ラロ・シフリン

アルゼンチン出身の作曲家、編曲家、ジャズピアニスト、指揮者 (1932-)

ラロ・シフリン(Lalo Schifrin、1932年6月21日 - )は、アルゼンチン出身の作曲家編曲家ジャズピアニスト指揮者

ラロ・シフリン
(2006年7月7日、コンサートにて)
基本情報
出生名 Boris Claudio Schifrin
生誕 (1932-06-21) 1932年6月21日(91歳)
出身地 アルゼンチンの旗 アルゼンチン ブエノスアイレス
ジャンル ビバップロックファンク
職業 ピアニスト作曲家指揮者
担当楽器 ピアノ
公式サイト Official website

ブリット』、『ダーティハリー』、『燃えよドラゴン』といった映画や、『スパイ大作戦』、『スタスキー&ハッチ』といったテレビシリーズの作曲家として有名。

来歴 編集

本名は、ボリス=クラウディオ・シフリン。ブエノス・アイレス生まれ。父はヴァイオリン奏者。6歳からピアノを習い始め、エンリケ・バレンボイム(ダニエル・バレンボイムの父)、次いで、アンドレア・カラリスに師事し、アルゼンチンの大学でクラシックを学んだ。ジャズにも傾倒していたが、1950年代初頭にパリに留学し、パリ国立高等音楽・舞踊学校で、オリヴィエ・メシアンシャルル・ケクランに師事した。

フランスで、ジャズ・ピアニスト、アレンジャーとしてキャリアを歩み始め、ヴォーグ、エディ・バークレーから何枚かのラテン音楽のレコードを録音した。1950年代終わりに、アルゼンチンに帰国し、ジャズ・ミュージシャンとして活躍した。同じくアルゼンチン人であるガトー・バルビエリとも共演した。1958年に、ディジー・ガレスピーに出会い、ガレスピーのために、『Gillespiana Suite』を書き下ろした。1960年にニューヨークでガレスピーに再会し、ディジー・ガレスピー楽団のピアニストアレンジャーとして参加し頭角を現す。アメリカ移住ザビア・クガートクインシー・ジョーンズなどの楽団にも参加、自身のバンドでも活躍した。これらのビッグバンドでの活動では、ジャズのみならず、ラテンボサノヴァなどの要素も消化していった。

シフリンは、ヴァーヴに所属していたため、スタン・ゲッツカウント・ベイシーサラ・ヴォーンジミー・スミスルイス・ボンファ英語版カル・ジェイダー英語版等の作品に参加した。ヴァーヴが、映画製作会社メトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)の子会社だったために、シフリンは、間もなく、MGMの映画作曲家となった。この頃からシフリンはハリウッドに移り住み、映画やテレビシリーズのために数々の曲を書くことになる。

特に有名なのはテレビドラマスパイ大作戦』(ミッション・インポッシブル)のテーマで、4分の5拍子を用いてダイナミックなサウンドを創り上げた。また、ブルース・リー主演の映画『燃えよドラゴン』では、シンセサイザーも使用しオリエンタルなアレンジを施した。

映画音楽作曲家、ジャズ・ミュージシャンとしてのキャリアと平行して、クラシック音楽の指揮者、作曲家としても活動し、『Invocations』『Concerto pour contrebasse』『Concertos pour piano Nos. 1 & 2』『Pulsations』『Resonances』といった作品を録音した。ホセ・カレーラスプラシド・ドミンゴルチアーノ・パヴァロッティといった、いわゆる「三大テノール」のツアーにも参加している。

1994年第47回カンヌ国際映画祭で審査員を務めた。これまでにグラミー賞に21度ノミネートされ4度受賞。アカデミー賞は6度ノミネートされ、2018年にはアカデミー名誉賞が授与された[1][2]

現在も、映画音楽の創作はもちろん、自身のアルバムも発表し活動している。

音楽担当作品 編集

映画 編集

テレビ 編集

受賞歴 編集

付随情報 編集

  • テレビ埼玉(テレ玉)の放送開始前(オープニング)で昔から現在も使われているバックミュージックは、ラロ・シフリンの「ムーングロウ/ピクニックのテーマ」(Lalo Schifrin - Moonglow & Theme from Picnic)という曲で、日本国内で発売されたLPレコードは既に廃盤である。

脚注 編集

  1. ^ 米ガバナーズ賞、フランク・マーシャル&キャスリーン・ケネディ夫妻らが受賞”. 映画.com. 株式会社エイガ・ドット・コム (2018年11月19日). 2018年11月23日閲覧。
  2. ^ a b 外部リンクに映像

外部リンク 編集