トーマス・ジョゼフ・ペンダーガスト英語: Thomas Joseph Pendergast,1873年7月22日 - 1945年1月26日)は、アメリカ合衆国カンザスシティ実業家フィクサー

トム・ペンダーガスト(1936年、フィラデルフィアで開催された民主党全国党大会にて)

人物 編集

ミズーリ州セントジョセフ出身。兄には同じく民主党に所属してカンザスシティの市会議員を務め、カンザスシティ初の政治ボスと呼ばれたジェームズ・ペンダーガスト英語版がいる。

民主党員として、1925年にカンザスシティの市会議員に選出された。1930年代民主党マシーン利益誘導政治)のボスとして、ペンダーガストはあらゆる面においてカンザスシティに大きな影響を及ぼした。 禁酒法時代、ペンダーガストの庇護下で違法営業していたナイトクラブには演奏旅行で大陸を横断する楽団が立ち寄った。 やがてカンザスシティ・ジャズが花開き、カウント・ベイシーを世に送り出し、チャーリー・パーカーを生んだ。

また、ペンダーガストはハリー・S・トルーマンを支え、後に第33代大統領になる道筋を作った。 一方で、カンザスシティにはギャング(後にカンザスシティ一家英語版と呼ばれることとなる)がはびこり、治安が悪化した。現代においても、カンザスシティの治安はあまり良くない。

シカゴアル・カポネ、カンザスシティのペンダーガストと呼ばれた。

1933年の禁酒法廃止以後、後ろ盾だったカンザス州知事ロイド・C・スターク英語版の失脚及び財務長官ヘンリー・モーゲンソーの追及もあってペンダーガストの勢力は衰退し、1939年脱税の罪で逮捕され、市会議員の地位を失う。さらに大腸癌のため体調を崩し、15か月の懲役刑に服したのちはカンザスシティの家に隠居し、1945年に死去した。

関連項目 編集

出典 編集

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