ハインツ・リンゲHeinz Linge1913年3月23日1980年3月9日)は、ナチス・ドイツ総統アドルフ・ヒトラーの個人的従卒親衛隊(SS)の隊員であり、最終階級は親衛隊中佐(SS-Obersturmbannführer)。

1935年、親衛隊大尉時のハインツ・リンゲ

略歴 編集

ブレーメン出身。煉瓦職人をしていた。

1932年に国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス党)に入党(党員番号1.260.490)。また親衛隊にも入隊(隊員番号35.795)。

1933年、ヨーゼフ・ディートリヒにより117人のヒトラーのボディーガードである総統警護隊の一人に選ばれた。彼はベルリン総統官邸ベルヒテスガーデンケントシンヴォルフスシャンツェ総統地下壕などヒトラーの住居となる場所でヒトラーの従卒をしていた。ベルリンの戦いの最中のヒトラーの最期の瞬間の目撃者の一人でもある[1]。自殺したヒトラーの遺体を焼いた人物の一人でもある[1]

敗戦後、ソ連軍の捕虜となる。ヒトラーの死についての尋問を受けた。その後、ソ連から25年の強制労働刑に処されたが、1955年には西ドイツへ送還された。

1980年に故郷のブレーメンで死去。

脚注 編集

  1. ^ a b フォルカー(2022年)、23-25頁。

参考文献 編集

  • フォルカー・ウルリヒ 著、松永美穂 訳『ナチ・ドイツ最後の8日間 1945.5.1-1945.5.8』すばる舎、2022年。 

関連 編集