パーク・ロウ (マンハッタン)

パーク・ロウ (Park Row) はニューヨーク市ダウンタウンマンハッタンを走る通りである。かつてはチャタム・ストリートであった[1]。また、19世紀後半にはニュースペーパー・ロウ (Newspaper Row) とあだ名されていた。なぜなら、ニューヨーク市庁舎でのニュースに迅速にアクセスできるよう、ニューヨーク市のほとんどの新聞社はこの通り沿いに本社を構えていたためである[2]。この通りは北東ー南西を斜めに走っており、北西端はチャタム・スクエアで、南西端はダウンタウンシティ・ホール・パークの南側である。

Park Row
15 パーク・ロウ - パーク・ロウ沿いに建つ初期の高層建築物
パーク・ロウ (マンハッタン)の位置(マンハッタン内)
パーク・ロウ (マンハッタン)
マンハッタンにおける位置
座標40.42429 N 74.0221 W
西端ブロードウェイヴェセイ・ストリート (en)/アン・ストリート (en)
東端チャタム・スクエア
1903年のニュースペーパーロウ。中央は1875年に建てられた初代トリビューン・ビル (en) 。

ニューヨーク・タイムズは元々は113 ナッソー・ストリートに所在していた本社ビルで1851年に創刊した。1854年に138 ナッソー・ストリートへ移転し、1858年にはさらに1ブロック北の41 パーク・ロウ (en) へと移ってきた。おそらく、この時に建てられたビルは、ニューヨーク市の新聞社により初めて建設・所有された自社ビルとなった[3]。同時期に、New Yorker Staats-Zeitung17 チャタム・ストリート(en) を自社ビルとして移転してきている[4]

ベンジャミン・フランクリン像

パーク・ロウのこの一画はプリンティング・ハウス・スクエア (Printing House Square) として知られるようになった。現在は、ベンジャミン・フランクリン像がこのスクエアのワン・ペース・プラザ (en) とペース大学 (en) の41 パーク・ロウのビルの前に建っている。彼の手には当時著名な新聞であったPennsylvania Gazetteが握られており、パーク・ロウがかつてニュースペーパー・ロウであった歴史が反映されている。

18世紀後半、イースタン・ポスト・ロードがニューヨーク市とオールバニニューイングランドをつなぐ道路として重要な存在であった。19世紀初頭、この道路のマンハッタンを通っていた部分のほとんどは都市開発で失われてしまった。その道路沿いにあった公園 (Commons) はシティ・ホール・パークとなり、その脇に残されたこの道路の名残がその時にチャタム・ストリートとなり、後にパーク・ロウと改名された。

超高層ビルと呼ばれる最初のものの一つであるパークロウビル(15 パーク・ロウ)は、パーク・ロウの南端、シティ・ホール・パークの向かいに位置している。高さ391フィート (119 m)で、1899年から1908年の間、シンガービルに抜かれるまでは世界一高い高層ビルであった。29階建てで、そのうち26階は通常のフロアで、3階建ての丸屋根を二つ持つ構造となっている。ビルの正面はパーク・ロウに沿って長さ103 ft (31 m)であり、側面はアン・ストリート沿いに (en) 23フィート (7.0 m)、シアター・アレイ (en) 沿いに48フィート (15 m)である。建物の土地占有面積は約15,000平方フィート (1,400 m2)である。

ニューヨーク市警察本部はパーク・ロウ沿いのマンハッタン・ミュニシパル・ビルメトロポリタン矯正センターの向かいの1 ポリス・プラザ (en) に位置している[5]。2013年現在、パーク・ロウのフランクフォート・ストリート (en) からチャタム・スクエアの区間はMTAバスおよび政府と緊急車両以外の通行はできないこととなっている。

パーク・ロウの北端はバワリーイースト・ブロードウェイ (en)、セント・ジェームス・プレイス (en)、オリバー・ストリート (en)、モット・ストリート (en)、ワース・ストリート (en) の合流点であり、南端はブロードウェイヴェセイ・ストリート (en)、バークレイ・ストリート (en)、アン・ストリート (en) の合流点である。

脚注 編集

  1. ^ "Outrages by 'Pullers in'; The Nuisances of Park Row and Baxter Street. One Man Killed Last Year After Refusing to Buy Goods" (PDF) , The New York Times, June 22, 1893, p. 2. "約40年前、本家Harris Cohenはバクスター・ストリートとパーク・ロウ(当時はチャタム・ストリート)の角に古着ショップを設立した。"
  2. ^ Shepard, Richard F. "SEEING THE EVOLUTION OF NEW YORK CITY THROUGH ARTISTS' EYES", The New York Times, March 20, 1987. Accessed February 24, 2008. "19世紀後半にニューヨーク市の新聞業界のホームであったシティ・ホール、ニュースペーパー・ロウまたはパーク・ロウとナッソー・ストリートの壁画がある。"
  3. ^ Dunlap, David W. "150th Anniversary: 1851-2001; Six Buildings That Share One Story", The New York Times, November 14, 2001. Accessed October 10, 2008. "現在も残る当時の高層ビルの中で最も注目すべきは113 ナッソー・ストリートであろう。New-York Daily Timesは1851年にここで誕生した....。三年後には 138 ナッソー・ストリートに、その四年後にはThomas R. Jackson設計の5階建てのロマネスク様式の本社41 パーク・ロウへと移転した。これはニューヨーク市の新聞社が自社ビルを構えた最初の出来事であった。"
  4. ^ New-Yorker Staats-Zeitungの65年の発展の縮図. 1899. Staats-Zeitungが自社の歴史と新しい印刷能力を示すために発行・配布した無料パンフレット。この資料はStaats-Zeitungはチャタム・ストリートにある自社ビルでの出版業務を遅くとも1858年4月、早くともおそらくその一年前には行っていたことを示唆している。
  5. ^ Buckley, Cara. "Chinatown Residents Frustrated Over Street Closed Since 9/11", The New York Times, September 24, 2007. "ニューヨーク市警察はワン・ポリス・プラザと呼ばれる警察本部をテロ攻撃、特にトラック爆弾から守るためにパーク・ロウの大部分は一般に閉鎖されていなければならないとしている。"

外部リンク 編集

座標: 北緯40度42分42.9秒 西経74度0分22.1秒 / 北緯40.711917度 西経74.006139度 / 40.711917; -74.006139