マンジ(Manzi, モンゴル語: Вэнь Жи ван Манзи, 中国語: 蛮子、? - 1336年)は、モンゴル帝国の皇族で、第5代皇帝クビライ・カアンの子のトガンの五男。文済王。『元史』などの漢文史料では文済王蛮子と記される。

概要 編集

生年は不明であるが、ラオジャントク・ブカコンチェク・ブカテムル・ブカらの弟として生まれた。弟には宣徳王ブダシリがいる。

マンジは元統2年(1334年)、ウカアト・カアン(順帝トゴン・テムル)の治世の初期に文済王に封じられた[1]。文済王位は6段階に分けられる王位のランクの中で第2ランクに位置し、比較的高位の王位であった[2]

同年5月、マンジは詔を受けて大名に出鎮し、銀字団牌を発給された[3]。同時期には雲南王アルクが雲南に出鎮している。

後至元2年(1336年)、マンジは金印・駅券を下賜され、マンジ配下の者は衣服並びに糧5千石の下賜を受けた[4]。マンジの没年は不明であるが至正13年(1353年)に新たな文済王が登場しているため、この頃までには亡くなったとみられる。

家系 編集

至正13年(1353年)にはブカ・テムル(不花帖木児)という人物が文済王位を承襲しており、マンジの血縁と見られるが実際にどのような関係にあったかは不明である[5]

脚注 編集

  1. ^ 『元史』巻38順帝本紀1,「[元統二年四月]庚申、封宗室蛮子為文済王」
  2. ^ 野口1986,54頁
  3. ^ 『元史』巻38順帝本紀1,「[元統二年五月]戊申,詔文済王蛮子鎮大名、雲南王阿魯鎮雲南、給銀字団牌」
  4. ^ 『元史』巻38順帝本紀1,「[至元二年十二月]丙子、賜文済王蛮子金印・駅券及従衛者衣並糧五千石」
  5. ^ 『元史』巻43順帝本紀6,「[至正十三年八月]庚申、命不花帖木児襲封文済王」

参考文献 編集

  • 杉山正明『モンゴル帝国と大元ウルス』京都大学学術出版会、2004年
  • 野口周一「元代後半期の王号授与について」『史学』56号、1986年
  • 新元史』巻114列伝11
  • 蒙兀児史記』巻76列伝58