パット・ギリック

アメリカの野球エグゼクティブ (1937 - )

ローレンス・パトリック・デビッド・ギリックLawrence Patrick "Pat" David Gillick , 1937年8月22日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州チコ出身の元プロ野球選手投手)、元ゼネラルマネージャー。左投げ左打ち。

パット・ギリック
Pat Gillick
フィラデルフィア・フィリーズのワールドシリーズ優勝パレード(2008年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
カナダの旗 カナダ
二重国籍[1]
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
カリフォルニア州チコ
生年月日 (1937-08-22) 1937年8月22日(86歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
185 lb =約83.9 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1958年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
殿堂表彰者
選出年 1997年
殿堂表彰者
選出年 2011年
得票率 81.25%
選出方法 ベテランズ委員会選出

敏腕ゼネラルマネージャーとして1992年1993年トロント・ブルージェイズで、2008年にはフィラデルフィア・フィリーズで計3度のワールドシリーズ制覇を実現させ、2011年アメリカ野球殿堂入りを果たした[2]

経歴 編集

南カリフォルニア大学に在学、1958年カレッジ・ワールドシリーズで活躍して優勝に貢献した。

大学卒業後はボルチモア・オリオールズピッツバーグ・パイレーツ傘下AAA級のマイナーリーグチームで1959年から1963年まで5シーズンプレー。MLBには一度も昇格することが出来ずに現役を引退した。

現役引退後はヒューストン・アストロズで営業部門のキャリアを開始した。アストロズでは最終的にスカウト部長にまで昇進した。1974年ニューヨーク・ヤンキースへ移籍して選手育成部門スタッフとなる。

1976年トロント・ブルージェイズへ移籍、人事副部長に就任した。1977年ゼネラルマネージャー(GM)補佐、1978年にGMに就任した。ブルージェイズは拡張球団であったにもかかわらず、球団創立8年目の1985年に初の地区優勝を飾った。先陣を切ってドミニカ共和国に球団直属のアカデミーを設立、契約を交わしたドミニカ人の若者が多くがレギュラーになるまでに成長した。1989年1991年にもブルージェイズは地区優勝。そして1992年1993年に2年連続のワールドシリーズ制覇を達成した。1994年に球団との対立からGMを退任すると、ブルージェイズは高年俸の主力選手を相次いで放出し、2006年まで一度も地区2位以内に入ることが出来ない低迷期に入った。

1996年から1998年まで3年契約でボルチモア・オリオールズのGMを務め、ブルージェイズからロベルト・アロマーを補強するなどして、オリオールズは1996年と1997年に2年連続でプレーオフに進出した。

2000年シアトル・マリナーズのGMに就任。2000年と翌2001年にマリナーズはプレーオフに進出した。2001年のシーズン116勝は1906年シカゴ・カブスと並び、MLBの歴代最多記録となっている。ケン・グリフィー・ジュニアアレックス・ロドリゲスフリーエージェント(FA)で放出する一方で、イチローブレット・ブーンらを獲得した。2003年にGMを退任すると、マリナーズは投打の主力選手の成績が落ち込み、翌2004年から3年連続で地区最下位に沈んだ。

2005年フィラデルフィア・フィリーズのGMに就任。若手の育成に励み、フィリーズは2007年にプレーオフに進出、2008年にはワールドシリーズ制覇を達成。同年にGMを退任した。

卓越した先見性と決断力が評価され、1997年にカナダ野球殿堂入りを果たしている。2011年7月24日にはベテランズ委員会の選考により、アメリカ野球殿堂入りを果たした。

脚注 編集

  1. ^ Roberto Alomar: MLB's best-ever 2nd baseman?” (英語). CBC.ca. 2013年7月29日閲覧。
  2. ^ Pat Gillick Elected to the National Baseball Hall of Fame by Expansion Era Committee” (英語). BaseballHall.org. 2013年7月29日閲覧。

外部リンク 編集