ベン・スピーズ (Ben Spies, 1984年7月11日 - ) は、アメリカ合衆国テネシー州ジャーマンタウン出身のオートバイレーサー。肘を突き出す独特のライディングスタイルから、エルボーズのニックネームを持つ[1]。2006年から2008年まで3年連続でAMAスーパーバイク選手権のチャンピオンを獲得、2009年にはスーパーバイク世界選手権に参戦し、ルーキーながらチャンピオンに輝く。2010年から2013年までロードレース世界選手権MotoGPクラスに参戦。現在イタリアロンバルディア州にあるコモ湖の近くに在住。

ベン・スピーズ
2010年 カタールGPにて
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1984-07-11) 1984年7月11日(39歳)
出身地 テネシー州ジャーマンタウン
ウェブサイト BenSpies.com
ロードレース世界選手権での記録
- MotoGPクラスに参戦 -
現在のチーム プラマックレーシング
ゼッケン 11
チャンピオン 0
レース数 53
優勝回数 1
表彰台回数 6
PP回数 1
FL回数 1
通算獲得ポイント 469
2012年の成績 10位 (88 ポイント)
肘を突き出す独特のライディングフォーム (2005年 シアーズポイント)

経歴 編集

キャリア初期 編集

スピーズは5歳のときからオートバイに乗り始める。1993年、8歳のときからCMRA[2]主催のレースに参戦を始め、翌1994年にはヤマハ・YSR50のレースでチャンピオンとなった。12歳のときには125ccのロードレーサーを駆りテキサス州外のレースにも遠征するようになり、14歳のときには600ccへとステップアップしながら、多くのチャンピオンシップを制していった。そして2000年、15歳のスピーズはスズキと契約を結び、 AMAでのキャリアをスタートさせることとなった[3]

AMA時代 編集

2000年、バルボリン・スズキチームから AMA 750 スーパースポーツ・シリーズに参戦、パイクスピーク・インターナショナル・レースウェイで5位に入ったのがベストリザルトとなり、その年活躍した若手選手に与えられる "AMA Horizon Award" のロードレース部門賞を受賞した。また、このシーズンの終盤にAMAスーパースポーツ選手権にデビューし、いきなりフロントロウを獲得する活躍を見せた。

2001年シーズンもバルボリン・スズキチームに残留し、AMA 750 スーパストック選手権ではパイクスピークで勝利を収め、それ以外にも4度表彰台に立った。

2002年はアタック・スズキ・チームに移籍し、Jason Pridmore のチームメイトとなった。このシーズンは膝の怪我に悩まされることになった[4]が、AMAスーパースポーツでは3回、AMAフォーミュラ・エクストリーム選手権では4回のトップ5圏内フィニッシュを記録した。

2003年にはアメリカにおけるスズキのワークス・チームヨシムラ・スズキに移籍を果たす。AMAフォーミュラ・エクストリームではシーズン5勝を挙げ、チャンピオンに輝く。AMAスーパースポーツにも参戦し、ロード・アトランタで1勝を収めた。また、AMAスーパーバイクにもスポット参戦し、最高位はデイトナでの7位だった。

2004年、AMAスーパースポーツではインフィニオン・レースウェイで1勝、AMAスーパーストックではカリフォルニア・スピードウェイとロード・アトランタの2勝を収めた。

2005年には初めてAMAスーパーバイク選手権にフル参戦を果たし、カリフォルニア・スピードウェイで初優勝、他にも13回表彰台に立ち、シリーズ2位に入る活躍を見せた。AMAスーパースポーツでは5回のトップ5圏内フィニッシュを記録した。

そして2006年シーズン、チームメイトのマット・ムラディンを8ポイント差で抑え、初のAMAスーパーバイクチャンピオンに輝いた。6連勝を含むシーズン10勝、他に7回の表彰台、7回のポールポジションを記録した[5]。AMAスーパースポーツにも何戦か出場し、ラグナ・セカでは表彰台を獲得した。

2007年はAMAスーパーバイク選手権史上最も接戦となるチャンピオン争いとなった。スピーズは僅か1ポイント差でムラディンを抑え[6]、シーズン7勝・他に12回表彰台に立ち、シリーズ2連覇を果たした。またこの年はAMAスーパーストックでも7PP・7勝を記録し、チャンピオンを獲得した[7]

2008年、スピーズはAMAスーパーバイク選手権史上4人目[8]となるシリーズ3連覇を果たす。またシリーズ新記録となる7連勝も果たした。

MotoGPデビュー 編集

また2008年には負傷欠場となったロリス・カピロッシの代役として、ロードレース世界選手権第8戦イギリスGPにおいてリズラ・スズキチームから参戦する。デビュー戦は14位に入り、2ポイントを獲得した。またアメリカでおこなわれた2戦 (第11戦アメリカGP第14戦インディアナポリスGP) にもワイルドカード枠で同チームから参戦し、それぞれ8位、6位に入る活躍を見せた。

2009年シーズンには、元ワールドチャンピオンライダーのケビン・シュワンツがMotoGPチームを立ち上げて3台目のスズキにスピーズを乗せる計画があった[9]が実現せず、さらにはJiR チームでホンダを駆る計画も、JiRとホンダの契約が更新されなかった(代わりにチーム・スコットがホンダと契約)ことから立ち消えとなった。

スーパーバイク世界選手権 編集

 
2009年 SBKアッセン

2008年10月1日、スピーズは2009年シーズン、ワークスのヤマハ・イタリア・チームからスーパーバイク世界選手権(SBK)に参戦することが発表された[10]。開幕戦フィリップアイランドではデビュー戦でいきなりポールポジションを獲得し、レース1ではコースアウトを喫して16位に沈んだもののレース2で優勝、コーリン・エドワーズ(2002年)以来のアメリカ人SBKウィナーとなり脚光を浴びた。

第2戦ロサイルでもポールポジションを獲得、そしてレース1・レース2を連勝、コースレコードとなるファステストラップを記録する完璧な勝利を挙げた。その後もドゥカティ芳賀紀行とタイトル争いを展開し、第7戦ミラー・モータースポーツ・パークではデビュー以来7戦連続でのポールポジションを達成し、同郷のダグ・ポーレンが持っていた記録[11]を塗り替えた。

最終戦ポルティマオでは11度目のポールを獲得し、1シーズンのポール獲得数史上最多記録[12]を更新、決勝のレース1では風邪で体調を崩した[13]芳賀が転倒リタイヤする中、スピーズはシーズン14勝目を挙げた。これでほぼタイトルは確定的となり、レース2で5位に入ったスピーズは参戦1年目にしてスーパーバイク世界チャンピオンに輝いた。

MotoGP本格参戦 編集

2009 編集

 
2010年 カタールGP

2009年10月1日、スピーズは2010年シーズンよりヤマハのサテライトチームであるテック3よりロードレース世界選手権MotoGPクラスに参戦することが発表された[14]。またフル参戦に先だって、2009年シーズンの最終戦バレンシアGPに、ヤマハのファクトリーチームからワイルドカード枠で出場。7位でフィニッシュし、レプソル・ホンダアンドレア・ドヴィツィオーゾを8位に抑えたことにより、翌年のチームメイトのコーリン・エドワーズのシリーズランキング5位獲得に貢献した。

2010 編集

2010年シーズンの開幕戦カタールGP、スピーズはここまでの自己ベストリザルトとなる5位でフィニッシュを果たした。その後第2戦スペインGPではメカニカルトラブル、第3戦フランスGPでは転倒リタイヤと苦戦が続いたが、シルバーストンでおこなわれた第5戦イギリスGPで初表彰台(3位)に立った。そして母国GPの第11戦インディアナポリスGPでは初のポールポジションを獲得し、決勝はこの年のベストリザルトとなる2位を記録した。

スピーズはこの2つの表彰台以外にも安定して上位でのフィニッシュを重ね、176ポイントを獲得してシリーズランキング6位を記録、ルーキー・オブ・ザ・イヤーに輝いた[15]

2011 編集

2011年シーズン、スピーズはドゥカティに移ったバレンティーノ・ロッシの後釜としてヤマハワークスチームに移籍、2010年チャンピオンのホルヘ・ロレンソのチームメイトを務めることとなった[16]第5戦カタルニアGPでシーズン初表彰台を獲得、そして第7戦ダッチTTで独走しグランプリ初優勝を果たした。2011年6月8日にヤマハのファクトリーチームと1年間の延長契約。第16戦・第17戦では転倒で頭部を強打したことにより集中力が低下する症状に苦しんでレースを欠場したが[17]最終戦バレンシアGPではケーシー・ストーナーと激しいトップ争いを展開。フィニッシュライン寸前で逆転されて2位に終わったものの、復活した姿を見せた。この年は表彰台に4回立ち、ランキングでは前年から1つ上げて5位となった。

2012 編集

フル参戦3戦目の2012年シーズン、ヤマハのファクトリーチームから継続参戦。プレシーズンのオフィシャルテストでは1番時計を記録した。セパンGP決勝レースで転倒、右肩関節にじん帯破裂および左肋骨骨折・肺挫傷のため、残り2戦を欠場する。年間ランキング10位。2012年9月13日ドゥカティのサテライト「プラマックレーシング」への移籍が発表される。

2013 編集

2013年は、ドゥカティのサテライトチーム「プラマックレーシング」より参戦する。 しかし、肩の負傷が癒えず、このシーズンをもって引退した。

名前 編集

Spiesのカタカナ表記については、最後のsを濁音の「ズ」か清音の「ス」にするかで表記揺れがあり、ヤマハ発動機の公式ページ等ではスピーと表記されている[18]が、発音は"Speez"[19]であり、それに忠実に表記すればスピーが適切である。

主なレース戦績 編集

AMA選手権 編集

シーズン クラス バイク 出走 優勝 表彰台 PP FL シリーズ順位
2002年 スーパーストック スズキ・GSX-R600 8 0 1 0 0 55位
スーパースポーツ スズキ・GSX-R600 10 0 0 0 0 9位
フォーミュラエクストリーム スズキ・GSX-R1000 10 0 0 0 0 6位
2003年 スーパースポーツ スズキ・GSX-R600 11 1 3 0 0 9位
フォーミュラエクストリーム スズキ・GSX-R1000 10 5 7 1 1 1位
スーパーバイク スズキ・GSX-R1000 5 0 0 0 0 54位
2004年 スーパーストック スズキ・GSX-R1000 11 2 4 4 2 5位
スーパースポーツ スズキ・GSX-R600 11 1 3 2 2 4位
2005年 スーパースポーツ スズキ・GSX-R600 10 0 0 0 0 4位
スーパーバイク スズキ・GSX-R1000 17 1 14 0 1 2位
2006年 スーパースポーツ スズキ・GSX-R600 7 0 1 0 0 14位
スーパーバイク スズキ・GSX-R1000 19 10 17 13 9 1位
2007年 スーパーストック スズキ・GSX-R1000 8 7 7 7 6 1位
スーパーバイク スズキ・GSX-R1000 19 8 19 15 9 1位
2008年 スーパーバイク スズキ・GSX-R1000 19 10 18 15 11 1位
合計 クラス 出走 優勝 表彰台 PP FL タイトル回数
スーパーストック計 27 9 12 11 8 1回
スーパースポーツ計 28 1 4 2 2 0回
フォーミュラエクストリーム計 10 5 7 1 8 1回
スーパーバイク計 74 29 68 43 30 3回

スーパーバイク世界選手権 編集

シーズン バイク 出走 優勝 表彰台 PP FL ポイント シリーズ順位
2009年 ヤマハ・YZF-R1 28 14 17 11 6 462 1位

ロードレース世界選手権 編集

  • 凡例
  • ボールド体のレースはポールポジション、イタリック体のレースはファステストラップを記録。
シーズン クラス バイク 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 シリーズ順位 ポイント
2008年 MotoGP スズキ QAT ESP POR CHN FRA ITA CAT GBR
14
NED GER USA
8
CZE SMR IND
6
JPN AUS MAL VAL 19位 20
2009年 MotoGP ヤマハ QAT JPN SPA FRA ITA CAT NED USA GER GBR CZE IND SMR POR AUS MAL VAL
7
20位 9
2010年 MotoGP QAT
5
SPA
Ret
FRA
Ret
ITA
7
GBR
3
NED
4
CAT
6
GER
8
USA
6
CZE
4
IND
2
SMR
6
ARA
5
JPN
8
MAL
4
AUS
5
POR
DNS
VAL
4
6位 176
2011年 MotoGP QAT
6
SPA
Ret
POR
Ret
FRA
6
CAT
3
GBR
Ret
NED
1
ITA
4
GER
5
USA
4
CZE
5
IND
3
RSM
6
ARA
5
JPN
6
AUS
DNS
MAL
C
VAL
2
5位 176
2012年 MotoGP QAT
11
SPA
11
POR
8
FRA
16
CAT
10
GBR
5
NED
4
GER
4
ITA
11
USA
Ret
IND
Ret
CZE
Ret
RSM
5
ARA
5
JPN
Ret
MAL
Ret
AUS
DNS
VAL
DNS
10位 88
2013年 MotoGP ドゥカティ QAT
10
AME
13
SPA
FRA
ITA
DNS
CAT
NED
GER
USA
IND
DNS
CZE
GBR
RSM
ARA
MAL
AUS
JPN
VAL
21位 9

脚注 編集

  1. ^ “Ben Spies Interview”. SuperbikePlanet.com. オリジナルの2008年9月15日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20080915102213/http://www.superbikeplanet.com/2003-Jul/t030729spies.htm 
  2. ^ Central Motorcycle Roadracing Association アメリカ中南部でアマチュアレースを主催する団体。
  3. ^ “Ben Spies CMRA Hall of Fame 2005”. cmraracing.com. http://www.cmraracing.com/halloffame.html 2009年9月15日閲覧。 
  4. ^ “Ben Spies: The next Texas Sensation?”. AMAProRacing.com. http://www.amaproracing.com/features/02/ll/benspies.asp 2007年2月10日閲覧。 
  5. ^ “2006 AMAスーパーバイク Results”. SuperbikePlanet.com. オリジナルの2007年2月20日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20070220094853/http://superbikeplanet.com/calendar2000/sumsb2000.htm 2007年2月10日閲覧。 
  6. ^ “Spies Wins Laguna Seca Classic and Championship”. SuperbikePlanet.com. オリジナルの2008年6月22日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20080622181949/http://www.superbikeplanet.com/2007/Sep/sp2/070916d.htm 2007年9月16日閲覧。 
  7. ^ アーカイブされたコピー”. 2011年5月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年8月27日閲覧。
  8. ^ Reg Pridmore, Fred Merkel, マット・ムラディンに次ぐ。
  9. ^ http://www.motogp.com/ja/news/2008/Schwantz+says+2009+Suzuki+satellite+project+unlikely
  10. ^ アーカイブされたコピー”. 2009年1月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年1月21日閲覧。
  11. ^ 1991年に6連続PPを記録。
  12. ^ これもポーレンが保持していた(1991年に1シーズン10回)
  13. ^ http://nitro-nori41.com/main.html
  14. ^ “Toseland loses MotoGP ride to Spies”. Insidebikes. http://www.carolenash.com/insidebikes/bike-news/toseland-loses-motogp-ride-to-spies.htm#more-4227 2009年10月1日閲覧。 
  15. ^ http://www.motogp.com/ja/news/2010/Spies+reviews+Phillip+Island+and+Rookie+of+Year+0
  16. ^ http://www.yamaha-motor.co.jp/profile/sports/race/release/2010/013/index.html
  17. ^ http://www.motogp.com/ja/news/2011/Ben+Spies+to+withdraw+from+Malaysian+Grand+Prix
  18. ^ http://www.yamaha-motor.co.jp/profile/sports/race/release/2008/022/index.html
  19. ^ http://www.usatoday.com/sports/motor/2006-08-15-superbike-spies_x.htm

外部リンク 編集