ナイジャー・モーガン

アメリカ合衆国の元プロ野球選手、プロアイスホッケー選手

ナイジャー・ジャミッド・モーガンNyjer Jamid Morgan , 1980年7月2日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコ出身の元プロ野球選手外野手)。

ナイジャー・モーガン
Nyjer Morgan
ワシントン・ナショナルズでの現役時代
(2010年1月30日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州サンフランシスコ
生年月日 (1980-07-02) 1980年7月2日(43歳)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
185 lb =約83.9 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手
プロ入り 2002年 MLBドラフト33巡目(全体973位)
初出場 MLB / 2007年9月1日
NPB / 2013年3月29日
KBO / 2015年3月28日
最終出場 NPB / 2013年9月19日
MLB / 2014年5月14日
KBO / 2015年4月10日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
ナイジャー・モーガン
本名 ナイジャー・ジャミッド・モーガン
原語名 Nyjer Jamid Morgan
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生誕
出生地
(1980-07-02) 1980年7月2日(43歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
カリフォルニア州サンフランシスコ
身長
体重
6 ft 0 in (1.83 m)
185 lb (84 kg; 13 st 3 lb)
シュート 左打ち
プロ選手期間 {{{career_start}}}年 – 現在

経歴 編集

アイスホッケー時代 編集

1988年カルガリー五輪アイスホッケーをテレビで観戦したことがきっかけで、アイスホッケーを始める。夏季には野球もプレーしており、1998年にはMLBドラフト42巡目(全体1260位)でコロラド・ロッキーズから指名を受けるが、入団しなかった。当時はアイスホッケーが第一目標で、アイスホッケーをプレーするためにカナダにある高校へ単身転校する。ジュニアホッケーリーグのバーノン・バイパーズ英語版に参加し[1]、チームでただの1人のアフリカ系アメリカ人ということもあって、カナダでの生活はカルチャーショックを受けることもあったが、持ち前の明るさで周囲に溶け込んでいった[2]

1999年から2000年にかけて、ウエスタン・ホッケー・リーグ英語版(WHL)のリジャイナ・パッツ英語版でプレー[2]。。初戦で2ゴールを決める活躍を見せたが[1]、その後は目立った活躍が出来ずに、シーズン終了後に解雇された。その後、モーガンはアイスホッケーを諦め、野球に専念することを決めた。パッツのGMだったパーカーは、当時のモーガンを振り返って、「いつも笑顔のムードメーカーだったが、アイスホッケーの才能は平均レベルだった」と述べている[2]

パイレーツ時代 編集

 
ピッツバーグ・パイレーツ時代
(2009年5月29日)

2001年ワシントン州ワラワラ・コミュニティーカレッジに入学。

2002年MLBドラフト33巡目(全体973位)でピッツバーグ・パイレーツから指名された。7月29日に入団。

2003年から2007年まで、マイナーで5シーズンをプレーした後、2007年9月1日の対ミルウォーキー・ブルワーズ戦においてメジャーデビューを果たす。以後、シーズン終了まで28試合に出場し、打率.299、7盗塁を記録。

2008年ネイト・マクラウスとの定位置争いに敗れ、3Aインディアナポリスへ降格した。シーズン終盤にメジャーへ復帰すると、9月には月間打率.354をマークした[2]

ナショナルズ時代 編集

 
ワシントン・ナショナルズ時代
(2009年8月4日)

2009年6月30日にラスティングス・ミレッジジョエル・ハンラハンとのトレードでショーン・バーネットとともにワシントン・ナショナルズに移籍した。8月27日にスライディングで指を骨折し、シーズンを終えることになったが、120試合の出場ながらリーグ2位の42盗塁をマークした[3]

2010年5月22日のボルチモア・オリオールズ戦、同点で迎えた4回の表、オリオールズのアダム・ジョーンズの放った大飛球に対して、フェンス際でジャンプキャッチを試みるが失敗。フェアグラウンド内を転がるボールに気づかないモーガンは、自分がスタンド内に叩き込んでホームランにしてしまったと思い込み激高し、グラブを地面に叩きつけてボールのない方向に歩きだしてしまう。駆け付けた味方野手が返球するが、3塁走者はもちろん、打者走者まで本塁生還を許してしまう(記録はランニングホームラン)。このプレーをもっての交代はなく、その後に打席にも立ったが、本拠地観客の大ブーイングを浴びることになった。試合はナショナルズが勝っている[4]。8月21日の敵地でのフィラデルフィア・フィリーズ戦で、野次に怒ってボールを観客席に投げ入れ、そのボールが観客の顔面に当たるという事件が起きた。MLB機構はモーガンに7試合の出場停止処分を下したが、モーガンは故意ではないとして異議を申し立てた。最終的に、被害者側がモーガンを擁護したため、処分は取り下げられた[5]。8月27日のセントルイス・カージナルス戦では、僅差の終盤に牽制死したモーガンを諌めた監督のジム・リグルマンと衝突し、翌28日には打順を1番から8番に下げられた。この打順降格に不満を持ったモーガンは、ウィリー・ハリスの適時二塁打で生還した際、ホームベースから離れて立っていた相手捕手のブライアン・アンダーソン英語版に激しくぶつかった[6]。ナショナルズが大量リードしていたということもあって、このプレーは激しく批判された。試合後、リグルマンはアンダーソンとカージナルス監督のトニー・ラルーサに謝罪した[7]。31日のフロリダ・マーリンズ戦では、本塁憤死の際に相手捕手のブレット・ヘイズに激しいタックルを食らわせた(このタックルによりヘイズは負傷)。モーガンが普通にスライディングしていればセーフのタイミングであったため、またしても非難の声が上がった[7]。翌9月1日、4回表にマーリンズのクリス・ボルスタッドがモーガンに明らかな報復死球を与えた。モーガンは一塁へ向かったが、14-3と大量リードされている状況だったのにもかかわらず、二盗、三盗を立て続けに行った。大量得点差での盗塁はご法度という野球の不文律を犯したモーガンには、6回の打席では死球にはならなかったが体の後ろを通る危険球を受けた。モーガンは激昂してボルスタッドに殴りかかり、4人の退場者を出す大乱闘へと発展した[7]。この一連の騒動は全米で大きく報じられ、野球界きっての問題児としての知名度を高めた[8]。9月3日にMLB機構から8試合の出場停止と罰金1万5000ドルを命じられた[5][9]

ブルワーズ時代 編集

 
ミルウォーキー・ブルワーズ時代
(2011年5月29日)

2011年3月27日にトレードでミルウォーキー・ブルワーズに移籍した[9]。盗塁数は大きく減ったが、打率は2年ぶりに3割を超えた。アリゾナ・ダイヤモンドバックスとのディビジョンシリーズ第5戦では延長10回に殊勲のサヨナラ打を放った。

2012年1月26日に年俸235万ドルで1年契約を結んだ。正中堅手として開幕を迎えたが、MLB史上最長となる開幕から138打席連続で打点なしという打撃不振に陥り、青木宣親のレギュラー定着もあって次第に出場機会が減少していった。オフの11月2日にFAとなった。

DeNA時代 編集

2013年1月24日に横浜DeNAベイスターズと1年契約に合意したことを発表した[10]。背番号は27。27番は前身の大洋ホエールズ時代から、長年投手の背番号[注釈 1][注釈 2]として扱われていたため、野手でこの番号を着ける選手は1961年のスタンレー橋本以来であった。

 
横浜DeNAベイスターズでの現役時代
(2013年3月17日、横浜スタジアムにて)

オープン戦では17試合に出場したが、長打と打点が1本もなく、打率も.152と低調だった。それでも「3番・右翼」開幕スタメンを勝ち取ったが、開幕後も深刻な打撃不振が続き、4月20日に登録抹消された。しかし、降格後に二軍で打率3割を維持し、5月1日に再登録されるとその後は主に1番、2番打者として本領を発揮。5月10日の巨人戦6回戦では7回の裏に初打点・初本塁打を記録し、7点ビハインドを引っくり返す大逆転勝利に貢献。その後はそれまで結果が出せていなかった3番打者としても活躍。6月15日の西武戦3回戦では牧田和久から逆転の3ランホームランを放ち、来日後初めてのお立ち台に上った。その後も打撃・人気の両面でチームに貢献。最終打率は3割近くにまで達したものの、肩が弱く、金銭面での折り合いがつかないため、オフの残留交渉では合意に至らなかった。結局、12月2日に自由契約公示されたことを機に、DeNAからの退団が決まった[11][12]

インディアンス時代 編集

2014年1月16日にクリーブランド・インディアンスとマイナー契約を結んだ[13]。3月30日にインディアンスとメジャー契約を結び[14]、開幕ロースター入りした。開幕後は9試合に出場したが、4月15日に正中堅手のマイケル・ボーンが故障者リストから復帰したため、AAA級コロンバス・クリッパーズへ降格した[15]。5月4日にメジャーへ再昇格した[16]。昇格後はマイケル・ボーンの離脱もあり、先発起用されていたが、5月14日のトロント・ブルージェイズ戦で右膝を痛め、5月15日に15日間の故障者リスト入りした[17]。5月22日に60日間の故障者リストへ異動した[18]。その後メジャーへ復帰することなく、8月5日に放出された[19]

ハンファ時代 編集

2014年12月18日にKBOハンファ・イーグルスが契約を結んだ[20]

2015年はキャンプは二軍スタートだったものの、開幕戦は5打数4安打と奮闘。しかしその後は調子を落とし、10試合のみの出場で二軍降格。二軍降格後は腰痛に苦しみ、打率.214と調子が上がらず、5月6日にウェーバー公示を申請された。

メキシカンリーグ時代 編集

2016年1月22日にメキシカンリーグプエブラ・パロッツと契約。

2017年2月21日にトレードでモンクローバ・スティーラーズに移籍した。

引退後 編集

引退後は妻と共にアメリカで不動産投資家として活動している[21]

2019年6月7日 - 9日の対埼玉西武ライオンズ戦に来場。G.G.佐藤長田秀一郎と対決し、最終日の始球式では花咲徳栄高等学校の投手『モーガン君』に扮して柳沢慎吾率いる横浜高等学校と対戦、ファンを沸かせた[22][23]

選手としての特徴 編集

足が速く、MLB通算約69%と盗塁成功率は低いがベースランニングは優秀で[24]、2009年にはナショナル・リーグ16球団の監督が選ぶリーグ最高のベースランナーのひとりにノミネートされた快足を持ち味とした[25]

長打力には欠けるが、快足を生かしたバント安打が得意で内野安打が多い[26]。右投手に対しては2014年までのメジャー通算打率.297と得意としたが、左投手には同打率.205と極端に弱かった。

肩の強さは平均を下回るが[27]中堅手として2014年までのメジャー通算のDRS6、UZR31.5を誇り、守備範囲が広い。後方への大飛球に強く、フェンスを恐れない勢いで背面キャッチを見せた[28]。一方で判断ミスも目立ち[24]、中堅手での通算守備率は.989だった。

前出の開幕から138打席連続打点なしや、日本に来てからも4月は打撃不振で2軍に降格するなど、開幕当初は不調なケースが多かった。モーガン自身も自分はスロースターターで4月に苦労したことが5月に花開くと語っている。[29]

人物 編集

闘争心をむき出しにする性格で[30]、「メジャー最強のクレイジー」と呼ばれる[31]。上述のように2010年には試合で様々なトラブルを起こして話題となっており、特にクリス・カーペンターとは対戦するたびに怒鳴り合い、2011年9月8日のセントルイス・カージナルス戦でカーペンターとの対戦で三振した後には、噛みタバコをカーペンターに向かって放り投げ、両軍入り乱れての乱闘を引き起こした[30]。また、同年までカージナルスに所属していたアルバート・プホルスTwitter上で「アルバータ」と女性形で呼んで挑発したこともあり、ブッシュ・スタジアムでの試合の際にはセントルイスのファンから大ブーイングが浴びせられる[30]

一方でワシントンやミルウォーキーのファンからは攻守で全力プレーを見せることから人気が高い[30][31]。「野球選手はエンターテイナー。観客に見せる試合は舞台と一緒」と語り、試合では「トニー・プラッシュ(Tony Plush)」という別人格(オルター・エゴ)を用いていると言い[32][33]、インタビューではたびたび「トニー・ガンボ」などといった複数の別名義で出演したり、エルビス・プレスリーのカツラを被ってインタビューを受けるなどの極めて陽気なキャラクターで人気を博した[34]

2012年にブルワーズでチームメイトだった青木宣親はモーガンについて「トラブルメーカーのイメージがあると思うんですけど、そんなこと全然なくて、とてもあったかい人間で、すごく好きなタイプの選手ですね」と述べている[31]

上記の通り、MLBではクレイジーと呼ばれる存在であったが、NPB移籍後は「日本ではいい子になろうと思ってる」[35]と語っており、決めポーズを披露したり、日本語での挨拶、ファンへのサインなどサービス精神旺盛な面を見せている[36]。7月15日の対ヤクルト戦後に勝ち投手になった長田秀一郎と共にヒーローインタビューを受けた際には、インタビュー中のスタジアムDJからマイクを渡され、「アリガトウゴザイマス、アバヨー!」と叫ぶパフォーマンスを見せた。ハンファ時代もトニー・プラッシュのパフォーマンスを見せ、チーム公式の応援でも「T」の字を描くポーズが取り入れられた。

横浜時代は鳴り物を使う日本の応援スタイルを気に入り、打席では自身の応援歌の歌詞『ゴー、ゴー、ゴー!』に合わせ、ホームベースをバットでコツコツと叩いてリズムを取っていた[37]

19歳の時に2つ年下の女性との間に生まれた娘がカナダにおり、右手首に娘の名前を彫ったタトゥーを入れている[30]

詳細情報 編集

年度別打撃成績 編集

















































O
P
S
2007 PIT 28 118 107 15 32 3 4 1 46 7 7 3 1 0 9 0 1 19 0 .299 .359 .430 .789
2008 58 175 160 26 47 13 0 0 60 7 9 5 1 1 10 0 3 32 0 .294 .345 .375 .720
2009 71 321 278 39 77 6 5 2 99 27 18 10 5 4 29 2 5 49 6 .277 .351 .356 .707
WSH 49 212 191 35 67 9 2 1 83 12 24 7 5 1 11 0 4 25 3 .351 .396 .435 .831
'09計 120 533 469 74 144 15 7 3 182 39 42 17 10 5 40 2 9 74 9 .307 .369 .388 .757
2010 136 577 509 60 129 17 7 0 160 24 34 17 15 3 40 1 10 88 2 .253 .319 .314 .633
2011 MIL 119 429 378 61 115 20 6 4 159 37 13 4 15 3 19 0 14 70 6 .304 .357 .421 .778
2012 122 322 289 44 69 5 3 3 89 16 12 5 7 0 20 0 6 63 4 .239 .302 .308 .610
2013 DeNA 108 424 371 57 109 15 2 11 161 50 3 2 11 2 27 0 13 81 3 .294 .361 .434 .795
2014 CLE 15 52 41 8 14 1 0 1 18 6 3 0 3 1 7 0 0 6 0 .341 .429 .439 .868
2015 ハンファ 10 42 33 2 9 2 0 0 11 5 1 1 0 1 4 0 4 8 1 .273 .405 .333 .738
MLB:7年 598 2206 1953 288 550 74 27 12 714 136 120 51 52 13 145 3 43 352 21 .282 .343 .366 .708
NPB:1年 108 424 371 57 109 15 2 11 161 50 3 2 11 2 27 0 13 81 3 .294 .361 .434 .795
KBO:1年 10 42 33 2 9 2 0 0 11 5 1 1 0 1 4 0 4 8 1 .273 .405 .333 .738
  • 2015年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録 編集

NPB
KBO

背番号 編集

  • 29 (2007年)
  • 3 (2008年 - 2009年)
  • 1 (2009年 - 2010年)
  • 2 (2011年 - 2012年)
  • 27 (2013年)
  • 6 (2014年)
  • 33 (2015年)

登場曲 編集

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 他球団では主に捕手の背番号として扱われることが多いが、DeNAで捕手が着用したのは洋松(大洋松竹)ロビンス時代の神崎安隆のみである。
  2. ^ 千葉ロッテマリーンズも同様に原則として投手が着用したため、球団がロッテの経営となって以降は、他球団に倣って捕手で着用した清水将海田村龍弘の2名だけである。

出典 編集

  1. ^ a b April Whitzman. “MLB Players Who Played Hockey” (英語). MLB.com. 2022年1月2日閲覧。
  2. ^ a b c d Kruchak,, Matthew (2008年3月31日). “Hockey shaped Morgan”. Leader-Post. http://www2.canada.com/reginaleaderpost/news/sports/story.html?id=9811e4a2-6475-4a32-bb59-78e2a7e66188 2011年3月28日閲覧。 
  3. ^ Nationals place CF Nyjer Morgan on 15-day DL, select contract INF Pete Orr from Triple-A Syracuse. nationals.com(英語). 2011年10月1日閲覧
  4. ^ Morgan's gaffe gives Jones inside-the-parker MLB.com/nationals.com (2010年5月22日) 2017年8月28日閲覧
  5. ^ a b Brunell, Evan(2010-09-03). Nyjer Morgan suspended eight games. CBSSpots.com(英語). 2011年10月1日閲覧
  6. ^ (動画) Morgan out at home for contact. MLB.com(英語)
  7. ^ a b c Turbow, Jason(2010-09-03). Nationals' Nyjer Morgan enrages baseball by violating The Code. Sports Illustrated(英語). 2011年10月1日閲覧
  8. ^ 2010やっちまった列伝『月刊スラッガー』2010年12月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-12、33頁。
  9. ^ a b McCalvy, Adam(2011-03-27). Brewers acquire speedy Morgan from Nats. brewers.com(英語). 2011年10月2日閲覧
  10. ^ ナイジャー・モーガン選手獲得のお知らせ横浜DeNAベイスターズオフィシャルウェブサイト、2013年1月24日
  11. ^ DeNAモーガン退団 弱肩がネック(『日刊スポーツ2013年12月20日付記事)
  12. ^ 2014年度選手契約について横浜DeNAベイスターズ2013年12月21日付球団ニュース
  13. ^ Indians invite of Nyjer Morgan to Major League camp”. MLB.com Indians Press Release (2014年1月16日). 2014年1月17日閲覧。
  14. ^ Indians set Opening Day roster”. MLB.com Indians Press Release (2014年3月30日). 2014年3月31日閲覧。
  15. ^ Indians activate OF Michael Bourn from DL; option OF Nyjer Morgan to AAA Columbus”. MLB.com Indians Press Release (2014年4月15日). 2014年5月5日閲覧。
  16. ^ Indians promote OF Nyjer Morgan”. MLB.com Indians Press Release (2014年5月4日). 2014年5月5日閲覧。
  17. ^ Indians promote INF Jesus Aguilar from Columbus; place OF Nyjer Morgan on 15-day DL”. MLB.com Indians Press Release (2014年5月15日). 2014年5月16日閲覧。
  18. ^ Indians promote pitchers T.J. House & Mark Lowe from AAA; McAllister placed on DL/Crockett optioned”. MLB.com Indians Press Release (2014年5月22日). 2014年5月23日閲覧。
  19. ^ Indians recall RHP Josh Tomlin; option OF Tyler Holt to Triple-A Columbus”. MLB.com Indians Press Release (2014年8月5日). 2014年8月6日閲覧。
  20. ^ '한화맨' 나이저 모건 T 세리머니, 한국에서도 한다”. mydaily.co.kr (2014年12月18日). 2022年9月25日閲覧。
  21. ^ 投資家元DeNAモーガンが来た!コーチ業にも色気 日刊スポーツ、2019年6月8日
  22. ^ 『交流戦SERIES 2019』ナイジャー・モーガン氏来場決定!6/7(金) G.G佐藤氏、6/8(土) 長田秀一郎氏が来場しモーガン氏と対決! 横浜DeNAベイスターズ、2019年5月28日
  23. ^ 柳沢慎吾、モーガン氏らと豪華20分「甲子園実況」 日刊スポーツ、2019年6月9日
  24. ^ a b 2012外野ランキング『月刊スラッガー』2012年6月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-6、26頁。
  25. ^ 『月刊スラッガー』2010年4月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-4、51頁。
  26. ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2009』廣済堂出版、2009年、398頁頁。ISBN 978-4-331-51370-5 
  27. ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2011』廣済堂出版、2011年、319頁頁。ISBN 978-4-331-51518-1 
  28. ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2010』廣済堂出版、2010年、317頁頁。ISBN 978-4-331-51439-9 
  29. ^ モーガン 変身!攻守に大活躍「僕はスロースターター」(『スポーツニッポン2013年5月5日付記事)
  30. ^ a b c d e 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2012』廣済堂出版、2012年、334頁頁。ISBN 978-4-331-51612-6 
  31. ^ a b c 特別インタビュー/青木宣親 2年目への決意 ~価値ある選手になるために~『月刊スラッガー』2013年3月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-3、78-81頁。
  32. ^ Tony Plush more elusive this season than last brewers.com
  33. ^ “二重人格”モーガンがV打/プレーオフ日刊スポーツ、年月日
  34. ^ 『2012 MLB選手名鑑』日本スポーツ企画出版社、2012年、99頁頁。ISBN 978-4-905411-05-5 
  35. ^ 暴れん坊モーガン来日「興奮してるよ。エッヘッヘ」”. sponichi (2013年1月30日). 2013年5月10日閲覧。
  36. ^ モーガン 飛行機ポーズで闘志「ファンサービスだよ」”. sponichi (2013年2月18日). 2013年5月10日閲覧。
  37. ^ セ・パで違いが見える応援歌事情 人気ランキング11万票の熱き思いを分析”. スポーツナビ. 2021年9月14日閲覧。

関連項目 編集

外部リンク 編集