フィリッピーノ・リッピ

イタリアの画家

フィリッピーノ・リッピFilippino Lippi,1457年 - 1504年4月)は、イタリア画家フィリッポ・リッピの息子。母は父の聖母子像のマリアのモデルにもなったルクレツィア・ブティ

フィリッピーノ・リッピ
Filippino Lippi
自画像。 Detail from The Dispute with Simon Magus (1481–1482)
フレスコ, イタリアフィレンツェSanta Maria del Carmine,Brancacci Chapel
本名 Filippo Lippi
誕生日 1457年
出生地 フィレンツェ共和国, プラート
死没年 1504年4月
死没地 フィレンツェ共和国, フィレンツェ
国籍 イタリア
運動・動向 ルネサンス
芸術分野 絵画, フレスコ画
教育 フィリッポ・リッピ
代表作 Apparition of the Virgin to St Bernard
Adoration of the Magi
影響を与えた
芸術家
Raffaellino del Garbo
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生涯 編集

フィレンツェ共和国プラートで生まれた。有名な画家であったフィリッポ・リッピが、プラートのサンタ・マルゲリータ修道院の修道女であったルクレツィア・ブティを自宅に連れ帰り一緒に住むようになりフィリッピーノ・リッピが生まれたのはフィリッポ・リッピが51歳ほどの時であった。コジモ・デ・メディチのとりなしで正式の夫婦になることが許され、父親が再びプラートの大聖堂の壁画の仕事に戻り、フィリッピーノ・リッピは父親の仕事場で父親の弟子のサンドロ・ボッティチェッリ(1445-1510)らに学んだ。12歳になった1469年に父親が亡くなると、父親の弟子であったフラ・ディアマンテ(Fra Diamante: c.1430–c.1498)のもとで養育された。23歳になった1480年からフィレンツェのサンタ・マリア・デル・カルミネ聖堂のブランカッチ礼拝堂のマサッチオ(1401-1428)が未完で残した壁画の仕事に取組み1484年ころにに完成させた。父同様画家となり、メディチ家お抱えになった。特に、ボッティチェリと共にフィレンツェの黄金期を築いたロレンツォ・デ・メディチから注文を受けフィレンツェやローマのに教会の壁画を描いた。

1497 年に結婚し、3人の息子が生まれたが1504年に47歳で没した。

ギャラリー 編集