ピエール・ルイ・デュロン

ピエール・ルイ・デュロン(Pierre Louis Dulong 、1785年2月12日 - 1838年7月19日)はフランスの化学者、物理学者である。比熱に関するデュロン=プティの法則で知られる。

Pierre Louis Dulong

人物 編集

ルーアンに生まれた。エコール・ポリテクニークで学んだ。始め、薬学を学んだが、ルイ・テナールのもとで、一般化学に転じた。1820年から1829年の間、アレクシス・プティの後を継いで、物理学の教授となった。その後研究主任(directeur des etudes)を務めた。

化学の分野では、化合物の複分解亜硝酸、リンの酸化物、窒素の酸化物、金属の触媒作用などの研究に功績があった。1812年、三塩化窒素が自己反応熱によって爆発がおこることを自らの2本の指と片目を失うことによって発見した。

物理化学の分野ではプティと共同で金属の比熱が、金属の原子量に反比例することを示し、デュロン=プティの法則と呼ばれる。