トマス・ラジャナウスカス

トマス・ラジャナウスカスリトアニア語: Tomas Ražanauskas, 1976年1月7日 - )は、リトアニア出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー

トマス・ラジャナウスカス
名前
ラテン文字 Tomas RAŽANAUSKAS
基本情報
国籍  リトアニア
生年月日 (1976-01-07) 1976年1月7日(48歳)
出身地 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦リトアニア・ソビエト社会主義共和国ヴィリニュス
身長 180cm
選手情報
ポジション MF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1992-1995 リトアニアの旗 パネリス・ヴィリニュス 52 (19)
1995-1996 リトアニアの旗 ジャルギリス 27 (15)
1997 ロシアの旗 トルペド・モスクワ 12 (4)
1997 ロシアの旗 ナーベレジヌイェ・チェルヌイ 4 (0)
1997-1999 エストニアの旗 フローラ 24 (9)
1998-1999 スイスの旗 セルヴェット (loan) 12 (0)
1999 スウェーデンの旗 マルメ 9 (0)
2000-2001 ノルウェーの旗 ブラン 21 (2)
2001-2004 ギリシャの旗 アクラティトス 44 (3)
2004 スウェーデンの旗 トレッレボリ 7 (0)
2004-2005 キプロスの旗 アノルトシス・ファマグスタ 6 (0)
2005 ノルウェーの旗 ポルス・グレンランド 10 (0)
2006 リトアニアの旗 FCヴィリニュス 22 (2)
2006-2007 アゼルバイジャンの旗 インテル・バクー 20 (3)
2008 リトアニアの旗 ジャルギリス 5 (0)
2009-2010 リトアニアの旗 ヴェトラ 22 (1)
2010-2011 リトアニアの旗 タウラス・タウラゲ 14 (4)
2011 リトアニアの旗 スードゥヴァ・マリヤンポレ 16 (2)
2012 リトアニアの旗 REOヴィリニュス 21 (3)
代表歴
1995-2011 リトアニアの旗 リトアニア 41 (7)
監督歴
2015 リトアニアの旗 シャウレイ
2018 ラトビアの旗 スパルタクス・ユールマラ
2020- リトアニアの旗 DFKダイナヴァ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

経歴 編集

2003年3月29日、UEFA EURO 2004予選ドイツ戦で同点ゴールを決め[1]、ドイツと引き分けると、4日後のスコットランド戦ではペナルティーキックで決勝ゴールを決めた[2]。この2試合の活躍でリトアニアサッカーの歴史に名を残す選手となった。[3]

FCトルペド・モスクワセルヴェットFCマルメFFSKブラン、ギリシャのアクラティトスFCアノルトシス・ファマグスタインテル・バクーPFCなど海外の多くのクラブを渡り歩いて成功を収めた。2009年にリトアニアのFKヴェトラに移籍すると、当時の過去最高順位となるAリーガ2位に貢献し、UEFAヨーロッパリーグ 2009-10に出場した。UEFAヨーロッパリーグでは予選3回戦まで勝ち上がったが、準優勝したフラムFCに敗れた。このパフォーマンスにより、5年ぶりにリトアニア代表に選出され、2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選オーストリア[4]セルビア[5]に出場した。[3]

2010年12月、FKスードゥヴァ・マリヤンポレに移籍し[6]、2011年7月まで所属した[7]

脚注 編集

  1. ^ Germany shocked by Razanauskas”. UEFA.com (2003年3月29日). 2016年8月7日閲覧。
  2. ^ Razanauskas downs luckless Scots”. UEFA.com (2003年4月2日). 2016年8月7日閲覧。
  3. ^ a b Ražanauskas rises again with Vėtra”. UEFA.com (2010年5月10日). 2016年8月7日閲覧。
  4. ^ Austria-Lithuania”. FIFA.com (2009年10月10日). 2016年8月7日閲覧。
  5. ^ Lithuania-Serbia”. FIFA.com (2009年10月14日). 2016年8月7日閲覧。
  6. ^ „Sūduva“ pasirašė sutartis su T.Ražanausku ir V.Borovskiu”. DELFI Sportas (2010年12月9日). 2016年8月8日閲覧。
  7. ^ „Sūduvos“ sudėtyje – rokiruotės”. DELFI Sportas (2011年7月7日). 2016年8月8日閲覧。