ネリー・フォックス

アメリカ合衆国の野球選手 (1927-1975)

ジェイコブ・ネルソン・フォックスJacob Nelson "Nellie" Fox, 1927年12月25日 - 1975年12月1日)は、ペンシルベニア州セントトーマス出身のプロ野球選手二塁手)。右投げ右打ち。

ネリー・フォックス
Nellie Fox
1953年
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ペンシルベニア州セントトーマス
生年月日 1927年12月25日
没年月日 (1975-12-01) 1975年12月1日(47歳没)
身長
体重
5' 9" =約175.3 cm
150 lb =約68 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 二塁手
プロ入り 1944年
初出場 1947年6月8日
最終出場 1965年7月24日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
殿堂表彰者
選出年 1997年
選出方法 ベテランズ委員会選出

1997年アメリカ野球殿堂入りを果たした。

経歴 編集

1944年シーズン開幕前にMLBフィラデルフィア・アスレチックスとアマチュア契約を結ぶ。同年19歳でMLBデビューするが、アスレチックスでは3年間在籍して98試合の出場にとどまる。1949年トレードで移籍し、シカゴ・ホワイトソックスの正二塁手となった。

小柄だったフォックスは守備の要として毎シーズンほぼフル出場し、打撃面でも常にリーグの打率上位10位に入る活躍をした。首位打者のタイトルはなかったものの、安打数でリーグ最多を記録したシーズンが4度に及ぶ。また1954年から1957年は4年続けて100得点をマークする。また1957年から創設されたゴールドグラブ賞の初年度の受賞者となり、以後通算3度ゴールドグラブ賞に輝いている。

1959年、ホワイトソックスはアル・ロペスの指揮のもと40年ぶりにアメリカンリーグを制覇する。フォックスもこの年打率.306と191安打の成績とともに、自身2度目のゴールドグラブ賞を獲得、同年のリーグ最優秀選手にも選ばれた。ワールドシリーズではドジャースに敗れたものの、フォックスは6試合で24打数9安打、打率.375の成績を残している。なお当時のホワイトソックスはフォックスとルイス・アパリシオで強固な二遊間コンビを形成していて、彼らは1959年と1960年に、二人揃って2年連続のゴールドグラブ賞を獲得するほどであった。

ホワイトソックスには1963年まで在籍し、同年オフにヒューストン・コルト45sにトレードされる。1964年シーズン終了後に一度放出されたが、翌1965年5月に再度契約し、同年アストロズで現役を引退した。

引退後はそのままコーチとしてアストロズに1967年まで在籍、翌1968年からはワシントン・セネターズのコーチとして1972年まで務めた。

しかし、1973年皮膚がんに罹患、そのわずか2年後の1975年12月1日メリーランド州ボルチモアにて死去。まだ47歳という早い死だった。

 
フォックスのホワイトソックス在籍時の背番号「2」。
シカゴ・ホワイトソックスの永久欠番1976年指定。

古巣ホワイトソックスはその死を悼み、翌1976年にフォックスの在籍時の背番号「2」をチーム史上2人目の永久欠番に指定している。

死後、1997年ベテランズ委員会の選定でアメリカ野球殿堂入り。また2006年には、ホワイトソックスの本拠地であるUSセルラー・フィールドに、フォックスの等身大の銅像が建てられた。

プレースタイル 編集

二塁守備では名前通りキツネの敏捷さを発揮し、「併殺プレーを完成させる事が二塁手の最大の義務」と述べていた[1]。フォックスは「三塁手や遊撃手からボールを受け取った後、ジャンプする時、自分は決して一塁ベースを見ない。下を見ていて、土の部分が続いている方向に投げる。首を上げて一塁を見ると、それだけタイムロスが出来る。土の部分さえ見て投げれば、自然とボールは一塁ベースに着く」と自分のプレーについて説明している[1]

詳細情報 編集

年度別打撃成績 編集

















































O
P
S
1947 PHA 7 4 3 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 -- 1 -- 0 0 0 .000 .250 .000 .250
1948 3 14 13 0 2 0 0 0 2 0 1 0 0 -- 1 -- 0 0 0 .154 .214 .154 .368
1949 88 296 247 42 63 6 2 0 73 21 2 2 11 -- 32 -- 6 9 10 .255 .354 .296 .650
1950 CWS 130 504 457 45 113 12 7 0 139 30 4 3 10 -- 35 -- 2 17 6 .247 .304 .304 .608
1951 147 681 604 93 189 32 12 4 257 55 9 12 20 -- 43 -- 14 11 7 .313 .372 .425 .798
1952 152 700 648 76 192 25 10 0 237 39 5 5 15 -- 34 -- 3 14 11 .296 .334 .366 .700
1953 154 692 624 92 178 31 8 3 234 72 4 5 12 -- 49 -- 7 18 15 .285 .344 .375 .719
1954 155 706 631 111 201 24 8 2 247 47 16 9 15 4 51 -- 5 12 13 .319 .372 .391 .763
1955 154 709 636 100 198 28 7 6 258 59 7 9 14 4 38 1 17 15 8 .311 .364 .406 .770
1956 154 721 649 109 192 20 10 4 244 52 8 4 13 5 44 1 10 14 19 .296 .347 .376 .723
1957 155 718 619 110 196 27 8 6 257 61 5 6 5 3 75 2 16 13 7 .317 .403 .415 .818
1958 155 698 623 82 187 21 6 0 220 49 5 6 12 5 47 5 11 11 13 .300 .357 .353 .710
1959 156 716 624 84 191 34 6 2 243 70 5 6 9 5 71 8 7 13 6 .306 .380 .389 .770
1960 150 684 605 85 175 24 10 2 225 59 2 4 14 5 50 2 10 13 11 .289 .351 .372 .723
1961 159 696 606 67 152 11 5 2 179 51 2 3 15 7 59 3 9 12 17 .251 .323 .295 .618
1962 157 684 621 79 166 27 7 2 213 54 1 2 13 5 38 0 7 12 13 .267 .314 .343 .657
1963 137 582 539 54 140 19 0 2 165 42 0 2 10 2 24 1 7 17 10 .260 .299 .306 .605
1964 HOU 133 502 442 45 117 12 6 0 141 28 0 2 20 3 27 1 10 13 8 .265 .320 .319 .639
1965 21 42 41 3 11 2 0 0 13 1 0 0 0 0 0 0 1 2 1 .268 .286 .317 .603
通算:19年 2367 10349 9232 1279 2663 355 112 35 3347 790 76 80 208 48 719 24 142 216 175 .288 .348 .363 .710
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰 編集

脚注 編集

  1. ^ a b 伊東一雄『メジャー・リーグ紳士録』ベースボール・マガジン社、1997年、120-121頁。ISBN 4-583-03411-3 
  2. ^ 1959年 - 1961年はオールスターゲームが年2試合開催された。

出典・外部リンク 編集