ホセ・マリア・"ペチート"・ロペスJosé María "Pechito" López, 1983年4月26日 - )は、アルゼンチンコルドバ州リオ・テルセロ出身のレーシングドライバー。

ホセ・マリア・ロペス
WTCC レース・オブ・ベルギーにて (2014年)
基本情報
国籍 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
生年月日 (1983-04-26) 1983年4月26日(40歳)
出身地 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
同・リオ・テルセロ
世界ツーリングカー選手権での経歴
デビュー 2013
所属 シトロエン・レーシング
車番 37
過去所属 ウィーチャーズ-スポーツ
出走回数 71
優勝回数 29
ポールポジション 20
ファステストラップ 29
シリーズ最高順位 1位 (2014,2015,2016)
基本情報
フォーミュラEでの経歴
デビュー 2016–17
所属 ドラゴン・レーシング
車番 7
過去所属 DS ヴァージン・レーシング
出走回数 33
優勝回数 0
ポールポジション 0
ファステストラップ 1
シリーズ最高順位 9位 (2016–17)
過去参加シリーズ
2001-02

2002

2003,2005-06
2003-04

2004
2005-06
2007

2007-11
2008
2008-13
2008-13
2012-13
2017-
フォーミュラ・ルノー2000 ユーロカップ
フォーミュラ・ルノー イタリア
フォーミュラ1 テスティング
フォーミュラ・ルノーV6・ユーロカップ
国際フォーミュラ3000
GP2シリーズ
アメリカン・ル・マン・シリーズ
TC2000選手権
FIA GT選手権
ツーリスモ・カレテラ
トップ・レースV6
スーパーTC2000
WEC
選手権タイトル
2002

2003

2008-09
2009
2012
2014-16
2019-2021
フォーミュラ・ルノー イタリア
フォーミュラ・ルノーV6・ユーロカップ
TC2000選手権
トップ・レースV6
スーパーTC2000
WTCC
WEC

経歴 編集

初期 編集

2001年にルチディ・モータースポーツからフォーミュラ・ルノー・2000・ユーロカップ[1]、2002年はチームを移籍しクラム・コンペティションチームからフォーミュラ・ルノー・2000・ユーロカップに参戦しながら同年にはイタリア・フォーミュラ・ルノーに参戦しロバート・クビサを負かしてチャンピオンを獲得した[1]。そのパフォーマンスを評価され、クビサに代わってルノーの育成プログラム入りを果たした[2]。2003年はフォーミュラ・ルノーV6・ユーロカップDAMSから参戦、チャンピオンを獲得した[1]

2004年はフォーミュラ・ルノーV6・ユーロカップに参戦しながらCMSチームでフォーミュラ3000に参戦した(6位・28ポイント)[1]。またFIA GT選手権のテストを得て1レースのみDAMSランボルギーニチームからFIA GT選手権に参加[1]

2005年はフォーミュラ3000からシリーズ名が変更されたGP2へ、引き続きDAMSから参戦(9位・36ポイント)[1]、2006年はスーパーノヴァチームから参戦(10位・30ポイント)[1]

ツーリングカーレースでの活躍 編集

ルノーとの契約が切れた2007年からはアルゼンチンの国内ツーリングカーシリーズであるTC2000アルゼンチン選手権にヴィクトール・ロッソのチームから参戦、総合5位で終えた[1]。またアメリカン・ル・マン・シリーズでリシ コンペティツィオーネのフェラーリ・F430GTに乗り、GT1クラスからセブリング12時間レースセントピーターズバーグのみ参戦した[1]

2008年には欧州が主戦場であった彼のACA アルゼンチン・フェラーリ・プロジェクトの一員としてACA・アルゼンチンチームからFIA GT選手権[1]、さらにはトゥリスモ・カレテラとトップレース V6にも並行参戦を開始[1]。TC2000では2年目にして早くもチャンピオンを獲得した[1]。元々欧州が主戦場であったロペスのことはアルゼンチンでは知られてなかったため、この若き才能に敵味方問わず夢中となり、「一体こんなところで何をやってるんだ」「早くヨーロッパに戻ってF1に行け」という内容のことを言われ続けたという[3]

2009年もTC2000に参戦し2年連続のチャンピオンを獲得し同年にはトップレースV6のチャンピオンも獲得した。トゥリスモ・カレテラでもタイトルを争ったが、最終戦で他車の撒いたオイルによりクラッシュし、国内ツーリングカー三冠王は惜しくも逃した。この頃からF1参戦に向けて父やその友人、ロッソらが奔走。さらにはアルゼンチン政府も資金援助を申し出ていた。

こうした周囲の支援に恵まれ、2010年にはUSF1と契約を発表し、同年からのF1参戦の夢が実現目前となった。しかしチームが資金難によって参戦を断念したため自身のF1デビューも幻となってしまった(後述)。 以降は同年のFIA GT1世界選手権の終盤2戦に出場。その後は母国アルゼンチンに戻り、再びTC2000をメインに参戦。新規定『スーパーTC2000』が導入された2012年に3度目のチャンピオンを獲得している。

2013年8月、WTCCの地元アルゼンチンラウンドに、小規模プライベーターのヴィヒャーズ=スポーツよりBMW・320で出走。このラウンドのみの出場ながら第1レースで5位、第2レースにおいてはワークス勢を破って総合優勝を飾り、同チームでフル参戦のフレディ・バースの年間獲得ポイントをたった1ラウンドで上回る結果を残した(シーズン15位)。

 
2014年のWTCC鈴鹿戦(2014/10/25 WTCC Race Of Japan)

2014年は前年の実績が認められ、この年からワークス参戦となるシトロエンから2014年の世界ツーリングカー選手権(WTCC)にフル参戦。 開幕戦モロッコラウンドの第1レースでいきなりポールトゥウィンを決めると、第6戦ロシアラウンドの第1レースでもポールトゥウィン。母国レースの第8戦アルゼンチンラウンドにおいては、第1レースでシーズン3度目のポールトゥウィンを決めると、リバースグリッドで10番グリッドスタートとなった第2レースでも残り4周でロバート・ハフを抜いて優勝し、地元の声援に応える見事な走りを見せた。第11戦日本ラウンドの第1レースで9勝目をシーズン4度目のポールトゥウィンで決め、フル参戦1年目にしてWTCCシリーズチャンピオンを獲得した。アルゼンチン人ドライバーによるワールドチャンピオンの獲得は、ファン・マヌエル・ファンジオ1957年のF1世界選手権で5度目のワールドチャンピオンを獲得して以来となる[4]。最終戦マカオラウンドの第1レースでも勝利し、WTCCシーズン最多記録更新となる10勝を挙げた[5]

2015年も引き続きシトロエンから参戦。開幕戦アルゼンチンと第2戦モロッコの第1レースでポールトゥウィン。さらに第4戦ドイツ、第8戦ポルトガル、第10戦中国でも第1レースポールトゥウィンを達成し。第11戦タイの第1レースポールトゥウィンでチャンピオン連覇を果たした。

2016年もシトロエンから参戦。前半戦は昨年とは違いライバルであるホンダとの接戦となるも、後半戦は勢いを取り戻し計8勝を挙げ世界選手権3連覇を果たした。

フォーミュラ1 編集

2003年から2006年にかけてルノーF1の育成プログラムとなるルノー・ドライバー・デベロップメントの一員で、2006年はルノーF1のテストドライバーを務めていた[1]

2010年のF1世界選手権においてUSF1との契約を発表したが800万ドルのスポンサーシップをチームに持ち込むことを条件とされていた[6]。そして、2010年1月26日にUSF1から参戦すことが発表された[7]。しかし、3月2日に契約したUS F1チームが資金難の為にチーム経営・運営を終了した為、ロペスも契約を解除された。そのため、ヒスパニア・レーシング・F1チームでリザーブドライバーとしての契約を目指した。この一連のUS F1による騒動と契約解除劇はロペスにとってメディアや世間も非常に同情的であり、その背景にはレギュラーシート獲得の為に既にUS F1側に前払金として約83万ドルを渡している事が関連している。ロペス側陣営も「今回のチャンスは彼にとって最後のF1へのチャンスだろう」と述べた後、リザーブドライバーへの契約に尽力することを明かした。又、この件に関してロペスはUS F1について「彼らはFIAFOTAFOM、そしてアメリカのレースファンの全てをだました。」と述べている[8][9]

3月5日、マネージャーのフェリペ・マクゴーはホセ・マリア・ロペスがF1での仕事を見つけることが出来なかった事を公表した。それを表すかの様に、3月4日に行われたヒスパニア・レーシングの体制発表会にロペスの姿はなかった。又、契約していたUS F1側は、ロペスの前払金の返金を拒否していると伝えられる[10]

フォーミュラE 編集

 
2019年マラケシュ戦(フォーミュラE)

2016年-17年のフォーミュラEにおいてWTCCの所属チームであるシトロエンとパートナーシップ提携しているDSヴァージン・レーシング・フォーミュラEチームで参戦することが発表された[11]。フォーミュラ選手権にフル参戦するのは11年ぶりながらシーズン9位、表彰台2回を記録する。総合リザルトでこそ4位の同僚サム・バードに水をあけられたが、後半戦の出走レースではリタイア1回を除きバードに全勝しWTCC王者の意地を見せた。

翌シーズンはWECとのバッティングにより離脱したが、その後の日程変更により参戦が可能となったため、同じ理由でドラゴン・レーシングから離脱したニール・ジャニの代役として、残りのシーズンを戦った。しかし戦闘力不足もあり、入賞3回に終わっている(シーズン17位)。

2018-2019年はフル参戦となるが、昨シーズンを下回る入賞2回(シーズン21位)で、スポット参戦のチームメイトのマクシミリアン・ギュンターにも敗れるという有様で、このシーズン限りでシリーズから離脱している。なお後任にはWECで同僚のブレンドン・ハートレイが就いている。

世界耐久選手権(WEC) 編集

 
2017年ル・マン(WEC)

2017年2月2日、FIA 世界耐久選手権(WEC)に2015年冬よりテストをしていたトヨタ・ガズー・レーシングからLMP1 Hybridクラスに参戦することが発表される[12][13]TS050 HYBRIDの7号車をマイク・コンウェイ小林可夢偉とシェアする。なお同年ル・マンのみ9号車よりニコラ・ラピエール国本雄資と出場したが、ラピエール走行中のトラブルによりリタイアに終わった。

以降は小林可夢偉/マイク・コンウェイとのコンビで2019-2020年には選手権を、2021年にはル・マンを初めて制覇した。アルゼンチン人のル・マン総合優勝は、1954年のホセ・フロイラン・ゴンザレス以来67年ぶり2人目、ラテン・アメリカ人としても1968年のペドロ・ロドリゲス以来53年ぶり3人目となった。また複数の異なるカテゴリでのFIA世界選手権制覇は、ペター・ソルベルグフェルナンド・アロンソに続く3人目となった。

2022年も同じ体制で参戦。開幕戦セブリング1000マイルでは同一周回で二度立て続けにクラッシュし、リタイアしている[14]。第3戦ル・マンでは僚機と争うが、ロペスのスティント中にマシントラブルが発生。短時間で回復して総合2位でフィニッシュしたが、連覇は逃した。

人物 編集

  • 海外の実況やメディアでは愛称の「Pechito」で呼ばれるのが一般的である。アルゼンチンには他人を罵る言葉として「Pecho frío(直訳すると"冷たい胸")」という俗語がある[注 1]が、ロペスが生まれる前にレースをしていた父[注 2]は対戦相手たちと口論の末に「¡Ustedes son unos pecho frío!(お前らみんなPecho fríoだ)」と叫んだことで、「Pecho」とあだ名された。そして彼の息子には指小辞の「ito」をつけて「Pechito」と呼ばれるようになった。なおアルゼンチンには"Cocho"・ロペス[注 3][15]、その息子の"Cochito"・ロペス[16]というツーリングカーレースのスターがおり、さらに後者はホセと同い年で経歴に共通点も多いため、同国ではしばし混同される[17]
  • ラテン人らしく陽気で、常に人を笑わせることを考えているようなムードメーカーな性格を持つ一方で、仕事ぶりは極めて勤勉で繊細、エンジニアへの要求は厳しいと評される。ドライビングは限界点を果敢に攻めまくって探るスタイルであり、シトロエン・レーシングのテクニカルディレクターであったクサビエ・メステラン・ピノンは「ロペスはC-エリーゼをまるでF1マシンかのようにドライブし、アンダーステアオーバーステアにしている」と語っていた。加えて鋭いフィードバックに解析データの正確な理解、シミュレーターでの入念な準備などを併せ、走り方やセッティングの最適解を見つけ出すのがずば抜けて早い。さらにオーバーテイクの技術も卓越しており、「彼の仕掛けに二度目はまず無く、ほぼ一撃で相手を仕留める(ピノン談)」という。初めてのマシンに知らないコースだらけのWTCCで初年度から王者を取れたのは、こうした彼の能力によるものだとされている[18]
  • トヨタの同僚であるアンソニー・デビッドソンは、ロペスはツーリングカーレースのイメージが強いが、本質はフォーミュラレーサーであると評している[19]
  • 一流ゲーマーで、世界大会にも出場経験がある[20]。WECでの彼のヘルメットにはソニック・ザ・ヘッジホッグを模したキャラクターがあしらわれている[21]
  • カーナンバー37はカート時代からのもので、選択できる場合は必ず37を選ぶ。SNSのIDにも使われている。
  • トヨタのGRスープラGRヤリスの公式インプレッション動画にも登場している。

レース戦績 編集

フォーミュラ・ルノーV6・ユーロカップ 編集

チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 順位 ポイント
2003年 DAMS CAT
1

Ret
CAT
2

13
MAG
1

Ret
MAG
2

3
MON
2

3
DON
1

1
DON
2

3
SPA
1

7
SPA
1

2
SPA
2

1
AND
1

1
AND
2

2
OSC
1

2
OSC
2

1
EST
1

1
EST
2

5
MNZ
1

3
MNZ
2

Ret
1位 354

国際F3000選手権 編集

チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 DC ポイント
2004年 CMS・パフォーマンス ローラ・B02/50 ザイテック IMO
Ret
CAT
6
MON
3
NÜR
5
MAG
Ret
SIL
4
HOC
6
HUN
8
SPA
3
MNZ
Ret
6位 28

GP2シリーズ 編集

エントラント 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 DC ポイント
2005年 DAMS IMO
FEA

2
IMO
SPR

11
CAT
FEA

6
CAT
SPR

1
MON
FEA

Ret
NÜR
FEA

13
NÜR
SPR

14
MAG
FEA

2
MAG
SPR

Ret
SIL
FEA

9
SIL
SPR

Ret
HOC
FEA

13
HOC
SPR

10
HUN
FEA

Ret
HUN
SPR

Ret
IST
FEA

6
IST
SPR

7
MNZ
FEA

Ret
MNZ
SPR

Ret
SPA
FEA

10
SPA
SPR

8
BHR
FEA

4
BHR
SPR

4
9位 36
2006年 スーパーノヴァ・レーシング VAL
FEA

5
VAL
SPR

Ret
IMO
FEA

Ret
IMO
SPR

Ret
NÜR
FEA

4
NÜR
SPR

3
CAT
FEA

Ret
CAT
SPR

Ret
MON
FEA

Ret
SIL
FEA

Ret
SIL
SPR

14
MAG
FEA

3
MAG
SPR

Ret
HOC
FEA

7
HOC
SPR

2
HUN
FEA

8
HUN
SPR

Ret
IST
FEA

9
IST
SPR

11
MNZ
FEA

Ret
MNZ
SPR

Ret
10位 30

FIA GT1世界選手権 編集

チーム 車両 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 順位 ポイント
2010年 ヤング・ドライバー AMR アストンマーティン・DBR9 ABU
QR
ABU
CR
SIL
QR
SIL
CR
BRN
QR
BRN
CR
PRI
QR
PRI
CR
SPA
QR
SPA
CR
NÜR
QR
NÜR
CR
ALG
QR
ALG
CR
NAV
QR
NAV
CR
INT
QR
INT
CR
SAN
QR

Ret
SAN
CR

5
37位 10

(key)

世界ツーリングカー選手権 編集

チーム 車両 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 順位 ポイント
2013年 ヴィヒャーズ=スポーツ BMW・320 TC ITA
1
ITA
2
MAR
1
MAR
2
SVK
1
SVK
2
HUN
1
HUN
2
AUT
1
AUT
2
RUS
1
RUS
2
POR
1
POR
2
ARG
1

5
ARG
2

1
USA
1
USA
2
JPN
1
JPN
2
CHN
1
CHN
2
MAC
1
MAC
2
15位 35
2014年 シトロエン・トタル WTCC シトロエン・C-エリゼ WTCC MAR
1

1
MAR
2

2
FRA
1

4
FRA
2

1
HUN
1

2
HUN
2

6
SVK
1

2
SVK
2

C
AUT
1

3
AUT
2

1
RUS
1

1
RUS
2

Ret
BEL
1

2
BEL
2

1
ARG
1

1
ARG
2

1
BEI
1

3
BEI
2

4
CHN
1

1
CHN
2

3
JPN
1

1
JPN
2

6
MAC
1

1
MAC
2

5
1位 462
2015年 ARG
1

1
ARG
2

2
MAR
1

1
MAR
2

3
HUN
1

1
HUN
2

6
GER
1

1
GER
2

2
RUS
1

2
RUS
2

12
SVK
1

2
SVK
2

2
FRA
1

3
FRA
2

1
POR
1

1
POR
2

5
JPN
1

1
JPN
2

Ret
CHN
1

1
CHN
2

3
THA
1

1
THA
2

3
QAT
1

1
QAT
2

8
1位 475
2016年 シトロエン・レーシング FRA
1

6
FRA
2

1
SVK
1

5
SVK
2

1
HUN
1

13
HUN
2

1
MAR
1

2
MAR
2

1
GER
1

1
GER
2

1
RUS
1

5
RUS
2

8
POR
1

5
POR
2

5
ARG
1

5
ARG
2

1
JPN
1

4
JPN
2

2
CHN
1

4
CHN
2

1
QAT
1

9
QAT
2

3
1位 381

フォーミュラE 編集

チーム シャシー パワートレイン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 順位 ポイント
2016-17年 DSヴァージン・レーシング SRT 01E ヴァージン・DSV-02 HKG
Ret+
MAR
10
BNA
10
MEX
6
MON
Ret
PAR
2
BER
4
BER
5
NYC NYC MTL
Ret
MTL
3
9位 65
2017-18年 ドラゴン・レーシング ペンスキー・EV-2 HKG HKG MAR
6
SAN
Ret+
MEX
12
PDE
8
ROM
17
PAR
10
BER
18
ZUR
12
NYC
Ret
NYC
Ret
17位 14
2018-19年 ジェオックス・ドラゴン SRT 05e ペンスキー・EV-3 ADR
Ret
MAR
11
STI
9
MEX
17
HKG
11
SNY
Ret
ROM
16
PAR
13
MON
10+
BER
20
BRN
DSQ
NYC
12
NYC
Ret
21位 3

(key)

  • + : ファンブースト。
  •  : リタイアだが、90%以上の距離を走行したため規定により完走扱い。

FIA 世界耐久選手権 編集

エントラント クラス シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 順位 ポイント
2017年 トヨタ・ガズー・レーシング LMP1 トヨタ・TS050 HYBRID トヨタ 2.4L Turbo V6 (Hybrid) SIL
23
SPA LMS
Ret
NÜR
3
MEX
4
COA
4
FUJ
2
SHA
4
BHR
4
6位 84.5
2018-19年 SPA
2
LMS
2
SIL
DSQ
FUJ
1
SHA
1
SEB
2
SPA
6
LMS
2
2位 157
2019-20年 SIL
1
FUJ
2
SHA
3
BHR
1
COA
3
SPA
1
LMS
3
BHR
1
1位 207
2021年 LMH トヨタ・GR010 HYBRID トヨタ H8909 3.5L Turbo V6 (Hybrid) SPA
3
POR
2
MNZ
1
LMS
1
BHR
1
BHR
2
1位 173
2022年 SEB
Ret
SPA
1
LMS
2
MNZ
3
FUJ
2
BHR
1
3位 133
2023年 ハイパーカー SEB
1
POR
9
SPA
1
LMS
Ret
MNZ
1
FUJ
1
BHR
2
2位 145
2024年 アコーディス・ASPチーム LMGT3 レクサス・RC F LMGT3 トヨタ 2UR-GSE 5.4 L V8 LUS
16
IMO SPA LMS SÃO COA FUJ BHR 17位* 0 *

ウェザーテック・スポーツカー選手権 編集

チーム クラス 車両 エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 順位 ポイント
2022年 アリー・キャデラック・レーシング キャデラック・DPi-V.R キャデラック・LT1 5.5 L V8 DPi DAY
5
SEB
6
LBH
LGA
MDO
DET
WGL
MOS
ELK
PET
17位 566

ル・マン24時間レース 編集

チーム コ・ドライバー 車両 クラス 周回 順位 クラス
順位
2017年   トヨタ・ガズー・レーシング   ニコラ・ラピエール
  国本雄資
トヨタ・TS050 HYBRID LMP1 160 DNF DNF
2018年   マイク・コンウェイ
  小林可夢偉
LMP1 386 2位 2位
2019年   マイク・コンウェイ
  小林可夢偉
LMP1 385 2位 2位
2020年   マイク・コンウェイ
  小林可夢偉
LMP1 381 3位 3位
2021年   マイク・コンウェイ
  小林可夢偉
トヨタ・GR010 HYBRID LMH 371 1位 1位
2022年   マイク・コンウェイ
  小林可夢偉
LMH 380 2位 2位
2023年   マイク・コンウェイ
  小林可夢偉
ハイパーカー 103 DNF DNF

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m "[1]
  2. ^ 『AUTOSPORT No.1250』P36 2010年4月22日発売 三栄書房刊行
  3. ^ 『AUTOSPORT No.1250』P37 2010年4月22日発売 三栄書房刊行
  4. ^ ロペス「憧れのセナ初戴冠の地で決められ幸せ」AUTO SPORTweb(2014年10月26日)
  5. ^ WTCCマカオR1:ロペスがシーズン最多新の10勝AUTO SPORTweb(2014年11月16日)
  6. ^ Argentine signs conditional USF1 race deal
  7. ^ US F1 Team announces Jose Maria Lopez as driver for 2010 season
  8. ^ Lopez exits USF1 contract, eyes Friday role with Campos”. motorsport.com (2010年3月2日). 2010年3月2日閲覧。
  9. ^ USF1 closed down?” (2010年3月2日). 2010年3月2日閲覧。
  10. ^ F1 Gate.com2010年3月5日
  11. ^ ホセ・マリア・ロペス、DSヴァージンからフォーミュラEに参戦”.F1-gate.com.(2016年7月15日)2017年1月20日閲覧。
  12. ^ TOYOTA GAZOO Racing、2017年の活動計画を発表”.Toyota Gazoo Racing.(2017年2月2日)2017年2月2日閲覧。
  13. ^ 【WEC】 トヨタ、ホセ・マリア・ロペスを2017年のドライバーに起用”.F1-Gate.com.(2017年2月2日)2017年2月2日閲覧。
  14. ^ トヨタ7号車ロペス、横転大クラッシュは「僕のせい」接触後急いでピットに向かったことが仇に?:WEC開幕戦セブリングMotorsports.com 2022年8月8日閲覧
  15. ^ Las mejores anécdotas de Cocho López, el showman del automovilismo argentino: de la noche en la que casi muere congelado a su paso por Videomatchinfobae 2021年8月31日閲覧
  16. ^ ファン・マヌエル・ロペス
  17. ^ NICKNAME’S ORIGINS: “PECHITO” LÓPEZe-racing net 2021年8月29日閲覧
  18. ^ Pechito López, the “unexpected” championEUROSPORTS 2021年8月29日閲覧
  19. ^ 『AUTOSPORT特別編集 ル・マン24時間 2018 トヨタ"歴史的"勝利の全貌』 2018年8月24日 三栄書房刊行
  20. ^ ル・マン24時間レースに向けて避難訓練を実施!? トヨタが行ったびっくりなテスト内容とは?cliccar 2018年6月4日
  21. ^ José María López - Helmet Design ExplainedYoutube 2021年8月29日閲覧

注釈 編集

  1. ^ 意味は「臆病者」「自分のことしか考えていない」「人情が無く他人に冷たい」「情熱がなく一生懸命になれていない」「期待されてる割に結果が残せていない」など文脈によって様々である。
  2. ^ 文献によっては祖父が発言し、父があだ名を受け継ぎ、ロペスで指小辞がついたとするものもある
  3. ^ オスバルド・ロペス。由来は彼がまだ母の胎内にいる頃、母の友人のCochoと呼ばれている息子が立派に教育されていることに感銘を受けて、「この子が生まれたら本名とは別にCochoと呼ぶことにする」と決めたからであるという

関連項目 編集

外部リンク 編集