ラプレヴォヤンテ (La Prevoyante) は、1970年代に活躍したカナダ生産の競走馬アメリカとカナダの競馬殿堂に殿堂馬として選ばれた馬の一頭である。

ラプレヴォヤンテ
欧字表記 La Prevoyante
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1970年
死没 1974年12月28日
Buckpasser
Arctic Dancer
生国 カナダの旗 カナダ
生産者 Jean-Louis Lévesque
馬主 Jean-Louis Lévesque
調教師 Yonnie Starr
競走成績
生涯成績 39戦25勝
獲得賞金 572,417ドル
(アメリカドル換算)
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経歴 編集

ラプレヴォヤンテは父に名種牡馬バックパサー、母にノーザンダンサーの全妹アークティックダンサーを持つ競走馬で、カナダの名オーナーブリーダーであったジャン=ルイ・レヴェスクに生産・所有された。

ラプレヴォヤンテが最も活躍したのは2歳時で、フリゼットステークスメイトロンステークスなどを含む12競走に出走し、そのすべてで勝利を収めた。この活躍により、1972年エクリプス賞最優秀2歳牝馬、ソヴリン賞年度代表馬に選出された。

3歳以降のラプレヴォヤンテは何度か敗北を喫しており、ウッドバイン競馬場カナディアンオークスでは3着、ケンタッキーオークスでは2着などと惜敗が多くなるようになった。それでも3歳時には14戦して7勝を挙げ、ラトロワンヌステークスやケベックダービーなどのステークス競走でも勝ちを挙げている。

4歳時は13戦して6勝を挙げるも、ステークス競走ではカナディアンハンデキャップの3着、シーウェイステークスの2着程度の成績にとどまった。

4歳時の年末、コールダー競馬場で開催されたミスフロリダハンデキャップに出走していたラプレヴォヤンテは、レース前に装鞍所内で突然体調を崩したため、出走を取り消された。その後、みずからの足で厩舎まで戻ることが出来たが、厩舎内でふたたび衰弱、そのまま死亡した。死因は肺破裂

本馬の死後、2歳時のパフォーマンスなどが評価されて1976年カナダ競馬名誉の殿堂に殿堂馬として選定され、1995年にはアメリカ競馬名誉の殿堂にも選定された。

評価 編集

主な勝鞍 編集

年度代表馬 編集

表彰 編集

血統表 編集

ラプレヴォヤンテ血統トムフール系ファラリス系) / Selene5×5=6.25%、Phalaris5×5=6.25%、Teddy5×5=6.25%) (血統表の出典)

Buckpasser
1963 鹿毛 アメリカ
父の父
Tom Fool
1949 鹿毛 アメリカ
Menow Pharamond
Alcibiades
Gaga Bull Dog
Alpoise
父の母
Busanda
1947 青毛 アメリカ
War Admiral Man o'War
Brushup
Businesslike Blue Larkspur
La Troienne

Arctic Dancer
1963 鹿毛 カナダ
Nearctic
1954 黒鹿毛 カナダ
Nearco Pharos
Nogara
Lady Angela Hyperion
Sister Sarah
母の母
Natalma
1957 鹿毛 アメリカ
Native Dancer Polynesian
Geisha
Almahmoud Mahmoud
ArbitratorF-No.2-d


外部リンク 編集