ハーミズ・パンHermes Pan1909年12月10日 - 1990年9月19日)は主として1930年代~50年代のミュージカル映画で活躍したアメリカ合衆国振付師ダンサーフレッド・アステアの出演作で多く振付を行った。

ハーミズ・パン

ギリシア系移民の子として生まれダンサーを志すが、折からの世界恐慌のあおりもあって芽が出ず、活動の場を初期のハリウッドに移す。『空中レビュー時代』でアステアに見出され、以後、RKOのアステア=ロジャース映画で振付師として活躍した。

アステアは主演したほとんどすべての映画においてミュージカル・シーンを自分で振付けることにしていたが、その際に相談相手となってさまざまな提案をしたり、時にはペア・ダンスの相手役をつとめたりしたのがパンであった。パンに対するアステアの信頼は絶対的なもので、撮影の前にはかならず数週間にわたって、アステアとパン、リハーサル・ピアニストの三人だけで振付・リハーサルの作業が行われた。またアステア=ジンジャー映画で、多忙なジンジャーに代わり、撮影後彼女のタップ音の大半を録音したのもパンである。

ジンジャーとのコンビ解消後もアステア映画に参加し、1960年代のテレビ番組でも振付を行ったが、『フィニアンの虹』では振付が不評で途中降板させられるなど、徐々に時代の流行と合わなくなり、同作を最後に映画から引退した。

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