ブライアン・アラン・ラヘアBryan Allan LaHair , 1982年11月5日 - )は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ウースター出身の元プロ野球選手内野手)。

ブライアン・ラヘア
Bryan LaHair
福岡ソフトバンクホークスでの現役時代
(2013年3月31日、福岡ヤフオク!ドーム)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 マサチューセッツ州ウースター
生年月日 (1982-11-05) 1982年11月5日(41歳)
身長
体重
6' 5" =約195.6 cm
245 lb =約111.1 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 一塁手外野手
プロ入り 2002年 MLBドラフト39巡目
初出場 MLB / 2008年7月18日
NPB / 2013年3月29日
最終出場 MLB / 2012年10月3日
NPB / 2013年9月10日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

福岡ソフトバンクホークスに所属していた2013年の登録名はラヘア[1]

経歴 編集

プロ入りとマリナーズ時代 編集

2002年MLBドラフトシアトル・マリナーズから39巡目(全体1180位)で指名を受け入団。

2005年はアドバンスドA級インランドで打率.310、22本塁打、OPS.876の成績を残し、アドバンスドA級のオールスターゲームに選出される。

2006年はAAA級タコマまで昇格。タコマでは54試合の出場で打率.324、10本塁打、OPS.918の成績を残し、マリナーズ傘下マイナー最優秀選手に選出される、11月にはメジャー40人枠に登録される。

2007年もAAA級タコマでシーズンを過ごした。

2008年7月18日のクリーブランド・インディアンス戦でメジャーデビュー。22日のボストン・レッドソックス戦で松坂大輔からメジャー初安打を記録。28日のテキサス・レンジャーズ戦ではスコット・フェルドマンから422フィート(約128メートル)の本塁打を放ち、翌日の試合でも2試合連続の本塁打を放った。しかし8月から調子を落とし、45試合の出場で打率.250、3本塁打、OPS.661の成績に終わった。

2009年はAAA級タコマでは121試合の出場で打率.281、26本塁打、OPS.881の成績を残すが、メジャー昇格の機会はなかった。

カブス時代 編集

2010年1月9日にシカゴ・カブスとマイナー契約を結ぶ。この年はAAA級アイオワで125試合に出場。打率.308、リーグ10位の25本塁打、同7位のOPS.942を残す。

2011年はAAA級アイオワでは129試合の出場で打率.331、リーグトップの38本塁打、同じくOPS1.070を記録。パシフィックコーストリーグの最優秀選手とジョー・ボウマン賞を受賞した他[2]ベースボール・アメリカ誌のマイナーリーグ・オールスターにも指名打者で選出された[3]。9月にセプテンバーコールアップでメジャー昇格し20試合に出場。オフにはベネズエラウィンターリーグに参加。

 
カブス時代(2012年3月10日)

2012年は4月に打率.390、5本塁打、OPS1.251と活躍し、4月30日のフィラデルフィア・フィリーズ戦から3試合連続本塁打を放ち、5月11日まで28試合連続出塁も記録。前半戦で打率.286、14本塁打、OPS.883の成績を残し、自身初めてオールスターゲームに選出された。しかし、後半戦は打率.202、2本塁打、OPS.572と失速し、アンソニー・リゾの昇格も重なりスタメンを外されることも多くなった。シーズン通算では自己最高の成績を残すが、48打数3安打27三振と例年以上に左投手を打てなかった。11月20日にDFAとなる。

ソフトバンク時代 編集

AAA級で本塁打・打点の二冠王に輝いた2011年から東北楽天ゴールデンイーグルス[4]読売ジャイアンツ[5]が獲得に動いていたが、2012年11月22日(日本時間)に、福岡ソフトバンクホークスと契約を結んだことを発表[1]。前年にMLBで本格デビューとMLBオールスターゲーム出場を果たしたばかりの選手が、NPBの球団へ移籍するのは異例であった[6]。背番号は35[1]

2013年には、開幕当初こそ6番打者として出場していたが、4月3日の埼玉西武ライオンズ戦でウィリー・モー・ペーニャに代わってNPB初の4番打者に起用。その試合の第2打席でNPB初本塁打を記録[7]と、一時4番打者に定着した。セ・パ交流戦期間中の5月31日には、セントラル・リーグ公式戦の開幕から21試合連続無失点を記録していた広島東洋カープの左腕投手・河内貴哉から2点本塁打を放って、記録の更新を阻止した[8]。もっとも、打撃面では、アメリカ時代からの傾向である左投手への極端な弱さ(#選手としての特徴を参照)を次第に露呈。交流戦の終盤からは、左投手の先発が予告されている試合で、ペーニャが再び4番に座るようになった[9]。シーズン終盤の9月21日には、左手背部痛の検査を理由にアメリカへ帰国[10]。その検査で左手関節軟骨の障害が判明したため、日本に戻らず手術を受けた[11]。シーズン通算では一軍公式戦111試合で16本塁打を記録したが、右投手から15本塁打を放ったのに対して、左投手からは河内からの1本にとどまった。

2014年1月23日に退団が発表された[12]。退団の理由として、球団の海外兼中長期戦略担当部長であった小林至は、前年末からの大型補強で支配下登録の外国人選手が8名(野手3名・投手5名)にまで増えたことを挙げ『(同時に登録できる外国人選手が最大で4名と定められている一軍での)出番は厳しいだろう』という結論に達した」と説明している[13]

ソフトバンク退団後 編集

2014年2月5日にクリーブランド・インディアンスとマイナー契約を結んだ[14]

2015年1月30日にボストン・レッドソックスとマイナー契約を結ぶが、4月4日に解雇となる。

2016年2月16日に独立リーグであるアトランティックリーグサマセット・ペイトリオッツと契約し、2017年まで所属した。この年限りで現役を引退。

現役引退後 編集

2018年シンシナティ・レッズ傘下アドバンスドA級のビリングス・マスタングス英語版の打撃コーチに就任。2019年に監督に昇格。2021年は傘下ルーキー級アリゾナ・コンプレックスリーグ・レッズ英語版の監督を務め、2022年は傘下A+級デイトン・ドラゴンズの監督[15]

選手としての特徴 編集

コンパクトなスイングで広角にライナーを放つタイプで[16]、ヒットゾーンは狭いが[17]、マイナー時代に25本塁打以上を3度記録した長打力を持ち味とする[18]。右投手に対してはメジャー通算の打率.289、OPS.835と得意とするが、左投手に対しては同打率.098、OPS.380と極端に左投手を苦手とし、シカゴの地元紙から「左投手が相手先発の時は起用すべきではない」と意見されたこともあった[19]。ソフトバンク時代の2013年にも、対右投手で打率.224、OPS.746、対左投手で打率.254、OPS.573を喫した。

守備走塁面は共に平均以下で[16]、守備では主に一塁手として起用され、メジャー通算のDRS-5、UZR0.2を記録している。2012年にはアンソニー・リゾの昇格に伴い右翼手で起用されたこともあり、マイナーでは左翼手でも起用されたこともある。

詳細情報 編集

年度別打撃成績 編集

















































O
P
S
2008 SEA 45 150 136 15 34 4 0 3 47 10 0 1 1 0 13 1 0 40 4 .250 .315 .346 .661
2011 CHC 20 69 59 9 17 5 1 2 30 6 0 0 0 1 9 0 0 18 1 .288 .377 .508 .885
2012 130 380 340 42 88 17 0 16 153 40 4 2 0 1 39 3 0 124 8 .259 .334 .450 .784
2013 ソフトバンク 111 389 348 38 80 19 1 16 149 57 2 1 0 2 39 0 0 121 7 .230 .306 .428 .734
MLB通算:3年 195 599 535 66 139 26 1 21 230 56 4 3 1 2 61 4 0 182 13 .260 .334 .430 .764
NPB通算:1年 111 389 348 38 80 19 1 16 149 57 2 1 0 2 39 0 0 121 7 .230 .306 .428 .734

記録 編集

MLB
NPB

背番号 編集

  • 39 (2008年)
  • 6 (2011年 - 2012年)
  • 35 (2013年)

脚注 編集

  1. ^ a b c 新外国人選手獲得について”. 福岡ソフトバンクホークス (2012年11月22日). 2012年11月24日閲覧。
  2. ^ LaHair captures Joe Bauman Award - MiLB.com (英語) 、2011年9月12日配信、2011年12月5日閲覧
  3. ^ J.J. Cooper and Matt Eddy (2011年9月16日). “2011 Minor League All-Star Team”. BaseballAmerica.com (英語). http://www.baseballamerica.com/today/minors/awards/minor-league-all-stars/2011/2612338.html 2011年12月5日閲覧。 
  4. ^ 星野楽天が3A本塁打王リストアップ”. 日刊スポーツ (2011年10月20日). 2014年1月23日閲覧。
  5. ^ 巨人ラミレス退団 代役候補に3A2冠ラヘア”. 日刊スポーツ (2011年11月2日). 2014年1月23日閲覧。
  6. ^ http://espn.go.com/blog/sweetspot/post/_/id/30998/bryan-lahair-could-help-somebody
  7. ^ 【ソフトバンク】4番昇格ラヘアが来日1号”. 日刊スポーツ (2013年4月3日). 2014年1月23日閲覧。
  8. ^ 【ソフトバンク】ラヘア11号!先発全員安打”. 日刊スポーツ (2013年5月31日). 2014年1月23日閲覧。
  9. ^ 秋山監督ラヘアに対左腕へ“緊急オペ””. 日刊スポーツ (2013年6月21日). 2014年1月23日閲覧。
  10. ^ 【ソフトバンク】ラヘア左手背部痛検査で帰国”. 日刊スポーツ (2013年9月20日). 2014年1月23日閲覧。
  11. ^ ソフトバンク ラヘアが退団、昨年16本塁打”. スポーツニッポン (2014年1月23日). 2014年1月23日閲覧。
  12. ^ 【ソフトバンク】ラヘア退団決定 昨年4番も”. 日刊スポーツ (2014年1月23日). 2014年1月23日閲覧。
  13. ^ ラヘア「今年の出番は厳しい」を理由にソフトバンク退団”. スポーツ報知(共同通信配信記事) (2014年1月23日). 2014年1月23日閲覧。
  14. ^ Indians invite 1b/of Bryan LaHair to Major League camp”. MLB.com Indians Press Release (2014年2月5日). 2014年2月6日閲覧。
  15. ^ Tom Nichols (2022年1月12日). “Dragons Welcome Two Former MLB All-Stars as Part of 2022 Coaching Staff”. MiLB.com. 2022年1月15日閲覧。
  16. ^ a b 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2009』廣済堂出版、2009年、245頁頁。ISBN 978-4-331-51370-5 
  17. ^ 月刊スラッガー』2009年4月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-4、35頁。
  18. ^ 『Slugger 2012MLB選手名鑑』日本スポーツ企画出版社、2012年、87頁頁。ISBN 978-4-905411-05-5 
  19. ^ 『月刊スラッガー』2012年9月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-9、27頁。

関連項目 編集

外部リンク 編集