ポール・クック(Paul Cook, 1956年7月20日 - )は、イギリスパンク・ロックバンド、セックス・ピストルズのドラマー。ロンドンハマースミス出身。

ポール・クック
出生名 Paul Thomas Cook
生誕 (1956-07-20) 1956年7月20日(67歳)
出身地 イギリスの旗 イギリスロンドン
ジャンル パンク・ロック
職業 ドラマー
担当楽器 ドラムス
活動期間 1975年 -
共同作業者 セックス・ピストルズ
プロフェッショナルズ
チーフ・オブ・リリーフ
ポール・クック

来歴 編集

親友のスティーヴ・ジョーンズとともにピストルズに参加。ピストルズが軌道に乗るまでは、やる気もなく、電気工事事業者の仕事に就こうと何度もバンドを脱退しかけた。

他のメンバーたちと違い生真面目な物静かな性格で、また彼の担当であったドラムにしても、「まるでローリング・ストーンズチャーリー・ワッツもどきの単調さ」という評価もあった。マネージャーのマルコム・マクラーレンは、ピストルズのドキュメンタリー映画『ザ・グレイト・ロックンロール・スウィンドル』の中で、クックにドラムを担当させた理由として、「怖いもの知らずだが、いつも時間には几帳面。ビートを任せるにはうってつけのドラマーだ」と述べている。しかし、シングル「アナーキー・イン・ザ・UK」のレコーディング時、難航し中断していた際プロデューサーにクリス・トーマスを起用しようとメンバーに提案したのはポールである。(ポールは当時、ロキシー・ミュージックに夢中になっていた)

必然的にメンバーの中では目立つこともなく、ピストルズ解散後はジョーンズとプロフェッショナルズを結成し、行動をともにした。プロフェッショナルズは二つのアルバムリリース後、1982年に解散。その後は長年連れ添ってきたジョーンズと初めて別行動をとり、チーフ・オブ・リリーフを結成。一度来日している。しかし再結成ピストルズの来日時、その前年にエドウィン・コリンズのバックバンドのメンバーで来日していたのに、それをどのジャーナリストも気付かずに「初来日」としてインタビューしたことにショックを受けていた[要出典]

2007年現在は妻と娘と共にロンドンシェパーズ・ブッシュに住み、エドウィン・コリンズのセッション・ミュージシャンなどとして活躍中である。