フェデリコ・バルザレッティ

イタリアのサッカー選手 (1981 - )

フェデリコ・バルザレッティ(Federico Balzaretti, 1981年12月6日 - )は、イタリアトリノ県トリノ出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー。左サイドバックが本職であるが、右サイドでもプレーでき、中盤のサイドもこなす[1][2][3]

フェデリコ・バルザレッティ
イタリア代表でのバルザレッティ (2012年)
名前
愛称 Balzac
ラテン文字 Federico BALZARETTI
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1981-12-06) 1981年12月6日(42歳)
出身地 トリノ
身長 178cm
体重 73kg
選手情報
ポジション DF (SB)
利き足 左足
ユース
イタリアの旗 トリノ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1998-1999 イタリアの旗 トリノ 0 (0)
1999-2001 イタリアの旗 ヴァレーゼ (loan) 44 (0)
2001-2002 イタリアの旗 シエナ (loan) 16 (0)
2002-2005 イタリアの旗 トリノ 94 (2)
2005-2007 イタリアの旗 ユヴェントス 68 (2)
2007-2008 イタリアの旗 フィオレンティーナ 6 (0)
2008-2012 イタリアの旗 パレルモ 143 (3)
2012-2015 イタリアの旗 ローマ 39 (1)
代表歴
2000-2002 イタリアの旗 イタリア U-20 23 (1)
2002 イタリアの旗 イタリア U-21 4 (0)
2010-2013 イタリアの旗 イタリア 16 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

経歴 編集

クラブ 編集

トリノ 編集

6歳の時にトリノFCのユースチームでキャリアをスタートさせ、レンタル移籍先のヴァレーゼでプロデビューを果たし、2001年にはシエナでプレーした。

2002-03シーズンからトリノに復帰し、2002年9月14日のインテル戦でセリエAデビュー。2003-04シーズンからレギュラーに定着し、2004-05シーズンはプレーオフ突破に貢献するも[4]、トリノの破産によりセリエA昇格の権利を失い[5]、2005年8月10日には他のトリノの選手たちとともに自由契約となった[6]

ユヴェントス 編集

自由契約となったバルザレッティは、同じトリノにあるクラブであり、トリノのライバルであるユヴェントスに移籍した。トリノへの忠誠を誓っていたバルザレッティは妻が妊娠していたこともありトリノの街に留まることを選んだが、トリノサポーターからは裏切り者としてブーイングを受けることとなった[7]

ユヴェントス移籍当初はレギュラーではなかったものの、次第にファビオ・カペッロの信頼を勝ち取り計28試合に出場した[8]。2005-06シーズンを1位で終えたユヴェントスはカルチョ・スキャンダルの影響でセリエB降格が決まったが、バルザレッティはユヴェントスに残留した[8]

2006-07シーズンはレギュラーとして計40試合に出場し、ユヴェントスの1シーズンでのセリエA復帰に貢献。2007年2月17日のクロトーネ戦ではプロ初ゴールを記録した。

フィオレンティーナ 編集

 
フィオレンティーナ時代のバルザレッティ

2007年6月20日に移籍金380万ユーロ、4年契約でフィオレンティーナに移籍した[1]。移籍発表後にはユヴェントスのホームページでファンに向け別れと感謝のメッセージを送った[2]。しかし調整に失敗しシーズンの前半で6試合の出場にとどまった。

パレルモ 編集

2008年1月25日にパレルモへ移籍金380万ユーロ、3年半の契約で移籍した[9][10]

2008年2月2日のリヴォルノ戦でパレルモでのデビューを飾ると、レギュラーに定着し16試合に出場。2008-09シーズンは33試合に出場した。2009年10月18日のリヴォルノ戦でマッティア・カッサーニのクロスを左足でボレーし移籍後初得点を記録[11]。バルザレッティの28歳の誕生日である同年12月6日にはカリアリ戦に出場し、セリエA通算100試合出場を達成した。

2010年1月11日に、パレルモとの契約を新たに2013年まで延長した[12]

2010年10月31日のラツィオ戦に出場し、パレルモでの通算100試合出場を達成[13]。このシーズンは計44試合に出場し2得点、7アシストを記録し、セリエAトップクラスのサイドバックとして評価された[14][15]

2011-12シーズン、2012年3月24日のウディネーゼ戦で負傷[16]。5月6日のホーム最終戦、キエーヴォ戦で復帰するも[17]、シーズン最終戦を気管支炎で欠場し[18]、計32試合の出場に終わった。

ローマ 編集

 
ローマでプレーするバルザレッティ

2011-12シーズン終了後にパレルモの3年契約、年俸120万ユーロ、将来的なキャプテンの地位を約束した契約延長を拒否し[19]、2012年8月1日、ASローマに移籍金450万ユーロ、2015年までの3年契約、年俸150万ユーロで移籍した[20][21]。同日にはパレルモのホームページに、バルザレッティのサポーターへのメッセージが掲載された[22]

2012年8月26日のセリエA開幕戦、カターニャ戦でローマでのデビューを飾った[23]。移籍1年目は計32試合に出場した。

2013年9月22日のラツィオとのローマ・ダービーフランチェスコ・トッティのクロスを左足でボレーして移籍後初得点となる先制点を記録[24]、涙を流して感情を爆発させた[25]。しかし同年11月10日のサッスオーロ戦以降はスポーツヘルニアの影響で長期離脱。2014-15シーズン最終戦である2015年5月31日の古巣パレルモ戦で、567日ぶりの出場を果たした[26]

ローマとの契約は2015年6月末で満了していたが、2015年8月12日に現役引退を表明[26]。引退後はチームスタッフとしてローマに残ると共に[26]FOXスポーツのサッカー解説なども務めている[27]

代表 編集

イタリア代表としては、U-20、U-21代表でプレー。

2010年11月14日にフィオレンティーナ時代の指揮官であるチェーザレ・プランデッリにより初めてA代表に選出され[28]ルーマニアとの親善試合でフル出場し代表デビューを果たした[29]

UEFA EURO 2012に臨むイタリア代表メンバーに選出されると[30]、3-5-2のフォーメーションで臨んだ初戦と第2戦は出番がなかったものの[31]、4-4-2のフォーメーションを組んだ第3戦のアイルランド戦、準々決勝イングランド戦、準決勝ドイツ戦では先発フル出場を果たした。特にドイツ戦では、出場停止のクリスティアン・マッジョと負傷したイニャツィオ・アバーテの代わりに右サイドバックでプレーし[32]、終了間際にハンドリングPKを与えてしまったものの、イタリアの決勝進出時に貢献した[33]決勝スペイン戦ではベンチスタートとなったが、ジョルジョ・キエッリーニの負傷により途中出場[34]。イタリアは0-4で敗れ、準優勝に終わった[34]

人物 編集

当時の妻との間に、2006年と2008年に2人の娘が生まれている[35][36]。2011年6月13日にフランスパリのオペラ座のバレリーナであるエレオノーラ・アバニャートと結婚した[37]ノルマンニ宮殿結婚式を挙げ、マッティア・カッサーニジョルジョ・キエッリーニが立会人となった[37]。2012年1月24日にはエレオノーラとの間に、三女が生まれた[38]。2015年には、息子が誕生している[39]。2012年にローマに移籍した理由として、妻の仕事への配慮も挙げている[40]

2012年7月21日に両親の故郷であるペッツァーナの名誉市民となった[41]

パレルモ移籍以降は背番号に42番を選択しているが、これは父親の生年である1942年に由来する[3]

個人成績 編集

クラブ 編集

チーム シーズン リーグ リーグ コッパ・イタリア 国際大会1 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
ヴァレーゼ 1999-2000 セリエC1 17 0 17 0
2000–01 27 0 2 0 29 0
シエナ 2001-02 セリエB 16 0 4 0 20 0
トリノ 2002-03 セリエA 13 0 1 0 14 0
2003-04 セリエB 39 0 39 0
2004-2005 38+4 1+1 7 0 49 2
ユヴェントス 2005-06 セリエA 20 0 4 0 4 0 28 0
2006-07 セリエB 37 2 3 0 40 2
フィオレンティーナ 2007-08 セリエA 6 0 2 0 3 0 11 0
パレルモ 16 0 16 0
2008-09 33 0 1 0 34 0
2009-10 34 1 2 0 36 1
2010-11 33 2 4 0 7 0 44 2
2011-12 27 0 0 0 2 0 29 6
ローマ 2012-13 27 0 5 0 32 0
2013-14 4 1 0 0 4 1
通算 387+4 7+1 35 0 16 0 442 8

1UEFAチャンピオンズリーグUEFAヨーロッパリーグを含む。

代表 編集

 
イタリア代表でプレーするバルザレッティ(左)
EURO 2012決勝、スペイン戦
代表国 出場 得点
2010   イタリア 1 0
2011 6 0
2012 8 0
通算 15 0

獲得タイトル 編集

クラブ 編集

ユヴェントス

個人 編集

出典 編集

  1. ^ a b 急成長バルザレッティ、ユーベからフィオレンティーナに移籍”. Livedoorスポーツ (2007年6月21日). 2013年9月24日閲覧。
  2. ^ a b ユーベ退団のバルザレッティ「ここで成功を掴んだ」”. Livedoorスポーツ (2007年6月25日). 2013年9月24日閲覧。
  3. ^ a b バルザレッティ、パレルモ移籍「ワクワクしている」”. Livedoorスポーツ (2008年1月26日). 2013年9月24日閲覧。
  4. ^ Balzaretti, questa è una settimana da ricordare”. archiviostorico.gazzetta.it (2005年9月13日). 2013年9月24日閲覧。(イタリア語)
  5. ^ Il Pallone Racconta Federico BALZARETTI
  6. ^ I CALCIATORI SVINCOLATI DI AUTORITA' DEL TORINO CALCIO”. Calcioelegge.com (2005年8月10日). 2013年9月24日閲覧。(イタリア語)
  7. ^ TORINO, Balzaretti fischiato ed insultato”. Lastampa.it (2008年2月10日). 2013年9月24日閲覧。(イタリア語)
  8. ^ a b ユーベDFバルザレッティ「去りたい選手は去れ」”. Livedoorスポーツ (2006年8月2日). 2013年9月24日閲覧。
  9. ^ Mercato: Balzaretti al Palermo. Pazienza se ne andrà, Gulan alla Samp”. Fiorentina.it (2008年1月24日). 2013年9月24日閲覧。(イタリア語)
  10. ^ Acquistato Balzaretti”. Ilpalelmocalcio.it (2008年1月25日). 2013年9月24日閲覧。(イタリア語)
  11. ^ GOL, LIVORNO-PALERMO 1-2: BALZARETTI”. Mediagol.it (2009年10月19日). 2013年9月24日閲覧。(イタリア語)
  12. ^ BALZARETTI RINNOVA FINO AL 2013”. Ilpalelmocalcio.it (2010年1月12日). 2013年9月24日閲覧。(イタリア語)
  13. ^ Palermo, Balzaretti: uno che la fascia sinistra non l'ha mai mollata”. tuttopalermo.net (2010年10月31日). 2013年9月24日閲覧。(イタリア語)
  14. ^ “[http://www.gazzetta.it/Calcio/24-05-2011/balzaretti-macchina-assist-801323876278.shtml Balzaretti macchina da assist Armero e Abate le novità]”. Gazetta.it (2011年5月24日). 2013年9月24日閲覧。(イタリア語)
  15. ^ Maicon-Balzaretti gli esterni con l'assist”. Corriere.dello.Sport.it (2011年4月11日). 2013年9月24日閲覧。(イタリア語)
  16. ^ Palermo, Balzaretti 'Che orgoglio questa stagione'”. calciomercato.com (2012年5月24日). 2013年9月24日閲覧。(イタリア語)
  17. ^ PALERMO 4-4 CHIEVO”. Ilpalelmocalcio.it (2012年5月6日). 2013年9月24日閲覧。(イタリア語)
  18. ^ DICIANNOVE CONVOCATI PER IL GENOA”. Ilpalelmocalcio.it (2012年5月12日). 2013年9月24日閲覧。(イタリア語)
  19. ^ ZAMPARINI: "OFFERTO UN TRIENNALE A BALZARETTI"”. Ilpalelmocalcio.it (2012年7月31日). 2013年9月24日閲覧。(イタリア語)
  20. ^ FEDERICO BALZARETTI Operazioni di mercato”. asroma.it (2012年8月1日). 2013年9月24日閲覧。{{{1}}} (PDF) (イタリア語)
  21. ^ È fatta: Balzaretti alla Roma. Per lui contratto triennale”. Corriere.dello.Sport.it (2012年7月31日). 2013年9月24日閲覧。(イタリア語)
  22. ^ "GRAZIE, RESTERETE NEL MIO CUORE"”. Ilpalelmocalcio.it (2012年8月1日). 2013年9月24日閲覧。(イタリア語)
  23. ^ Catania guastafeste di Zeman VIDEO Il 2-2 dell'Olimpico”. Gazetta.it (2012年8月26日). 2013年9月24日閲覧。(イタリア語)
  24. ^ ローマがラツィオとのダービー制して開幕4連勝”. SOCCER KING (2013年9月23日). 2013年9月24日閲覧。
  25. ^ 先制点に涙のローマDF「デ・ロッシを見て感情抑えられなかった」”. SOCCER KING (2013年9月23日). 2013年9月24日閲覧。
  26. ^ a b c 元伊代表DFバルザレッティが現役引退「ファンが全てだった」”. フットボールチャンネル (2015年8月12日). 2013年8月13日閲覧。
  27. ^ バルザレッティが語る…移籍後2ゴールと活躍のバチュアイ放出は正しかったのか? - Goal.cm 2018年2月10日
  28. ^ BALZARETTI, DIAMANTI, LEDESMA E RANOCCHIA LE NOVITÀ TRA I 23 AZZURRI”. Figc.it (2010年11月14日). 2013年9月24日閲覧。(イタリア語)
  29. ^ Italia in sonno: 1-1 con la Romania”. sportmediaset.mediaset.it (2010年11月17日). 2013年9月24日閲覧。(イタリア語)
  30. ^ CONSEGNATA ALL’UEFA LA LISTA DEI 23 GIOCATORI CONVOCATI PER GLI EUROPEI”. Figc.it (2012年5月29日). 2013年9月24日閲覧。(イタリア語)
  31. ^ Italia-Spagna, a Danzica gioca Giaccherini”. tuttosport.com (2012年6月9日). 2013年9月24日閲覧。(イタリア語)
  32. ^ Germania-Italia, novità sulla formazione: Balzaretti terzino destro”. tuttopalermo.net (2012年6月28日). 2013年9月24日閲覧。(イタリア語)
  33. ^ Germaniy-Italy, Balotelli sends Italy past Germany”. Uefa.com (2012年6月28日). 2013年9月24日閲覧。(英語)
  34. ^ a b Spagna ancora campione Italia a pezzi battuta 4-0”. Gazzetta.it (2012年7月1日). 2013年9月24日閲覧。(イタリア語)
  35. ^ Balzaretti e Nocerino si raccontano”. Ilpalelmocalcio.it (2011年4月11日). 2013年9月24日閲覧。(イタリア語)
  36. ^ Auguri a Balzaretti, è nata Ginevra Vittoria”. Ilpalelmocalcio.it (2008年5月12日). 2013年9月23日閲覧。(イタリア語)
  37. ^ a b Nadia La Malfa, Corriere dello Sport, 2011年6月13日.
  38. ^ E' NATA JULIA BALZARETTI”. Ilpalelmocalcio.it (2012年1月24日). 2013年9月24日閲覧。(イタリア語)
  39. ^ 『ダンスマガジン』2016年11月号、p.24.(第26巻第11号)、新書館、2016年。
  40. ^ ローマ移籍を喜ぶバルザレッティ 「最強のチームの一つ」”. Livedoorスポーツ (2012年8月9日). 2013年9月24日閲覧。
  41. ^ Balzaretti cittadino onorario di Pezzana”. edizioni.lastampa.it (2012年7月21日). 2013年9月24日閲覧。(イタリア語)

外部リンク 編集