パオロ・モンテーロ

ウルグアイのサッカー選手

パオロ・ロナルド・モンテーロ・イグレシアスPaolo Rónald Montero Iglesias, 1971年9月3日 - )は、ウルグアイモンテビデオ出身の元同国代表サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー。現ユヴェントスFCU-19監督。

パオロ・モンテーロ
チリ地震慈善試合への参加時(2010年)
名前
本名 パオロ・ロナルド・モンテーロ・イグレシアス
Paolo Rónald Montero Iglesias
ラテン文字 Paolo MONTERO
基本情報
国籍 ウルグアイの旗 ウルグアイ
スペインの旗 スペイン
生年月日 (1971-09-03) 1971年9月3日(52歳)
出身地 モンテビデオ
身長 179cm
体重 74kg
選手情報
ポジション DF (CB)
利き足 左足
ユース
1990 ウルグアイの旗 ペニャロール
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1990-1992 ウルグアイの旗 ペニャロール 34 (1)
1992-1996 イタリアの旗 アタランタ 114 (4)
1996-2005 イタリアの旗 ユヴェントス 186 (1)
2005-2006 アルゼンチンの旗 サン・ロレンソ 14 (1)
2006-2007 ウルグアイの旗 ペニャロール 26 (1)
1990-2007 通算 374 (8)
代表歴
1991-2005 ウルグアイの旗 ウルグアイ 61 (5)
監督歴
2014 ウルグアイの旗 ペニャロール(ユース)
2014 ウルグアイの旗 ペニャロール(暫定)
2016 アルゼンチンの旗 ボカ・ウニドス英語版
2016 アルゼンチンの旗 コロン
2017 アルゼンチンの旗 ロサリオ・セントラル
2019-2020 イタリアの旗 サンベネデッテーゼ
2021 イタリアの旗 サンベネデッテーゼ
2021 アルゼンチンの旗 サン・ロレンソ
2022- イタリアの旗 ユヴェントスU-19
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

経歴 編集

1対1に強いセンターバック。セリエA最多退場記録という不名誉な記録を持つが[1]マルチェロ・リッピ監督時代のユヴェントスFCではディフェンスの要として活躍した。ユヴェントスではセリエA4回、インターコンチネンタルカップにそれぞれ1回優勝した。しかし、2004-05シーズンファビオ・カンナヴァーロが加入すると出場機会が激減し、2005年夏にCAサン・ロレンソ・デ・アルマグロに移籍した。2006年に地元クラブのペニャロールに復帰して、2007年に引退した[2]

ウルグアイ代表では1991年から2005年までプレイして、61試合5得点。2002年FIFAワールドカップに出場した。

2014年11月、古巣ペニャロールの監督に就任した[3]

2016年にはCAボカ・ウニドスCAコロンで指揮を執り、翌年1月よりCAロサリオ・セントラルと1年半の契約を交わした[4]

2022年6月28日、古巣ユヴェントスのU-19のカテゴリの監督になることが発表[5]

エピソード 編集

  • 父であるフリオ・モンテーロ英語版も元ウルグアイ代表サッカー選手。
  • 元日本代表の戸田和幸氏は現役時代、センターバックとしてサイズや身体能力に秀でたものがないならばどうすれば良いのかを考え、「スピードは全くなく高さもないが、相手FWとの駆け引きに長け、戦術理解度が高く、時には厳しいチャージも厭わない」モンテーロのプレースタイルをロールモデルとしていた。

タイトル 編集

ユヴェントス

脚注 編集

  1. ^ Mexico v Uruguay Report”. ESPNsoccernet (2004年7月8日). 2007年7月16日閲覧。
  2. ^ Soccer-Uruguay hard man Montero reported to have retired”. Reiters. UK (2007年5月22日). 2007年7月16日閲覧。
  3. ^ 元ウルグアイ代表DFモンテーロ氏、古巣ペニャロール指揮官に就任 ”. サッカーキング (2014年11月12日). 2014年11月12日閲覧。
  4. ^ Central confirmó a Paolo Montero como reemplazante de Coudet”. El Gráfico (2017年1月3日). 2017年10月11日閲覧。
  5. ^ https://www.juventus.com/it/juventus-tv/u19-montero-felice-di-essere-di-nuovo-a-casa

外部リンク 編集