ミッチェル・スティーブン・ウィリアムスMitchell Steven Williams , 1964年11月17日 - )はアメリカメジャーリーグで活躍した投手。左投左打。 アメリカ合衆国カリフォルニア州サンタアナ出身。 ニックネームは「Wild Thing」(映画「メジャーリーグ」のチャーリー・シーン扮する投手リッキー・ボーンの愛称に因む)。

ミッチ・ウィリアムス
Mitch Williams
2008年7月28日
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州サンタアナ
生年月日 (1964-11-17) 1964年11月17日(59歳)
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1982年 ドラフト8巡目
初出場 1986年4月9日
最終出場 1997年5月10日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

人物・来歴 編集

1986年テキサス・レンジャーズでメジャーデビュー。この年新人でいきなり80試合に登板し、新人の最多登板記録を更新。 1987年は85試合(自己最多)に登板し、108回2/3を投げて奪三振129、与四死球101。 1988年はクローザーも務め、16セーブをあげる。

1988年オフにラファエル・パルメイロらとの交換トレードシカゴ・カブスに移籍。 1989年に映画「メジャーリーグ」が封切られると、投げ終わって三塁側に倒れこむ程の力強いフォームから、時速90マイル(145km/h)を楽に越す速球を投げるが、コントロールが悪く、まさにリッキー・ボーン(チャーリー・シーンが演じる投手)のキャラクターそのもののようなウィリアムスを見たリグレー・フィールドのオルガン奏者が、映画の中でのリッキーの登場曲「Wild Thing」(演奏者はX)を演奏したところこれがマッチし、以後、同名の愛称がウィリアムスにつけられることとなった。後年、1993年以後は背番号も映画の中のリッキーと同じ「99」(時速99マイル=約159km/hの速球を投げることにちなむ)に変更した。

この1989年には、76試合に登板して4勝4敗36セーブの活躍でチームのナ・リーグ東地区優勝に貢献する。また、オールスター出場も果たした。 1991年にはフィラデルフィア・フィリーズに移籍し、この年は12勝5敗30セーブをあげる。特に8月には8勝をあげた。 1992年も29セーブをあげる。 そして1993年には自己最多の43セーブをあげ、チームの地区優勝に貢献。

アトランタ・ブレーブスとのナ・リーグチャンピオンシップシリーズでは2勝2セーブをあげて4勝すべてに貢献して、チームをワールドシリーズに導く(ただし、2勝はいずれもセーブ失敗してついたもの)。 そして、トロント・ブルージェイズとのワールドシリーズが、野球人生を暗転へと追い込むこととなってしまった。 第2戦ではセーブをあげるが、乱打戦となった第4戦で、フィリーズは最大5点差をつけていたが8回にブルージェイズが猛攻。 ウィリアムスも登板したが14対15と逆転を許し、敗戦投手となった。フィラデルフィアのファンはブーイングだけでは収まらずに、ウィリアムスに襲いかかった。なお、この試合の両チーム合計29得点はワールドシリーズ記録である。

さらにフィリーズの2勝3敗で迎えた第6戦。フィリーズは7回にレニー・ダイクストラの3点ホームラン等で5点を奪って6対5と逆転。 そして、3勝3敗のタイに持ち込むべく、満を持して9回にウィリアムスをマウンドへ送ったが、2走者を出してジョー・カーターに投じた渾身のスライダーを逆転サヨナラ3ランホームランとされてしまった。 ワールドシリーズがサヨナラホームランで幕を閉じるのは1960年(打ったのはピッツバーグ・パイレーツビル・マゼロスキー)以来33年ぶりとなった。

さらに、悪送球となった牽制球が一塁手ジョン・クルックの股間を直撃し、保護カップがウィリアムスの「速球」に役に立たず、それが原因でクルックが精巣癌となり、結果として選手生命を短くするという事故もあり、これらの精神的なショックから立ち直ることができず、 1994年ヒューストン・アストロズに移籍して1勝4敗6セーブ、防御率7.65の散々な成績に終わる。 1995年カリフォルニア・エンゼルス、1年おいて1997年カンザスシティ・ロイヤルズでプレイするが、セーブすらあげることができず、1997年限りで現役引退した。

通算192セーブは2011年終了時点でメジャー歴代46位。

691回1/3を投げて660奪三振は9イニング平均8.59。四球も544あり、こちらは7.08。2011年シーズン終了時点で通算セーブでメジャー歴代50位以内に入っている投手(以下同様)で、9イニングあたりの平均与四球が5以上という投手は他になく、最高でもアーマンド・ベニテスの4.66。4.0以上も他にグレッグ・オルソン(4.42)、ランディ・マイヤーズ(4.03)、フランシスコ・コルデロ(4.08)、ブラッド・リッジ(4.24)だけであり、ウィリアムスの荒れ球・制球難が相当のものであったことは、これだけで十分に説明がつく。WHIP(投球回あたり与四球・被安打数合計)は1.56で、通算セーブ歴代50傑で最下位。ただし通算の被打率は.218で、この点ではほぼ同時期の活躍になるリー・スミス(.237)、デニス・エカーズリー(.243)、デーブ・リゲッティ(.244)、グレッグ・オルソン(.239)、ランディ・マイヤーズ(.233)らよりも優れている。

前出のジョー・カーターにHRを食らった試合の解説(NHK BS)は星野仙一であったが、あまりの荒れ球に「私ならこんな投手は使わない」と憤慨していた。その発言の後、HRを打たれてしまった。

1993年7月2日サンディエゴ・パドレス戦では延長14回に登板し、クローザーには珍しいサヨナラヒットを打つ。この試合はダブルヘッダーの第二試合で、雨による中断もあったため第一試合の試合開始から12時間以上に及ぶロングゲームで、時刻は翌日未明4時40分。相手投手はトレバー・ホフマンであった。そもそも打席に立ったのも、このシーズン65試合に登板してこの一度だけであった。通算でもわずか16打席のみだが、このサヨナラヒットも含めて3安打。1989年にはホームランも打っている。

メジャーからの引退後、2001年独立リーグアトランティックシティ・サーフドッグスで現役復帰。 2002年2003年は同チームの監督を務める。 現在はフィラデルフィアでラジオ番組のパーソナリティを務めるほか、フィリーズの試合の解説も務める。

詳細情報 編集

年度別投手成績 (MLB) 編集





















































W
H
I
P
1986 TEX 80 0 0 0 0 8 6 8 - .571 435 98.0 69 8 79 8 11 90 5 5 39 39 3.58 1.51
1987 85 1 0 0 0 8 6 6 - .571 469 108.2 63 9 94 7 7 129 4 2 47 39 3.23 1.45
1988 67 0 0 0 0 2 7 18 - .222 296 68.0 48 4 47 3 6 61 5 6 38 35 4.63 1.40
1989 CHC 76 0 0 0 0 4 4 36 - .500 365 81.2 71 6 52 4 8 67 6 4 27 25 2.76 1.51
1990 59 2 0 0 0 1 8 16 - .111 310 66.1 60 4 50 6 1 55 4 2 38 29 3.93 1.66
1991 PHI 69 0 0 0 0 12 5 30 - .706 386 88.1 56 4 62 5 8 84 4 1 24 23 2.34 1.34
1992 66 0 0 0 0 5 8 29 - .385 368 81.0 69 4 64 2 6 74 5 3 39 34 3.78 1.64
1993 65 0 0 0 0 3 7 43 - .300 281 62.0 56 3 44 1 2 60 6 0 30 23 3.34 1.61
1994 HOU 25 0 0 0 0 1 4 6 - .200 106 20.0 21 4 24 2 1 21 1 0 17 17 7.65 2.25
1995 CAL 20 0 0 0 0 1 2 0 - .333 65 10.2 13 1 21 0 2 9 2 1 10 8 6.75 3.19
1997 KC 7 0 0 0 0 0 1 0 - .000 38 6.2 11 2 7 1 0 10 2 0 8 8 10.80 2.70
通算:11年 619 3 0 0 0 45 58 192 - .437 3119 691.1 537 49 544 39 52 660 44 24 317 280 3.65 1.56
  • 「-」は記録なし。
  • 太字はリーグ1位。
  • 1996年は試合出場なし。

獲得タイトル・表彰・記録 編集

背番号 編集

  • 28 (1986年 - 1992年)
  • 99 (1993年 - 1995年)
  • 49 (1997年)

外部リンク 編集