トニー・ケイTony Kaye、本名:Anthony John Selvidge、1946年1月11日 - )は、イングランドキーボード・プレイヤープログレッシブ・ロック・バンド「イエス」のオリジナル・メンバーであった。

トニー・ケイ
Tony Kaye
YOSO - ルクセンブルク公演(2010年)
基本情報
出生名 Anthony John Selvidge
生誕 (1946-01-11) 1946年1月11日(78歳)
出身地 イングランドの旗 レスター
ジャンル プログレッシブ・ロック
職業 キーボディスト
担当楽器 キーボード
共同作業者 イエス
バジャー
バッドフィンガー
サーカ
YOSO

経歴 編集

レスター出身。ピアニストだった祖母の影響で6歳でクラシック・ピアノを始め、コンサート・ピアニストを目指していたが、学校の友人達の影響でジャズを聴くようになり、カウント・ベイシーデューク・エリントンなどのビッグ・バンド・スタイルのモダン・ジャズを好んだ。15歳の時には、レスターのダニー・ロジャー・オーケストラというビッグ・バンドに参加した[1]

18歳でロック・キーボードに転向。ロイ・オービソンのツアーのバック・グループだったザ・フェデラルズなど幾つかのバンドで演奏した。また、マーキー・クラブに通い、グレアム・ボンドのオルガン演奏に強い影響を受けた[1]

1968年12月イエスに加入。『イエス・ファースト・アルバム』『時間と言葉』『イエス・サード・アルバム』の制作に携わった後、1971年7月31日のクリスタル・パレス・ボウルでの公演を最後に、音楽性の相違を理由にイエスを脱退[2]。実際は解雇であった[3]

 
バジャー時代(1973年)

同年、先にイエスを脱退していたギタリストのピーター・バンクスが結成したフラッシュにゲスト参加してデビュー・アルバムの制作に携わった。1972年にバジャーを結成[注釈 1]し、2作のアルバムを発表[注釈 2]。イエスのサポート・バンドなども担当するが、1974年に解散。


1977年、元シルヴァーヘッドマイケル・デ・バレスが結成したディテクティヴ (Detective)に加入して、2作のアルバムの制作に参加。続いてバッドフィンガーに加入して、1981年にアルバムSay No Moreの制作に参加[注釈 3]

1982年、イエスの同僚だったクリス・スクワイアに再会。イエスが1980年に解散したあと、シネマという新しいバンドを結成しようとしていた彼に参加を打診される。シネマの結成は幾つかのトラブルの後に1983年にイエスの再結成に変わり、ケイは1971年以来12年ぶりにイエスに復帰。『ロンリー・ハート』『ビッグ・ジェネレイター』『結晶』『トーク』に参加した後に1994年に脱退した。

 
YOSO時代(2010年)

その後、一時、引退して音楽業界から離れていたが、2007年よりビリー・シャーウッドアラン・ホワイトジミー・ホーンと共にサーカを始動させた。また、そのスピン・オフ的なYOSOにも参加した。

ニール・ヤングトリビュート・バンド「ニール・ディール (The Neil Deal)」のメンバーとしてアメリカで活動している。

未払いのロイヤリティーを巡って、イエスおよびイエスの元マネージャーに対して訴訟を起こしている。

1974年以後アメリカに居住。1994年にクリス・スクワイアの義娘カーメン・スクワイア[注釈 4]と婚約したものの結婚はせず、シンガー・ソングライターのダニエラ・トルキア (Daniela Torchia)と結婚した。

2021年、初のソロ・アルバムEnd of Innocenceを発表[4]。トルキアも参加した。

音楽性 編集

ケイは、ハモンド・オルガンC-3とレスリー・スピーカーの可能性を追求するというポリシーを貫いてきた。彼が1971年にイエスを解雇される直前に制作に参加した『イエス・サード・アルバム』や、1972年に結成したバジャーのライブ・デビュー・アルバム『ワン・ライブ・バジャー』では、シンセサイザーメロトロンも駆使してはいるが、彼の関心はあくまでもハモンドオルガンの演奏であり[2]、概して新しいテクノロジーには興味がなかった。

イエスは1971年に彼を解雇してリック・ウェイクマンを迎えた。マルチ・キーボード奏者としてイエスの音楽に色彩感と拡がりを劇的に加えたウェイクマンの貢献をみると、イエスが何を求めて何故ケイを解雇したのかは明白である。ケイはあくまでもオルガン奏者であることにこだわっていたと言えよう。

彼の姿勢は80年代にイエスに復帰した後も基本的には同様であったと思われる。『ロンリー・ハート』の制作では、エスクワイア[注釈 5]のキーボーディストのチャールズ・オリンズがほとんどのキーボード・パートを弾いた[注釈 6]。『トーク』ではハモンド・オルガンだけを担当した。彼の音楽性が、シネマ結成からイエス再結成へ移行する間にグループを一時期離脱した[注釈 7]理由である[注釈 8]

ディスコグラフィ 編集

ソロ/連名 編集

トニー・ケイ

  • End Of Innocence (2021年)[4][5]

ビリー・シャーウッド & トニー・ケイ

  • Live in Japan (2016年)[6]

バンド 編集

イエス

フラッシュ

  • 『フラッシュ』 - Flash (1972年)

バジャー

  • 『ワン・ライヴ・バジャー』 - One Live Badger (1973年)
  • 『ホワイト・レディ』 - White Lady (1974年)
  • Dean's List (1998年) ※コンピレーション

ディテクティヴ

  • 『ディテクティヴ/ファースト(直撃波)』 - Detective (1977年)
  • 『イット・テイクス・ワン・トゥ・ノウ・ワン(衝撃の共同体)』 - It Takes One To Know One (1978年)
  • Live from the Atlantic Studios (1978年)

バッドフィンガー

  • 『セイ・ノー・モア』 - Say No More (1981年)

サーカ

  • 『サーカ・ファースト・アルバム』 - CIRCA: 2007 (2007年)
  • 『ライヴ』 - CIRCA: Live (2008年)
  • 『ヘッド・クオーター(サーカ・セカンド・アルバム)』 - CIRCA: HQ (2009年)
  • CIRCA: Overflow (2009年)
  • 『アンド・ソー・オン&オーヴァーフロウ』 - And So On (2011年) ※上記アルバムをカップリング
  • Live From Here There & Everywhere (2013年)
  • 『ヴァレー・オブ・ザ・ウィンドミル - 風車の谷の物語』 - Valley of the Windmill (2016年)

YOSO

  • 『エレメンツ -要素-』 - Elements (2009年)

脚注 編集

出典 編集

  1. ^ a b Morse (1996), pp. 2–3.
  2. ^ a b Morse (1996), p. 26.
  3. ^ イエスのDVD『9012ライブ』に収録されたドキュメンタリー。
  4. ^ a b Discogs”. 2022年12月28日閲覧。
  5. ^ 元イエスのトニー・ケイ 初ソロ・アルバム『End Of Innocence』を9月発売”. amass (2021年7月20日). 2022年7月27日閲覧。
  6. ^ Discogs”. 2022年12月28日閲覧。

注釈 編集

  1. ^ メンバーのうち、ベース・ギターを担当したデイヴィッド・フォスターは、イエスのボーカリストのジョン・アンダーソンがイエスに加入する前に在籍していたザ・ウォリアーズのメンバーで、ケイが在籍中に発表されたイエスの2作目のアルバム『時間と言葉』の収録曲のうち2曲をアンダーソンと共作した上、そのうちの1曲でギターを弾いた。
  2. ^ 1973年に発表されたデビュー・アルバム『ワン・ライヴ・バジャー』は、1972年にロンドンのレインボー・シアターで行われたイエスのコンサートの第一部を務めた時に録音されたライブ・アルバムで、プロデューサーの一人はイエスのジョン・アンダーソンだった。
  3. ^ バッドフィンガーは1975年に中心メンバーのピート・ハムが’自殺して解散状態に陥ったが、1978年に残りのメンバーで再結成され、アルバムを1作発表した。ケイはこのアルバム発表後のツアーに参加した後、正式メンバーとなり、1981年に発表されたアルバムSay No Moreの制作に携わった。
  4. ^ クリス・スクワイアの妻だったニッキー・スクワイアの連れ子。
  5. ^ ニッキー・スクワイアが率いたグループ。
  6. ^ 公にされてはいないが、当時のライブではステージの袖でCasey Youngというサポート・キーボード奏者が演奏に参加していた。
  7. ^ 解雇とも言われている。
  8. ^ 但し、復帰後のステージではシンセサイザーを駆使してウェイクマン時代や再結成後の作品を演奏しており、1985年に発表されたミニ・アルバム『9012ライブ』に収録されたキーボード・ソロの "Si" でも、ハモンド・オルガンを使っていない。

参考文献 編集

  • Morse, Tim (1996), Yesstories: Yes in Their Own Words, St. Martin's Press, ISBN 0-312-14453-9 

関連項目 編集

外部リンク 編集