フィリップ・デュサール

フィリップ・デュサール(またはデュッサールPhilippe Dussart, 1928年4月9日 - 2013年3月25日)は、フランス映画プロデューサー製作主任である。「フィリップ・デュサール」社代表[1]

Philippe Dussart
フィリップ・デュサール
生年月日 (1928-04-09) 1928年4月9日
没年月日 (2013-03-25) 2013年3月25日(84歳没)
出生地 フランスの旗 フランス ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏サルト県ル・マン
死没地 フランスの旗 フランス パリ
職業 映画プロデューサー製作主任
ジャンル 映画
活動期間 1955年 -
活動内容 1955年 短篇ドキュメンタリーを製作する
1961年 長篇劇映画に製作主任として参加
1978年 フィリップ・デュサール社の活動開始
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人物・来歴 編集

フランスのサルト県ル・マンに生まれる[2]

27歳になる1955年、レ・プロデュクシオン・ド・パリが製作したジョルジュ・ルーキエ監督のドキュメンタリー短篇映画ルルドとその奇蹟』のプロデューサーとしてクレジットされたのが最初である[2]。同作には助監督として、ジャック・ドゥミが参加している。

33歳になる1961年、アナトール・ドーマンがプロデュースしたロジェ・レーナルト監督の長篇劇映画『真夜中のランデヴー』に製作主任として参加している[2]。同年、ジョルジュ・ド・ボールガールカルロ・ポンティがプロデュースしたジャン=リュック・ゴダール監督の『女は女である』、ミシェル・ドヴィル監督の『今夜じゃなきゃダメ』にそれぞれ製作主任として参加し、現場を仕切った[2]。以降、ゴダール作品は『中国女』(1967年)まで、ドヴィル作品は Le Dossier 51 (1978年)まで多くの作品の現場を担当した[2]

1963年に公開された、アナトール・ドーマンのプロデュース、アラン・レネ監督の『ミュリエル』に製作主任として参加[2]、以降、多くのレネ作品の製作現場を仕切り、1977年公開の『プロビデンス』ではエグゼクティヴプロデューサーとして企画・製作を統括した[2]

1978年からは、制作プロダクション「フィリップ・デュサール」社代表として、映画を製作した[1]

おもなフィルモグラフィ 編集

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  1. ^ a b Philippe Dussart, Internet Movie Database (英語), 2009年10月20日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g Philippe Dussart - IMDb(英語), 2009年10月20日閲覧。

外部リンク 編集