マーター・アムリターナンダマイー

マーター・アムリターナンダマイー・デーヴィーサンスクリット語表記 माता अमृतानन्दमयी、マラヤーラム語表記 മാതാ അമൃതാനന്ദമയി、幼名はスダーマニ、1953年9月27日 - )はインドの霊性指導者である。信奉者たちから聖者として尊敬され、アンマアマチマザーなどの愛称で呼ばれている。彼女は人道的活動によって高く評価されており、「抱きしめる聖者」としても知られている。

マーター・アムリターナンダマイー
2010年5月13日撮影

少女時代 編集

スダーマニ、後のマーター・アムリターナンダマイーは、1953年、ケーララ州のコッラムに近いパラヤカダヴ(その一部は現在のアムリタプリ)という小さな村で生まれた。両親はアラヤンという貧しい階級に属する漁師の家系だった。年少の兄弟たちの世話と家事一切がスダーマニに任されていたため、彼女自身は9歳までしか学校に通っていない。

名声を得るまで 編集

スダーマニは子供時代から数多くの神秘体験をしたと言われている。1981年から、霊性を求める人々に向けて世界中で教えを説いている。また、国際的な組織であるマーター・アムリターナンダマイー・ミッション・トラストを設立し、霊性と慈善の両面で多くの活動に携わっている。国連総会で講演を行い、万国共通の母性の象徴として賞賛を受けた。

国際イベントとの関わり 編集

国際会議参加・受賞歴 編集

1993年、シカゴで開催された世界宗教会議にヒンドゥー教代表の一人として招かれた。

2002年10月、スイスのジュネーブで開催された Global Peace Initiative of Women において基調講演を行った。この講演に先立ち、2000年8月に開催された国連ミレニアム世界平和サミットでも講演している。

2002年、ジュネーブの国連大会議場で、World Movement for Nonviolence はアンマにガンジー・キング賞を授与した。この賞は、彼女が生涯にわたり推し進めてきた非暴力主義による活動を讃えたものである。同賞の前年までの受賞者は、第7代国連事務総長を務めたコフィー・アナン、前南アフリカ共和国大統領ネルソン・マンデラ、霊長類研究者のジェーン・グドールの3名である。

2006年、ニューヨークのインターフェイス・センターで第4回ジェームス・パークス・モートン・インターフェイス賞の授与式が行われ、アンマがその栄誉に輝いた。インターフェイス賞は、社会的かつ文化的なプログラムを通じて、平和、異宗教間の相互理解と行動を促進する使命を果たした世界的な指導者に対して、年に一度授与される。これまでに、ビル・クリントンダライ・ラマモハメド・エルバラダイシーリーン・エバーディーデズモンド・ツツ、インドの有名な音楽家であるラヴィ・シャンカールなどが受賞している。

2007年10月、パリで開催された国際映画祭「シネマ・ヴェリテ国際ランデブー」において、アンマの人道的活動に対してシネマ・ヴェリテ賞が授与された。女優シャロン・ストーンがアンマを紹介し、アンマに賞を手渡した。

2008年3月、インドのジャイプール(ラージャスターン州)において Global Peace Initiative of Women による国際会議「世界全体の利益のために女性が進むべき道」が開催され、アンマが基調講演を行った。

高弟 編集

マーター・アムリターナンダマイーの元に最初の弟子たちが集まってきたのは、1970年代の終わりだった。今日では、他の弟子や帰依者たちも加わり、最初の弟子たちと共にアシュラムの多様な活動を支えている。アンマのイニシエーションを受けて最初の出家者となったのは、スワーミ・アムリタスワルーパーナンダである。他の高弟は、スワーミ・パラマートマーナンダ、スワーミ・ラーマクリシュナーナンダ、スワーミ・プールナアムリターナンダ、スワーミ・トゥリヤームリターナンダ、スワーミ・アムリタートマーナンダ、スワーミ・プラナヴァアムリターナンダ、スワーミニ・アートマプラーナ、スワーミニ・クリシュナームリタプラーナである。マーター・アムリターナンダマイー・マート(以降MAマートと表記)の名前で知られるアンマのアシュラムは、インドのアムリタプリにある。インド国外のアシュラムとしては、アメリカ合衆国のカリフォルニア州サンラモンにあるMAセンターがあげられる。日本のアシュラムは東京都稲城市にあり、フランスのアシュラムはパリの郊外にある。

ダルシャン 編集

マーター・アムリターナンダマイーは「抱きしめる聖者」として世界中の報道関係者に知られている。彼女は近づく人たちを一人残らず抱きしめる。インドでは1日に5万人以上の人が彼女の抱擁を求めて集まり、全員を抱擁するために時には24時間以上も座り続けることがある。彼女は過去30年間の間に、少なくとも2千8百万人の人々を抱擁したと言われている。

マーター・アムリターナンダマイーの人生を描いた映画『ダルシャン - 抱擁』は2005年カンヌ映画祭の特別招待作品に選出された。国際映画賞を受賞した映像作家のヤン・クーネンが監督した。ヤン・クーネン監督はオランダ生まれで、現在はフランスをベースに活動している。プロデューサーはフランス人のマニュエル・デ・ラ・ロシュである。ヤン・クーネン監督と製作スタッフは、2003年にコーチで開催されたマーター・アムリターナンダマイー生誕50年を祝う「アムリタワルシャム」のイベントから撮影を開始した。撮影チームは、映画の完成までアンマと共に旅を続け、インドおよび世界各国で行われるツアーをフィルムに収めた。クーネン監督は、次のように語っている。「この企画に関わって撮影を開始したとき、私は『アンマは善良な人で、良い事を行っている。お返しに何か彼女のためになることをしてあげよう』と考えていました。しかし、撮影が進むにつれて贈り物をもらったのは私の方だと気が付きました。」

人道的活動 編集

MAマートのホームページには、この組織が行っている様々な慈善活動や人道的活動が紹介されている。一例を挙げると、貧しい人たちのための住宅10万戸の建設、病院、孤児院、ホスピス、女性のための避難所、寡婦に対する扶助金の支払い、地域助成センター、高齢者のためのケアーホーム、眼科クリニック、言語聴覚療法などである。また、アメリカ合衆国ではアンマのセンターの多くが「マザーズ・キッチン」や「菜食スープ・キッチン」の活動を展開しており、ボランティアたちが調理した食物を貧しい人々に配布している。アンマの慈善活動を見習う日本のNPO法人は2年以上にわたって新宿中央公園で炊き出しを行った。

アムリタプリのMAマートは、インド国内で学校100校、寺院20箇所、コーチにある先端医療の専門病院などを運営している。また、調理場で毎回何千人分もの食事を賄っている他、毎年1万5千人の寡婦たちに扶助金を支給し、家の無い人のために年間およそ2万5千軒の住居を建設し、アンマのメッセージを広めるために、世界35箇所でアンマの福祉センターを運営している。

2004年、MAマートはインド洋津波の被災者援助のために1億ルピー(約24億円)の救援金を贈ると発表した。救援活動の2年目を終える2006年末までに、支援総額は当初予算の倍にあたる4600万USドル(約46億円)に達した。MAマートによる救援活動は、ケーララ州タミル・ナードゥ州ポンディシェリアンダマン・ニコバル諸島スリランカの各地で行われ、現在も続いている。

2005年9月、アンマはブッシュ前大統領とクリントン前大統領によって開設されたハリケーン・カタリーナ基金に100万ドル(約1億1千万円)を寄付した。また、被災者たちに必要な援助は何かを調査するために、災害の直後に側近を被災地に派遣した。

2005年10月、カシミール・パキスタン大地震では、数千枚の毛布を被災地に送り、生存者たちに配布した。

出版物 編集

『マートルヴァーニ』は、アンマの宗教的・人道的な活動および帰依者からの話題を掲載した月刊誌である。出版元はアムリタプリのアシュラムで、初刊が出版されたのは1984年。マラヤーラム語タミル語カンナダ語テルグ語マラーティー語グジャラート語ベンガル語ヒンディー語などインド各地の言語と、英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、フィンランド語、スペイン語、日本語で出版されている。マートルヴァーニの他に、英語の国際誌『Immortal Bliss(永遠の至福)』が年4回発行されている。

アンマの言葉 編集

「人間がお互いの中に自己を見出し認識できるようになったとき、初めて本当の平和が訪れます。」

外部リンク 編集