、セルティックからアンジェ・ポステコグルーが就任した。

契約満了により、ルーカス・モウラが退団。夏の移籍市場では、レスターからジェームズ・マディソン、エンポリからグリエルモ・ヴィカーリオ、フラムからマノル・ソロモン、ヴォルフスブルクからファン・デ・フェン、ノッティンガム・フォレストからブレナン・ジョンソンなど即戦力級の選手を多数獲得。一方で、アカデミー出身でトップチーム定着以降は絶対的なエースとしてチームを牽引し、昨季にはクラブ最多得点記録を更新していたハリー・ケインがバイエルン・ミュンヘンへ完全移籍。

長年キャプテンを務めていたロリスが退団を希望したため、ソン・フンミンが新たにキャプテンに就任した。

ユニフォーム 編集

ブランド 編集

胸スポンサー 編集

  • 1882-1983: なし
  • 1983-1995: Holsten
  • 1995-1999: ヒューレット・パッカード
  • 1999-2002: Holsten
  • 2002-2006: Thomson Holidays
  • 2006-2010: Mansion.com Casino & Poker
  • 2010-2013: Autonomy(リーグ戦)、Investec Bank(ヨーロッパカップ戦)
  • 2013-2014: ヒューレット・パッカード(リーグ戦、HPがAutonomyを買収したことにより14年ぶりに復帰)、AIA Group Limited(ヨーロッパカップ戦)
  • 2014-: AIA Group Limited[30]

ダービーマッチ 編集

同じ北ロンドンに本拠を構えるクラブ同士としてアーセナルFCとは激しいライバル関係にあり、サポーター同士のいがみ合いが強く両者の間には争いごとが絶えない。それをよく象徴するのがかつて同クラブに移籍したソル・キャンベルに対してトッテナムファンがユダ(裏切り者)と悪口を言った出来事である。両チームの対戦はノース・ロンドン・ダービーと呼ばれ、マンチェスター・ダービーマージーサイド・ダービーと並び、リーグの三大ダービーマッチの一つに数えられている。同じロンドンを本拠地とするチェルシーFCウェストハム・ユナイテッドFCとの対戦もロンドン・ダービーの一つである[31]

サポーター 編集

トッテナムは主に北ロンドンとホーム・カウンティーズに多くのファンを持つ。1946年から1969年の間に5度、イングランドにおける平均観客動員数で最多となった[32][33]。2008-09プレミリーグにおける平均観客動員数は第9位であった[34]。世界中にトッテナムのサポーターズクラブが存在し、クラブの歴史的なサポーターにはアルフレッド・エイヤーなどがいる[35][36]。サポーターは主にロンドン地域内の複数のクラブとライバル関係にあり、最大のライバルは共に北ロンドンを本拠地とするアーセナルである。

他のロンドンの多くのクラブと同様に、トッテナムは多くのユダヤ人サポーターがおり、これがサポーターに対する反セム主義的な挑発につながっている[37][38]。サポーターはこれに対抗してユダヤ人も非ユダヤ人も自分達を「イーズ(Yids)」と称する。ユダヤ人への侮蔑語であるイード(Yid)は、スパーズの本拠地周辺がユダヤ人の多く住む地域であることに対し、口汚い相手ファンからの嘲りの言葉として使われ始めたが、やがてスパーズファンはそれを逆手に取って、誇らしげに自称するようになった。自称イードの大半はおそらく本当のユダヤ人ではないが、厳密な定義は必要とされず、彼らはドイツ人のユルゲン・クリンスマンがチームに所属した時も「Chimm-chimminee, chim-chimminee, chim-chim-churoo, Juergen was a German, but now he’s a Jew(ユルゲンはドイツ人だったが、今ではユダヤ人だ)」というチャントチム・チム・チェリーの節で唄った[39]

ユダヤ人団体や反人種差別団体からは「イード」の使用が人種差別を助長していると考えて、スパーズファンに自制を求める声もあるが、スパーズファンは自分たちが使用する「イード」はまったく無害なものだと考えている[40]

著名人のファンとしては元プロサッカー選手の父親を持つNBAスティーブ・ナッシュ、水泳選手のイアン・ソープコールドプレイジョニー・バックランドWWE所属のプロレスラーフィン・ベイラーQuizKnock所属の伊沢拓司等が知られている。また、俳優のジュード・ロウもスタンド観戦する姿を度々中継カメラに捉えられている。『007 スカイフォール』の主題歌でオスカーを受賞したアデルもスタジアムに足繁く通い、インタビューにも「私は偽物じゃない。本物のファンよ」と発言している[41]

タイトル 編集

国内タイトル 編集

国際タイトル 編集

過去の成績 編集

シーズン ディビジョン FAカップ リーグカップ 欧州カップ / その他 最多得点者
リーグ 順位 選手 得点数
1960-61 ディビジョン1 42 31 4 7 115 55 66 1位 優勝 ボビー・スミス 33
1961-62 ディビジョン1 42 21 10 11 88 69 52 3位 優勝 ヨーロピアンカップ 準決勝敗退 ジミー・グリーブス 30
1962-63 ディビジョン1 42 23 9 10 111 62 55 2位 3回戦敗退 カップウィナーズカップ 優勝 ジミー・グリーブス 44
1963-64 ディビジョン1 42 22 7 13 97 81 51 4位 3回戦敗退 カップウィナーズカップ 1回戦敗退 ジミー・グリーブス 36
1964-65 ディビジョン1 42 19 7 16 87 71 45 6位 5回戦敗退 ジミー・グリーブス 35
1965-66 ディビジョン1 42 16 12 14 75 66 44 8位 5回戦敗退 ジミー・グリーブス 16
1966-67 ディビジョン1 42 24 8 10 71 48 56 3位 優勝 2回戦敗退 ジミー・グリーブス 31
1967-68 ディビジョン1 42 19 9 14 70 59 47 7位 5回戦敗退 カップウィナーズカップ 2回戦敗退 ジミー・グリーブス 29
1968-69 ディビジョン1 42 14 17 11 61 51 45 6位 準々決勝敗退 準決勝敗退 ジミー・グリーブス 36
1969-70 ディビジョン1 42 17 9 16 54 55 43 11位 4回戦敗退 2回戦敗退 マーティン・チバーズ
ジミー・グリーブス
11
1970-71 ディビジョン1 42 19 14 9 54 33 52 3位 準々決勝敗退 優勝 マーティン・チバーズ 34
1971-72 ディビジョン1 42 19 13 10 63 42 51 6位 準々決勝敗退 準決勝敗退 UEFAカップ 優勝 マーティン・チバーズ 44
1972-73 ディビジョン1 42 16 13 13 58 48 45 8位 4回戦敗退 優勝 UEFAカップ 準決勝敗退 マーティン・チバーズ 33
1973-74 ディビジョン1 42 14 14 14 45 50 42 11位 3回戦敗退 2回戦敗退 UEFAカップ 準優勝 マーティン・チバーズ 23
1974-75 ディビジョン1 42 13 8 21 52 63 34 19位 3回戦敗退 2回戦敗退 ジョン・ダンカン 12
1975-76 ディビジョン1 42 14 15 13 63 63 43 9位 3回戦敗退 準決勝敗退 ジョン・ダンカン 25
1976-77 ディビジョン1 42 12 9 21 48 72 33 22位 3回戦敗退 3回戦敗退 クリス・ジョーンズ 9
1977-78 ディビジョン2 42 20 16 6 83 49 56 3位 3回戦敗退 3回戦敗退 ジョン・ダンカン 20
1978-79 ディビジョン1 42 13 15 14 48 61 41 11位 準々決勝敗退 2回戦敗退 ピーター・テイラー 12
1979-80 ディビジョン1 42 15 10 17 52 62 40 14位 準々決勝敗退 2回戦敗退 グレン・ホドル 22
1980-81 ディビジョン1 42 14 15 13 70 68 43 10位 優勝 準々決勝敗退 スティーブ・アーチボールド 25
1981-82 ディビジョン1 42 20 11 11 67 48 71 4位 優勝 準優勝 カップウィナーズカップ 準決勝敗退 ガース・クルックス 18
1982-83 ディビジョン1 42 20 9 13 65 50 69 4位 5回戦敗退 準々決勝敗退 カップウィナーズカップ 2回戦敗退 スティーブ・アーチボールド
ガース・クルックス
15
1983-84 ディビジョン1 42 17 10 15 64 65 61 8位 4回戦敗退 3回戦敗退 UEFAカップ 優勝 スティーブ・アーチボールド 28
1984-85 ディビジョン1 42 23 8 11 78 51 77 3位 4回戦敗退 4回戦敗退 UEFAカップ 準々決勝敗退 マーク・ファルコ 29
1985-86 ディビジョン1 42 19 8 15 74 52 65 10位 5回戦敗退 4回戦敗退 マーク・ファルコ 25
1986-87 ディビジョン1 42 21 8 13 68 43 71 3位 準優勝 準決勝敗退 クライヴ・アレン 49
1987-88 ディビジョン1 40 12 11 7 38 48 47 13位 4回戦敗退 3回戦敗退 クライヴ・アレン 13
1988-89 ディビジョン1 38 15 12 11 60 46 57 6位 3回戦敗退 4回戦敗退 クリス・ワドル 14
1989-90 ディビジョン1 38 19 6 13 59 47 63 3位 3回戦敗退 準々決勝敗退 ゲーリー・リネカー 26
1990-91 ディビジョン1 38 11 16 11 51 50 49 10位 優勝 準々決勝敗退 ゲーリー・リネカー
ポール・ガスコイン
19
1991-92 ディビジョン1 42 15 7 20 58 63 52 15位 3回戦敗退 準決勝敗退 カップウィナーズカップ 準々決勝敗退 ゲーリー・リネカー 35
1992-93 プレミアリーグ 42 16 11 15 60 66 59 8位 準決勝敗退 3回戦敗退 テディ・シェリンガム 28
1993-94 プレミアリーグ 42 11 12 19 54 59 45 15位 4回戦敗退 準々決勝敗退 テディ・シェリンガム 15
1994-95 プレミアリーグ 42 16 14 12 66 58 62 7位 準決勝敗退 3回戦敗退 ユルゲン・クリンスマン 29
1995-96 プレミアリーグ 38 16 13 9 50 38 61 8位 5回戦敗退 3回戦敗退 インタートトカップ GS敗退 テディ・シェリンガム 24
1996-97 プレミアリーグ 38 13 7 18 44 51 46 10位 3回戦敗退 4回戦敗退 テディ・シェリンガム 8
1997-98 プレミアリーグ 38 11 11 16 44 56 44 14位 4回戦敗退 3回戦敗退 ユルゲン・クリンスマン
ダヴィド・ジノラ
9
1998-99 プレミアリーグ 38 11 14 13 47 50 47 11位 準決勝敗退 優勝 ステファン・イヴェルセン 13
1999-00 プレミアリーグ 38 15 8 15 57 49 53 10位 3回戦敗退 4回戦敗退 UEFAカップ 2回戦敗退 ステファン・イヴェルセン 17
2000-01 プレミアリーグ 38 13 10 15 47 54 49 12位 準決勝敗退 3回戦敗退 セルゲイ・レブロフ 12
2001-02 プレミアリーグ 38 14 8 16 49 53 50 9位 準々決勝敗退 準優勝 グスタボ・ポジェ 14
2002-03 プレミアリーグ 38 14 8 16 51 62 50 10位 3回戦敗退 3回戦敗退 テディ・シェリンガム
ロビー・キーン
13
2003-04 プレミアリーグ 38 13 6 19 47 57 45 14位 4回戦敗退 準々決勝敗退 ロビー・キーン 16
2004-05 プレミアリーグ 38 14 10 14 47 41 52 9位 準々決勝敗退 準々決勝敗退 ジャーメイン・デフォー 22
2005-06 プレミアリーグ 38 18 11 9 53 38 65 5位 3回戦敗退 2回戦敗退 ロビー・キーン 16
2006-07 プレミアリーグ 38 17 9 12 57 54 60 5位 準々決勝敗退 準決勝敗退 UEFAカップ 準々決勝敗退 ディミタール・ベルバトフ 23
2007-08 プレミアリーグ 38 11 13 14 66 61 46 11位 4回戦敗退 優勝 UEFAカップ ベスト16 ディミタール・ベルバトフ
ロビー・キーン
23
2008-09 プレミアリーグ 38 14 9 15 45 45 51 8位 4回戦敗退 準優勝 UEFAカップ ベスト32 ダレン・ベント 17
2009-10 プレミアリーグ 38 21 7 10 67 41 70 4位 準決勝敗退 準々決勝敗退 ジャーメイン・デフォー 24
2010-11 プレミアリーグ 38 16 14 8 55 46 62 5位 4回戦敗退 3回戦敗退 チャンピオンズリーグ 準々決勝敗退 ラファエル・ファン・デル・ファールト 15
2011-12 プレミアリーグ 38 20 9 9 66 41 69 4位 準決勝敗退 3回戦敗退 ヨーロッパリーグ GS敗退 エマニュエル・アデバヨール 18
2012-13 プレミアリーグ 38 21 9 8 66 46 72 5位 5回戦敗退 4回戦敗退 ヨーロッパリーグ 準々決勝敗退 ガレス・ベイル 26
2013-14 プレミアリーグ 38 21 6 11 55 51 69 6位 3回戦敗退 準々決勝敗退 ヨーロッパリーグ ベスト16 エマニュエル・アデバヨール 14
2014-15 プレミアリーグ 38 19 7 12 58 53 64 5位 4回戦敗退 準優勝 ヨーロッパリーグ ベスト32 ハリー・ケイン 31
2015-16 プレミアリーグ 38 19 13 6 69 35 70 3位 5回戦敗退 3回戦敗退 ヨーロッパリーグ ベスト16 ハリー・ケイン 28
2016-17 プレミアリーグ 38 26 8 4 86 26 86 2位 準決勝敗退 4回戦敗退 チャンピオンズリーグ GS敗退 ハリー・ケイン 35
ヨーロッパリーグ ベスト32
2017-18 プレミアリーグ 38 23 8 7 74 36 77 3位 準決勝敗退 4回戦敗退 チャンピオンズリーグ ベスト16 ハリー・ケイン 41
2018-19 プレミアリーグ 38 23 2 13 67 39 71 4位 4回戦敗退 準決勝敗退 チャンピオンズリーグ 準優勝 ハリー・ケイン 24
2019-20 プレミアリーグ 38 16 11 11 61 47 59 6位 5回戦敗退 3回戦敗退 チャンピオンズリーグ ベスト16 ハリー・ケイン 24
2020-21 プレミアリーグ 38 18 8 12 68 45 62 7位 5回戦敗退 準優勝 ヨーロッパリーグ ベスト16 ハリー・ケイン 33
2021-22 プレミアリーグ 38 22 5 11 69 40 71 4位 5回戦敗退 準決勝敗退 ヨーロッパカンファレンスリーグ GS敗退 ハリー・ケイン 27
2022-23 プレミアリーグ 38 18 6 14 70 63 60 8位 5回戦敗退 3回戦敗退 チャンピオンズリーグ ベスト16 ハリー・ケイン 30

現所属メンバー 編集

プレミアリーグ2023-24シーズン 開幕フォーメーション(4-3-3

 


2024年1月11日現在[42]

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
4 MF   オリヴァー・スキップ
5 MF   ピエール・エミール・ホイビュルク ( )
6 DF   ラドゥ・ドラグシン
7 FW   ソン・フンミン  
8 MF   イヴ・ビスマ ( )
9 FW   リシャルリソン
10 MF   ジェームズ・マディソン
11 FW   ブライアン・ヒル
12 DF   エメルソン・ロイヤル ( )
13 GK   グリエルモ・ヴィカーリオ
16 FW   ティモ・ヴェルナー
17 DF   クリスティアン・ロメロ
18 MF   ジオヴァニ・ロ・チェルソ ( )
No. Pos. 選手名
19 DF   ライアン・セセニョン ( )★
20 GK   フレイザー・フォースター
21 MF   デヤン・クルゼフスキ ( )
22 FW   ブレナン・ジョンソン ( )★
23 DF   ペドロ・ポロ
27 FW   マノル・ソロモン ( )
29 MF   パペ・マタル・サール
30 MF   ロドリゴ・ベンタンクール
33 DF   ベン・デイヴィス
37 DF   ミッキー・ファン・デ・フェン
38 DF   デスティニー・ウドジェ ( )☆
40 GK   ブランドン・オースティン ( )★
41 GK   アルフィー・ホワイトマン

※括弧内の国旗はその他の保有国籍を、★はホーム・グロウン選手、☆は21歳以下の選手を示す。

監督

ローン移籍選手 編集

in

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
16 FW   ティモ・ヴェルナー (RBライプツィヒ)
No. Pos. 選手名
out

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
3 DF   セルヒオ・レギロン (ブレントフォードFC)
14 MF   イヴァン・ペリシッチ (HNKハイドゥク・スプリト)
15 DF   エリック・ダイアー (バイエルン・ミュンヘン)
24 DF   ジェド・スペンス (ジェノア)
25 DF   ジャフェット・タンガンガ (ミルウォールFC)
28 MF   タンギ・エンドンベレ (ガラタサライ) ( )
35 DF   アシュリー・フィリップス (プリマス・アーガイル) ( )
No. Pos. 選手名
36 FW   アレホ・ベリス (セビージャFC)
45 MF   アルフィー・ディヴァイン (プリマス・アーガイルFC)
51 MF   マシュー・クレイグ (ドンカスター・ローヴァーズFC)
53 GK   ジョシュ・キーリー (バーネットFC)
-- DF   ジョー・ロドン (リーズ・ユナイテッド)
-- FW   トロイ・パロット (SBVエクセルシオール)

リザーブ & アカデミー 編集

歴代監督 編集


歴代所属選手 編集

参考文献 編集

  • フランクリン・フォア『サッカーが世界を解明する』「第3章 ユダヤ人問題」白水社、2006年。ISBN 4-560-04975-0

脚注 編集

  1. ^ Hotspur(直訳:燃える拍車)のあだ名を持つ騎士で、現代英語のHotspur(意訳:向こう見ず)は彼のあだ名が語源。日本では「向こう見ずのヘンリー(Henry Hotspur)」と訳されることもある。
  2. ^ “Harry Hotspur - Home grown hero of Alnwick”. BBC. https://www.bbc.co.uk/legacies/heritage/england/tyne/article_3.shtml 2020年5月17日閲覧。 
  3. ^ “Tottenham legend Nicholson dies”. BBC Sport. (2004年10月23日). http://news.bbc.co.uk/sport1/hi/football/teams/t/tottenham_hotspur/3757030.stm 2010年8月17日閲覧。 
  4. ^ 意外!デザインのルーツが「他のチームだった」ユニフォーム5着”. Qoly. 2020年5月5日閲覧。
  5. ^ History: Year by year”. Tottenham Hotspur F.C.. 2010年12月22日閲覧。
  6. ^ トッテナム 9点を奪いウィガンに快勝、デフォーが5得点”. AFPBB News (2009年11月23日). 2017年9月29日閲覧。
  7. ^ Northcroft, Jonathan (2008年5月11日). “Breaking up the Premier League's Big Four”. The Sunday Times. http://www.timesonline.co.uk/tol/sport/football/premier_league/article3908394.ece 2011年5月26日閲覧。 
  8. ^ “The best of the rest”. Soccernet (ESPN). (2007年1月29日). http://www.espnfc.com/story/405515 2017年9月29日閲覧。 
  9. ^ クラブ声明 モドリッチのRマドリー移籍と業務提携2012年8月27日
  10. ^ レアル・マドリー、ベイル加入を発表”Goal、2013年9月2日
  11. ^ ベイルの後継者 ラメラsoccer king
  12. ^ シャドリ、ゴールの快感spurs japan
  13. ^ トッテナム、来シーズンのホームゲームは全てウェンブリーで開催へ”サッカーキング、2017年3月24日
  14. ^ Mauricio leaves Club” (英語). Tottenham Hotspur (2019年11月19日). 2019年12月16日閲覧。
  15. ^ Jose Mourinho appointed new Head Coach” (英語). Tottenham Hotspur (2019年11月20日). 2019年12月16日閲覧。
  16. ^ 公式声明:ベイル選手について” (jp). レアル・マドリード. 2020年9月21日閲覧。
  17. ^ ギャレス・ベイルがスパーズに帰ってきた”. SPURS JAPAN.com (2020年9月20日). 2020年9月21日閲覧。
  18. ^ トッテナムが待望の新ストライカー確保!ベンフィカで昨季24Gのヴィニシウスを期限付きで獲得”. Goal.com. 2020年10月3日閲覧。
  19. ^ 新監督探しが泥沼化するトッテナムの経営陣はリーク情報に苛立ち”. spurs.sc. 2021年8月18日閲覧。
  20. ^ スパーズ・ファンの反発を受けてジェンナーロ・ガットゥーゾの監督就任は中止へ”. spurs.sc. 2021年8月18日閲覧。
  21. ^ ヌーノ・エスピリト・サントが新ヘッドコーチに就任 [スパーズ公式]”. spurs.sc. 2021年8月18日閲覧。
  22. ^ ピエルルイジ・ゴッリーニのローン加入で合意 [Spurs Official]”. spurs.sc. 2021年8月18日閲覧。
  23. ^ クリスティアン・ロメロがアタランタから加入決定 [Spurs Official]”. spurs.sc. 2021年8月18日閲覧。
  24. ^ ブライアン・ヒルがスパーズ加入し、エリラ・ラメラはセビージャへ [Spurs Official]”. spurs.sc. 2021年8月18日閲覧。
  25. ^ トビー・アルデルヴァイレルトがカタールへ出発 [Spurs Official]”. spurs.sc. 2021年8月18日閲覧。
  26. ^ ジョー・ハートがセルティックに加入 [Spurs Official]”. spurs.sc. 2021年8月18日閲覧。
  27. ^ ソン・フンミンが左足で決勝弾!ケイン不在のトッテナムが開幕戦で王者マン・Cを撃破”. goal. 2021年8月18日閲覧。
  28. ^ 年間最優秀ゴール“FIFAプスカシュ賞”にラメラが輝く!ノースロンドンダービーでラボーナから得点”. goal. 2022年1月18日閲覧。
  29. ^ Klub-Monitoring - UEFA(= Financial-Fairplay-Regelungen der UEFA), Peter Lang, https://doi.org/10.3726/978-3-653-02765-5/24 2022年5月23日閲覧。 
  30. ^ AIAとの長期パートナーシップが始まるspurs japan 2014年2月11日
  31. ^ Rivalry uncovered! The results of the largest ever survey into club rivalries Archived 2013年10月20日, at the Wayback Machine., The Football Fans Census. Retrieved 30 January 2008
  32. ^ Historical Attendances 1950s”. European Football Statistics. 2006年10月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2006年10月26日閲覧。
  33. ^ Historical Attendances 1960s”. European Football Statistics. 2006年10月26日閲覧。
  34. ^ Statistics Archived 2010年12月30日, at the Wayback Machine. FA Premier League
  35. ^ Key thinkers in linguistics and the philosophy of language, Edinburgh University Press, 2005, By Siobhan Chapman, page 22
  36. ^ Notable Spurs supporters Retrieved 26 August 2011
  37. ^ Kessel, Anna (2007年10月28日). “Alive and unchecked – a wave of anti-Jewish hate”. The Guardian (UK). http://www.guardian.co.uk/football/2007/oct/28/newsstory.sport2 
  38. ^ Baddiel, David (2002年10月17日). “So you think we've kicked racism out of English football”. The Independent (UK). http://www.independent.co.uk/opinion/commentators/david-baddiel-so-you-think-weve-kicked-racism-out-of-english-football-614251.html 
  39. ^ Anti-Semitism or endearment?”. European Jewish Press. 2012年3月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月7日閲覧。
  40. ^ ‘Yid Army’ comes out fighting”. The Jewish Chronicle (2007年10月19日). 2007年11月4日閲覧。
  41. ^ 我が心のクラブを持つセレブリティたち『Number PLUS』2013年10月1日号
  42. ^ Tottenham Hotspur's Men's First Team”. 2023年11月18日閲覧。

外部リンク 編集