ハインリヒ・フォン・シュパイアー

ハインリヒ・フォン・シュパイアー(Heinrich von Speyer, 970年頃 - 989/92年)は、ザーリアー家の一員で、皇帝コンラート2世の父。

ハインリヒ・フォン・シュパイアー
Heinrich von Speyer
シュパイアー伯

出生 970年
死去 989/92年
埋葬 神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国ヴォルムス大聖堂
配偶者 アーデルハイト・フォン・メッツ
子女 コンラート2世
ユーディト
家名 ザーリアー家
父親 ケルンテン公オットー1世
母親 ユーディト・フォン・バイエルン
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生涯 編集

977年のランブレヒト修道院の寄進証書によると、ハインリヒはケルンテン公オットー1世とその妻ユーディトの間の長男である[1]ジラール家のメッツ伯ジェラール3世およびアダルベール2世の姉妹アーデルハイトと結婚し、息子コンラート(後の皇帝コンラート2世[2]および娘ユーディトをもうけた。弟ブルーノは996年に教皇に選出され(グレゴリウス5世)、弟コンラート1世が1004年に父の跡を継いでケルンテン公となった。

ハインリヒは20歳ほどで父に先立って死去したため、その生涯についてはほとんど知られていない。ハインリヒは990年頃死去し、ヴォルムス大聖堂の娘ユーディトの隣に埋葬された。妻アーデルハイトはハインリヒの死後、バーベンベルク家(ポッポ家)出身とみられるフランケン貴族と再婚し、1046年に死去した。

脚注 編集

  1. ^ Walter 2016, p. l.
  2. ^ Wolfram 2006, p. 18.

参考文献 編集

  • Wilson, Peter H. (2016). Heart of Europe: A History of the Holy Roman Empire. Harvard University Press 
  • Wolfram, Herwig (2006). Conrad II, 990-1039: Emperor of Three Kingdoms. The Pennsylvania State University Press