フライベルク工科大学

ドイツの大学

フライベルク工科大学(フライベルクこうかだいがく、ドイツ語: Technische Universität Bergakademie Freiberg[注 2]は、ドイツザクセン州フライベルクにある、およそ4,000名の学生を擁する規模の工科大学である。

TU Bergakademie Freiberg
モットー Die Ressourcenuniversität.
(1765年の設立時より)
日本語訳「資源大学」
設立年 1765年
総長 Jens Then
学長 Klaus-Dieter Barbknecht
学生総数 4,016 (2019/20冬学期時点)[1]
所在地 ドイツの旗 ドイツ
ザクセン州フライベルク
北緯50度55分05秒 東経13度20分27秒 / 北緯50.91806度 東経13.34083度 / 50.91806; 13.34083座標: 北緯50度55分05秒 東経13度20分27秒 / 北緯50.91806度 東経13.34083度 / 50.91806; 13.34083
公式サイト tu-freiberg.de
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フライベルク工科大学のキャンパス。2007年4月。左のプレートには"Glück auf"(グリュック アウフ)という坑道で作業する人が入坑する際に無事を祈る挨拶[2][注 1][3]が記されている。
アカデミー通りに面した本館

1765年の設立以来長く、単に"Bergakademie Freiberg"(ベルクアカデミー・フライベルク)[4]を称し[注 3]、日本語では、フライベルク鉱山学校[5][6]あるいは、フライベルク鉱山専門学校と表現された。1990年のドイツ再統一後の1993年3月11日に"Technische Universität Bergakademie Freiberg"[注 2]と名称が変更された[7]フライベルク鉱山大学フライベルク鉱業大学、あるいはフライベルク鉱山工科大学とも。

概要 編集

 
鉱物学研究所ウェルナー棟の正面玄関。上部にロックハンマーとともに"GLÜCK AUF!"と刻まれているのが分かる。
 
1866年当時のフライベルク鉱山学校の本館[8]

フリードリッヒ・ヴィルヘルムドイツ語版フリードリヒ・アントンドイツ語版による構想に基づきザクセン選帝侯家公子フランツ・クサーヴァーによって1765年に、鉱業英語版冶金に関しての世界最古の大学として設立された [注 4][注 5][注 6][注 7]

設立初期には、鉱山技術・冶金のための科学的な研究と教育として、「数学、力学、気流学、水力学、流体力学、断面図法、地質製図、機械製図、鉱物学実習及び鉱物収集、冶金化学及び冶金術、鉱山測量、試金術、鉱山学、測量器具・試金装置・模型の制作」が教授される学科目とされた[4][注 8]

設立間もない時期に本学で学び後に教授を務めたウェルナー[注 9]は、こんにち火成岩変成岩の一種とされる玄武岩花崗岩は水中で沈積してできた水成岩[27]と考え水成論を主唱したため、火成論英語版を唱える学者との間で論争になった[28]。ともあれ、ウェルナーの研究手法は、近代地質学の萌芽期であった当時では実地に根差した精緻なものであったため[29]ブーフドウビソンフランス語版アンドラダ[注 10]といった門下や賛同者が本学に集まった[31][6]。門下には1791年から1792年にかけて本学で鉱業を学び自然地理学植物地理学に大きな足跡を残し地質学にも貢献を果たしたフンボルトがいる。

本学の科学者による顕著な業績として、リヒターライヒによる化学元素のインジウムの発見(1863年)、ヴィンクラーによる同じくゲルマニウムの発見(1886年)があげられる。

こんにち、フライベルク工科大学は、数学・情報科学、化学・生物学・物理学、地球科学・地球工学・採鉱、機械工学、材料科学、および経済学の6つの学部から構成される高度に専門化された工科大学である。

課程 編集

課程はドイツ語で提供されるほか、国際課程では英語で全ての課程が提供される。学士課程から博士課程まで全ての課程への入学条件については、成績に基づくだけで、ドイツの公立大学での一貫した就学の条件と同様に授業料は掛からず、学生は、学期毎に登録料の84ユーロのみを支払う。

修士課程を含み英語で提供される課程としては次の課程がある。

  • 持続可能で革新的な天然資源管理(SINReM)
  • 先端鉱物資源開発
  • 地下水管理
  • 持続可能な採鉱と修復管理
  • 計算材料科学
  • 計算科学・計算工学
  • 機械プロセス工学
  • 金属材料工学
  • 発展途上・新興市場における国際商取引(IBDEM)

フライベルク工科大学は、鉱山工学分野で世界最高水準の大学と位置づけられてきた[32]

公立大学であるものの比較的大きな私的寄付があり、本学にはドイツで最大規模の大学基金が運営されている[33]

留学生とダブル・ディグリー 編集

フライベルク工科大学は、非常に国際性に富んだ大学で、2018年時点では全学生4,061名のうちの24%がドイツ外からの留学生である。中国、フランス、イタリア、ポーランド、ロシア、タイなどの大学との間に複数学位(ダブル・ディグリー)の協定が結ばれている。授けられる博士号の約30%が外国人学生に対してのものである[1]

鉱物コレクション 編集

本学の歴代の科学者により蒐集された鉱物コレクションや地質学・鉱床学・古生物学に関わるコレクションを展示・公開する施設[34][35]が本学に附属する。さらにドイツの資産家で生物学の博士号をもち蒐集家であったエリカ・ポール=ストローアドイツ語版英語版から寄贈された鉱物コレクションを展示・公開する施設テラ・ミネラリアドイツ語版[36][37][38]も本学に附属し、これらの鉱物コレクションは世界でも最大規模を誇る[39][注 11]

日本との関わり 編集

明治時代お雇い外国人として来日した学者や技術者にライマンパンペリーアレキシス・ジェニンドイツ語版[41][42][43][44]ネットーミルン[注 12][45]アドルフ・レーデブアドイツ語版[46][47]といった本学で学んだ関係者がいる。

明治時代を中心に昭和前半までに日本からも多くの留学生が本学に学んだ[48][49]岩佐巌(今井巌)[注 13][50][51][52][53]を嚆矢として、原田豊吉栗本廉野呂景義渡辺渡今泉嘉一郎など多くの地質学者冶金学者鉱山技術者を輩出した[4]。彼らは例えば、リヒターヴィンクラーあるいはレーデブアから教えを受けた[54][4]第2次世界大戦後の長い期間東ドイツに位置していたこともあり本学に留学した日本人は少ない[49][55]

また、秋田大学(理工学部・国際資源学部)の前身となった旧制秋田鉱山専門学校はフライブルク工科大学をモデルとして設立されたとされる[56][57][58]

大学間協定 編集

関係者 編集

ギャラリー 編集

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 村谷泰一 (2007)の西ドイツの炭鉱での体験談に紹介されている。なお本文中の1985年9月6日の日付は文脈より1958年9月6日の誤記と分かる。
  2. ^ a b 逐語的に訳せば「工科大学鉱山アカデミーフライベルク」となる。ドイツの大学の呼称は、ハイデルベルク大学の例のように広く慣用されてきた名称と地名が末尾にくる正式名称の表現が異なる場合がある。
  3. ^ "Bergakademie""Berg"(ベルク)は「」の意で、"akademie"アカデミー)は"academie"とも綴り、ギリシア語の"Ἀκαδημ(ε)ια"アカデメイア)を起源とする語。"berg-"は、複合語鉱山の意味を示すことがある[2]
  4. ^ ここで最古の鉱山学校: mining school)とした場合には異論もある。例えば金光男 (2011)は、小林貞一 (1962)佐々木正勇 (1985)を引いて、「ロシア・エカテリンブルクやボヘミア・アヒミスタールの鉱山学校,あるいはノルウェー・コングスベルク鉱山学校」がフライベルク鉱山学校に先立つとしている。
  5. ^ ボヘミアヤーヒモフチェコ語: Jáchymovドイツ語では"Joachimsthal"(ヨアヒムスタール)とも)の鉱山学校(: Bergschule)は、1716年に開設された(Veselovský & Komínek 1997円城寺守 1998、ドイツ語版のBergschule#Bergschulenも参照。)[9]ロシアエカテリンブルクの鉱山学校(: Горнозаводская школа)は、1724年に設置された[10][11][12]。この学校は、18世紀に初めヴァシーリー・タチーシチェフロシア語版[13]が主導して設置した"Горнозаводские училища и школы"と呼ばれる鉱山技術・冶金のための職業教育を行った一群の高等専門学校や初等・中等学校[14][15]の一つで、後にウラル鉱山学校(: Уральское горное училище、ウラル鉱山専門学校とも)[16]を経て、ウラル州立大学ロシア語版となっている[10][11]ノルウェーコングスベルグ鉱山学校ノルウェー語版英語版ノルウェー語: Bergseminaret(ベルク・セミナール)あるいはノルウェー語: Det Kongelige Norske Bergseminarium(「ノルウェー王立鉱山学校」の意))は、1757年に設立された(Store norske leksikon 2015渡辺武男 1961[17][18]。なお、なるべく現地の発音を優先する立場でのカタカナ転写から、本文で"Freiberg"の語末の"g"は清音で「ク」としているが、ノルウェーの"Kongsberg"の語末の"g"は慣用にならい濁音表現の「グ」としていることに留意。
  6. ^ 中西哲也 (2008)は、1762年に設立されたスロヴァキアバンスカー・シュチャヴニツァ鉱山学校スロバキア語版英語版スロバキア語: Banícka akadémia: Selmeci Akadémia[19]に次いで世界で2番目に古い鉱山学校とされているとした。
  7. ^ ちなみに、18世紀からヨーロッパ各地で鉱山技術者のための教育機関の設立が相次ぎ、前述の学校以外でもロシアのサンクトペテルブルク鉱山学校ロシア語版: Горное училище、後のサンクトペテルブルク国立鉱山大学)が1773年に[20][21]フランスパリ国立高等鉱業学校が1783年に[22][23]、やや遅れてイギリスの王立鉱山学校英語版: Royal School of Mines、後にインペリアル・カレッジ・ロンドンを構成した3つの組織の1つ)が1851年に[24]設置された。
  8. ^ 鉱物の面角を測定するゴニオメーター測量機器といった古い精密機器が本学で展示されている[25][26]
  9. ^ a b ヴェルナーとも。「ウェルナー」も参照。
  10. ^ Amaral (2000)を参照[30]
  11. ^ 東ドイツ時代に「フライベルク鉱山学校鉱物コレクションドイツ語版」というシリーズ切手ドイツ語版スペイン語版も発売されている[40]
  12. ^ レスリー・ハーバート=ガスト & パトリック・ノット (1982, p. 16)に「ドイツのザクセン州フライベルクの有名な鉱山学校での聴講を命じられ、その機会に西ヨーロッパのかなり広い部分を旅することができた。」とある。
  13. ^ a b 矢島道子 & 浜崎健児 (2018)によれば、本学に入学した最初の日本人とされる。
  14. ^ 来日し「ナウマン象」で知られるハインリッヒ・エドムント・ナウマンとは別人。同じザクセン出身の地質学者であるため混同に注意。「ナウマン」も参照。
  15. ^ de:Himmelfahrt Fundgrubede:Montanregion Erzgebirgeも参照。
  16. ^ ゲオルク・アグリコラに因む。

出典 編集

  1. ^ a b Kennzahlen und Rankings < TU Bergakademie Freiberg - ウェイバックマシン(2019年4月28日アーカイブ分)(ドイツ語)(英語)(2023年7月2日閲覧)
  2. ^ a b 濱川祥枝監修、信岡資生編修主幹『クラウン独和辞典(第3版)』三省堂、2006年。ISBN 4385120102
  3. ^ 内田篤人:日めくりカレンダ-Gluck auf! 2016 / 内田篤人 - 紀伊國屋書店ウェブストア|オンライン書店|本、雑誌の通販、電子書籍ストア
  4. ^ a b c d 木本忠昭 2008.
  5. ^ 世界大百科事典 第2版『フライベルク鉱山学校』 - コトバンク
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  12. ^ Школьному образованию в Екатеринбурге исполнилось 292 года - Образование - Официальный портал Екатеринбурга(ロシア語)
  13. ^ タチーシチェフ』 - コトバンク
  14. ^ Горнозаводские школы(ロシア語) - ソビエト大百科事典
  15. ^ ГОРНОЗАВОДСКИЕ УЧИЛИЩА И ШКОЛЫ • Большая российская энциклопедия - электронная версия(ロシア語) - ロシア大百科事典
  16. ^ История: 160 лет назад было открыто Уральское горное училище - Образование - Официальный портал Екатеринбурга(ロシア語)
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  18. ^ Bergseminaret på Kongsberg: 1757 - 1814 - ウェイバックマシン(2018年9月13日アーカイブ分)(ノルウェー語)
  19. ^ Banská Štiavnica - Vysoké školy(スロバキア語)
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  59. ^ 国際学術交流協定 | 国立大学法人 室蘭工業大学
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  62. ^ KAKEN — 研究課題をさがす | ベルクアカデミー・フライベルクが日本の技術発達に与えた影響 (KAKENHI-PROJECT-04680104)(研究代表者:木本忠昭)

参考文献 編集

関連項目 編集

外部リンク 編集