パトリック・エムボマ

カメルーンの元サッカー選手(1970-)

パトリック・エムボマHenri Patrick Mboma Dem, 1970年11月15日 - )は、カメルーン出身の元同国代表サッカー選手

パトリック・エムボマ
名前
本名 アンリ・パトリック・ンボマ・デム
Henri Patrick Mboma Dem
愛称 浪速の黒豹、ボマちゃん
ラテン文字 Patrick MBOMA
基本情報
国籍 カメルーンの旗 カメルーン
フランスの旗 フランス
生年月日 (1970-11-15) 1970年11月15日(53歳)
出身地 カメルーンの旗 ドゥアラ
身長 185cm
体重 85kg
選手情報
ポジション FW (CF)
利き足 左足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
-1990 フランスの旗 スタード・ドゥレスト
1990-1997 フランスの旗 パリ・サンジェルマン 16 (2)
1992-1994 フランスの旗 シャトールー (loan) 48 (22)
1995-1996 フランスの旗 メス (loan) 17 (4)
1997-1998 日本の旗 ガンバ大阪 34 (29)
1998-2000 イタリアの旗 カリアリ 40 (15)
2000-2001 イタリアの旗 パルマ 24 (5)
2002 イングランドの旗 サンダーランド (loan) 9 (1)
2002-2003 リビアの旗 Al-Ittihad Club 28 (12)
2003-2004 日本の旗 東京ヴェルディ 35 (17)
2004-2005 日本の旗 ヴィッセル神戸 10 (2)
代表歴2
1995-2004 カメルーンの旗 カメルーン 57 (33)
獲得メダル
男子 サッカー
オリンピック
2000 シドニー サッカー
1. 国内リーグ戦に限る。2014年12月2日現在。
2. 2014年12月2日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

本来の発音は唇を閉じて「ンボマ」とするのが正しいが、フランスで過ごしていた時代に誤って「M'boma」と綴られたため「エムボマ」と呼ばれるようになったとされる。

来歴 編集

カメルーンドゥアラで生まれるが、2歳の時に家族と共にフランスに移住したためフランスとの2重国籍。そのため、EU圏内では外国人選手扱いにならなかった。代表ではカメルーン代表を選択した。

パリのスタード・ドゥレスト(Stade de l'Est Pavillonnais)でキャリアをスタート、後にパリ・サンジェルマンFCに移籍。しかしレンタル移籍を繰り返し、あまり出場機会に恵まれなかった[1]1993-94シーズンには3部リーグのLBシャトールーに貸し出され、ここでは29試合出場17得点と活躍。1995-96シーズンには1部リーグのFCメスに貸し出される。

1997年Jリーグガンバ大阪に移籍。圧倒的な身体能力とシュート力で、強烈な存在感を示し、ガンバ在籍時には「浪速の黒豹」と呼ばれていた[2]。開幕戦となった4月12日のベルマーレ平塚戦でJリーグデビュー、浮き球を巧みにコントロールして相手をかわし、強烈なボレーで[1]初ゴールを決めた[3]。4月16日の横浜マリノス[4]、4月19日の清水エスパルス戦と[5]、開幕から3試合で4ゴールを決めるなど、年間28試合出場25得点の活躍でJリーグ得点王を獲得した。また同年のJリーグオールスターサッカーでもハットトリックを決めた[6]。翌、1998年4月18日の柏レイソル戦ではハットトリックを達成した[7]カメルーン代表でもエースとしてフランスW杯・アフリカ予選で活躍し、出場権獲得に貢献。しかし1998年に行われた本大会ではチーム事情により第1戦、2戦に守備的ボランチとして起用された[8]。本来のFWに戻されたグループリーグ第3戦のチリ戦でヘッドによる得点を決めたものの、チームは2分け1敗のグループ最下位で敗退した[8]

1998-99シーズンからは再びヨーロッパに舞台を移し、イタリア・セリエAカリアリパルマイングランドプレミアリーグサンダーランドでもプレーした。1999-00シーズンのコッパ・イタリアでは6ゴールを挙げて大会得点王になるなど[9]、一定の活躍は見せたものの、本領を発揮することはできなかった。しかし、カメルーン代表としては着々とキャリアを積み、2000年にはシドニーオリンピックオーバーエイジで出場し、4ゴールを決めて優勝に導き[8]アフリカ年間最優秀選手賞も受賞した[8]。代表の兄貴分として、サミュエル・エトオをはじめ選手にも慕われた。

2002年FIFAワールドカップ日韓大会にも出場。しかし、直前に両足踵を痛めてしまい、本来の動きを取り戻せないまま、アイルランド戦での1ゴールのみ[8]、チームは1次リーグ敗退に終わった。2003年からはJリーグの東京ヴェルディ1969でプレー。今度は公募により制定された愛称「ボマちゃん」で親しまれた[10]。2003年7月16日 予選Aグループ/第6節 ジュビロ磐田戦ではハットトリックを決めた[11]

2004年アフリカ選手権では得点王を獲得。2004年シーズンは膝の古傷が完治せず、途中出場が続くようになり、結局、ヴェルディを退団し、ヴィッセル神戸に移籍するものの、度重なる故障のため最後まで本来の輝きを取り戻せなかった[8]。同年8月29日、2ndステージ第3節のアルビレックス新潟で決めたゴールは[12]現役最後のゴールとなった。

2005年故障のため4試合出場0得点に終わり、5月16日に現役を引退した。Jリーグでは通算79試合48ゴール、Jリーグカップでは13試合11ゴールの成績を残した[3]

現在は、カメルーン代表のアドバイザーを経て、実業家として会社を経営。また、2008年1月にはMF鈴木規郎がフランスのクラブチーム、アンジェに短期留学した際のコーディネイターを務めるなど、FIFA公認代理人としての活動もしている。

2010年9月、2022 FIFAワールドカップを日本で開催するための「招致アンバサダー」に就任した。

個人成績 編集

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
フランス リーグ戦 F・リーグ杯フランス杯 期間通算
1990-91 パリSG アン 0 0
1991-92 0 0
1992-93 シャトールー ドゥ 19 5
1993-94 全国 29 17
1994-95 パリSG アン 8 1
1995-96 メス 17 4
1996-97 パリSG 8 1
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1997 G大阪 9 J 28 25 5 4 1 0 34 29
1998 6 4 - - 6 4
イタリア リーグ戦 イタリア杯オープン杯 期間通算
1998-99 カリアリ 9 セリエA 13 7
1999-00 27 8
2000-01 パルマ 70 20 5
2001-02 4 0
イングランド リーグ戦 FLカップFAカップ 期間通算
2001-02 サンダーランド 7 プレミア 9 1
リビア リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2002-03 アル・イテハド 28 12
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2003 東京V 9 J1 23 13 3 3 3 0 29 16
2004 12 4 5 4 - 17 8
神戸 6 2 0 0 0 0 6 2
2005 4 0 0 0 - 4 0
通算 フランス アン 35 6
フランス ドゥ 19 5
フランス 全国 29 17
日本 J1 79 48 13 11 4 0 96 59
イタリア セリエA 64 20
イングランド プレミア 9 1
リビア 28 12
総通算 263 109


獲得タイトル 編集

クラブ 編集

パリ・サンジェルマンFC

FCメス

オリンピック
サッカー
2000 男子サッカー

代表 編集

U-23カメルーン代表

カメルーン代表

個人 編集

関連項目 編集

出典 編集

  1. ^ a b ガンバ大阪、歴代最強外国籍選手5人。衝撃的だったエムボマとタイトル獲得に貢献したブラジル人ストライカー”. www.footballchannel.jp. 2020年4月28日閲覧。
  2. ^ 浪速の黒豹”エムボマはいま~息子の「ケンジ」はパリSGの下部組織に在籍”. /www.soccerdigestweb.com. 2020年4月21日閲覧。
  3. ^ a b パトリック・エムボマ”. data.j-league. 2020年4月21日閲覧。
  4. ^ 1997Jリーグ 1stステージ 第2節”. /www.soccerdigestweb.com. 2020年4月21日閲覧。
  5. ^ 1997Jリーグ 1stステージ 第3節”. /www.soccerdigestweb.com. 2020年4月21日閲覧。
  6. ^ 97JリーグKodakオールスターサッカー”. data.j-league. 2020年4月21日閲覧。
  7. ^ J1 ハットトリック一覧”. data.j-league. 2020年4月21日閲覧。
  8. ^ a b c d e f パトリック・エムボマ”. web.ultra-soccer. 2020年4月21日閲覧。
  9. ^ Coppa Italia Top scorers”. RSSF. 2022年2月21日閲覧。
  10. ^ 東京ヴェルディのパトリック・エムボマ選手の愛称が「ボマちゃん」に。”. Narinari.com (2003年3月3日). 2013年9月21日閲覧。
  11. ^ Jリーグカップ ハットトリック一覧”. data.j-league. 2020年4月21日閲覧。
  12. ^ 2004Jリーグ ディビジョン1 2ndステージ 第3節”. data.j-league. 2020年4月21日閲覧。

外部リンク 編集