プーシキンロシア語: Пу́шкин)はサンクトペテルブルク市の管轄下にある都市。市の中心より24 km(15マイル)南のところにある。人口は111205人[2](2019年)。過去の統計では、84628人(2002年国勢調査時)、95415人(1989年調査時)。

プーシキン
Пушкин
プーシキンの市旗 プーシキンの市章
区旗 区章
位置
の位置図
座標 : 北緯59度44分 東経30度23分 / 北緯59.733度 東経30.383度 / 59.733; 30.383
行政
ロシアの旗 ロシア
 連邦管区 北西連邦管区
 連邦市 サンクトペテルブルク
 区 プーシキン
町長 Nikolay Yakovlevich
地理
面積  
  区域 89.241[1] km2
人口
人口 (2019年現在)
  区域 111205[2]
    人口密度   1246人/km2
その他
等時帯 モスクワ時間 (UTC+3)
市外局番 +7 812
公式ウェブサイト : [1]

歴史 編集

この町は18世紀にロシア皇帝の夏の住まいとしてツァールスコエ・セローという名で建設された。1710年、ピョートル1世メーンシコフの持つ所有権の一部を、エカテリーナ1世に"Sarkaja Myza"として引き渡すことを決定した。1724年、"Sarkaja Myza"は公式に皇帝の住まいとなり、"Sarskoye Selo"という名になった。1780年にはツァールスコエ・セローと改められた。1808年にツァールスコエ・セローの町は"Sofia"と統合された。

ニコライ2世と彼の家族は、1917年7月31日にトボルスクに写るまで、アレクサンドロフスキー宮殿に住んでいた。

10 月革命の後、エカテリーナ宮殿は博物館となった。一方、他のいくつかの建物は清潔な教育施設に改装された。そのために、1918年に"Destskoye Selo"という名に改められた。1937年、町の名は"Imperial Lyceum"で学んだ偉大なロシアの詩人、アレクサンドル・プーシキンの死後100年を記念して、プーシキンに改められた[3]


姉妹都市 編集

プーシキンは次の都市と姉妹都市になっている[4]

脚注 編集

外部リンク 編集