ヨハン・ダニエル・ティティウス(Johann Daniel Titius、ティティウスはラテン名で本名はTietz 1729年1月2日 - 1796年12月11日)は、ドイツ天文学者物理学者生物学者太陽系惑星太陽からの距離は簡単な数列で表せるというティティウス・ボーデの法則で知られる。

Johann Daniel Titius

西プロイセンのコニッツ(現在のポーランド領ホイニツェ英語版)に生まれた。父親の早逝により、ダンツィヒで大学教授を務めていた叔父によって教育を受けた。ライプツィヒ大学で学び、同大学で講師となった後1756年からヴィッテンベルク大学で数学の教授、後に物理学の教授を務めた。教授職のかたわら多くの翻訳を行った。1766年の訳書、シャルル・ボネ『自然の思想』第2版の訳注に惑星の太陽からの距離の法則を書き加えた。ティティウス・ボーデの法則は新しい惑星の発見をうながす契機となった。

小惑星(1998)ティティウス[1]、月のティティウスクレータはティティウスに因んで命名された。

関連項目 編集

脚注 編集

  1. ^ (1998) Titius = 1938 DX1 = 1966 TF”. MPC. 2021年9月1日閲覧。

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