ビム・ヤンセン

オランダのサッカー選手、監督

ヴィルヘルム・マリヌス・アントニウス・ヤンセン(Wilhelm Marinus Anthonius Jansen、1946年10月28日 - 2022年1月25日)は、オランダロッテルダム出身[1] の元同国代表サッカー選手、サッカー指導者。

ビム・ヤンセン
名前
ラテン文字 Wim Jansen
基本情報
国籍 オランダの旗 オランダ
生年月日 (1946-10-28) 1946年10月28日
出身地 ロッテルダム
没年月日 (2022-01-25) 2022年1月25日(75歳没)
選手情報
ポジション MF/DF
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1965-1980 オランダの旗 フェイエノールト 422 (34)
1980 アメリカ合衆国の旗 ワシントン・ディプロマッツ英語版 27 (0)
1980-1982 オランダの旗 アヤックス・アムステルダム 49 (0)
代表歴2
1967-1980 オランダの旗 オランダ 65 (1)
監督歴
1982-1986 オランダの旗 フェイエノールトユースコーチ
1986-1987 オランダの旗 フェイエノールトアシスタント
1987-1988 ベルギーの旗 スポルティング・ロケレン監督
1988-1990 オランダの旗 スヒーダムVV英語版TD
1990-1993 オランダの旗 フェイエノールトTD
1991 オランダの旗 フェイエノールト暫定監督
1992 オランダの旗 フェイエノールト暫定監督
1994 サウジアラビアの旗 サウジアラビアアシスタント
1995-1996 日本の旗 サンフレッチェ広島監督
1997-1998 スコットランドの旗 セルティック監督
2002-2003 日本の旗 浦和レッドダイヤモンズアシスタント
2005-2009 オランダの旗 フェイエノールトアドバイザー
2008-2009 オランダの旗 フェイエノールトアシスタント
2011-2022 オランダの旗 フェイエノールト育成SV
1. 国内リーグ戦に限る。2007年6月6日現在。
2. 2007年6月6日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

来歴 編集

現役時代 編集

1974年リヌス・ミケルスに率いられたオランダ代表でトータルフットボールを体現した一人。 現役時代は守備的なミッドフィールダー、あるいはリベロとして活躍した。

1965年、地元のクラブであるエールディヴィジのフェイエノールトと契約しMFとしてヴィレム・ファン・ハネヘムフランツ・ハジル英語版らとプレー、4度のリーグ・1度のKNVBカップ優勝、1969年-1970年シーズンのチャンピオンズカップ、1970年インターコンチネンタルカップ、1973年-1974年シーズンのUEFAカップ制覇に貢献した[1][2][3]

また代表では、1967年10月4日欧州選手権予選デンマーク代表戦(コペンハーゲン)で代表デビュー、以来65試合に出場。1974 FIFAワールドカップ1978 FIFAワールドカップの2度のW杯決勝進出に貢献した[3]

1980年、北米サッカーリーグワシントン・ディプロマッツ英語版へ移籍、ヨハン・クライフらとプレーしている[2][3]。同年12月にはオランダに戻りアヤックス・アムステルダムでプレーし1度のリーグ優勝に貢献し1982年に引退した[2][3]

引退後 編集

引退後はフェイエノールトに戻り指導者として、1987年からベルギー1部のK.S.C.ロケレン監督として活躍[3]。その後エールステ・ディヴィジのスヒーダムVV(現在のFCドルトレヒト)でテクニカルディレクターに就任した。

1990年から1993年まで古巣フェイエノールトでテクニカルディレクターを務めた。その期間中、1991年成績不振によるギュンター・ベングソン英語版監督解任、1992年ハンス・ドルジ英語版監督の体調不良に伴い、2度暫定でフェイエノールト監督を務めている。1992年KNVBカップ優勝監督[1]

1994年、レオ・ベーンハッカー監督の下、サウジアラビア代表アシスタントコーチとして活躍した[3]

1995年、ハンス・オフトの紹介[4]Jリーグ・サンフレッチェ広島監督に就任する[5]。前年サントリーステージで優勝し4-4-2で戦っていたチームを、オランダ型3-4-3に変えトータルフットボールを目指すものの、あまりにも戦術を変えすぎたためチームが付いていかずリーグ戦では低迷した。が、天皇杯では面目躍如し、2年連続で決勝へ進出させている[6][7]

1997年、スコティッシュ・プレミアリーグセルティック監督に就任。ライバルチームであるグラスゴー・レンジャーズFCの10連覇を阻み、セルティックに久しぶりにリーグ戦優勝をもたらした[2][3]。同年スコットランド最優秀監督賞に輝く。しかしファーガス・マッキャン英語版球団取締役との軋轢により1シーズンで同チームを退団する[8]

2002年、ハンス・オフトがJリーグ・浦和レッドダイヤモンズ監督に就任したのに伴いアシスタントコーチを務めた[9]

その後はオランダに戻り2005年からフェイエノールトでテクニカルアドバイザーを務めている[10]。2008年にヘルトヤン・フェルベーク監督就任に伴い、アシスタントコーチを兼務する[11] も、チーム成績悪化からフェルベークは解任されるとテクニカル・ディレクターのピーター・ボスと共に連帯で辞任した[12]

2011年8月、その経験を買われフェイエノールトの育成スーパーバイザーとして復帰した[13]

2021年10月に発行された自著内で認知症であることを公表。

2022年1月25日、死去。75歳没。訃報は同日、フェイエノールトの公式ホームページ上で発表された[14][15]

監督成績 編集

年度 所属リーグ 大会名 試合数 勝点 勝利 引分 敗戦 順位 チーム
1995年 J 1st 26 39 13 - 13 10位 サンフレッチェ広島
2nd 26 28 9 - 17 12位
1996年 J 年間 30 30 10 - 20 14位

タイトル 編集

選手時代 編集

フェイエノールト
アヤックス・アムステルダム
  • エールディヴィジ:1回(1981-82)

指導者時代 編集

フェイエノールト
  • KNVBカップ:2回(1990-91、1991-92)
セルティックFC
個人
  • SFWA年間最優秀監督:1回(1997-98)

ギャラリー 編集

脚注 編集

  1. ^ a b c Feyenoord feliciteert Wim Jansen”. フェイエノールト (2011年10月28日). 2013年5月28日閲覧。
  2. ^ a b c d EuroChampsChallenge Medallion Man: Feyenoord's Wim Jansen”. totalfootballnl.com. 2013年5月28日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g Wim Jansen - Feyenoord”. stv sport (2011年5月18日). 2013年5月28日閲覧。
  4. ^ 共にフェイエノールトOBで在籍年も被っており、またオフトはサンフレッチェ広島の前身であるマツダSCで監督を務めた経験がある。
  5. ^ 加部究「GM考察 第1章 広島のドン:今西氏のクラブGM論」『サッカー批評』第33号、2006年12月。 
  6. ^ ユースチームが初の王者に、成長を印象づけたシーズン”. NikeFootballJapan(facebook) (2012年4月6日). 2013年5月28日閲覧。
  7. ^ 本拠地が正式移転、ビッグアーチとともに新たなステージへ”. NikeFootballJapan(facebook) (2012年4月19日). 2013年5月28日閲覧。
  8. ^ Jansen quits Celtic”. BBC (1998年5月11日). 2013年5月28日閲覧。
  9. ^ WIM JANSEN VERTREKT BIJ URAWA RED DIAMONDS”. フェイエノールト (2003年6月11日). 2013年5月28日閲覧。
  10. ^ WIM JANSEN TAKES ON ADVISORY ROLE”. フェイエノールト (2005年2月6日). 2013年5月28日閲覧。
  11. ^ Wim Jansen new assistant coach of Feyenoord”. dutch-football.com (2008年6月3日). 2013年5月28日閲覧。
  12. ^ Bosz en Jansen solidair met Verbeek”. AD.nl (2009年1月14日). 2013年5月28日閲覧。
  13. ^ Wim Jansen gaat jeugd Feyenoord helpen”. AD.nl (2011年8月6日). 2013年5月28日閲覧。
  14. ^ "Clubicoon Wim Jansen (75) overleden" (Press release) (オランダ語). Feyenoord B.V. 25 January 2022. 2022年1月25日閲覧
  15. ^ 元広島監督のビム・ヤンセン氏死去 かつてクライフ氏が「耳を傾ける価値がある4人のうちの1人」と語る”. スポニチ Sponichi Annex. スポーツニッポン新聞社 (2022年1月26日). 2022年1月26日閲覧。

参考資料 編集

外部リンク 編集