バイロン・リー・タネルByron Lee Tunnell , 1960年10月30日 - )は、アメリカ合衆国テキサス州スミス郡タイラー出身の元プロ野球選手投手)、野球指導者。右投右打。

リー・タネル
Lee Tunnell
ブルワーズでのコーチ時代
(2018年7月26日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 テキサス州スミス郡タイラー
生年月日 (1960-10-30) 1960年10月30日(63歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
180 lb =約81.6 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1981年 MLBドラフト2巡目
初出場 MLB / 1982年9月4日
NPB / 1991年8月1日
最終出場 MLB / 1989年6月22日
NPB / 1993年9月28日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

日本では1991年から1993年福岡ダイエーホークスに所属した。

経歴 編集

現役時代 編集

1981年MLBドラフト2巡目(全体40位)でピッツバーグ・パイレーツから指名され、プロ入り。1982年9月4日にメジャーデビュー。

1983年には、主に先発として11勝を挙げ、規定投球回数にも達する。しかし、メジャーでの数字はこの年がピークで翌年からは下降線を辿り、1986年はメジャー登板が無かった。

1987年にはセントルイス・カージナルスへ移籍した。同年のワールドシリーズも経験した。

1989年、1987年のワールドシリーズでカージナルスを破って世界一になったミネソタ・ツインズに移籍するが、全てリリーフで10試合登板しただけでマイナー暮らしが続いていた。

1990年ヒューストン・アストロズへ移籍した。メジャー昇格出来ないまま、1991年のシーズン途中に福岡ダイエーホークスに移籍。先発として12試合の登板ながら6勝を挙げた。

しかし、1992年以降は精彩を欠き、2年間で4勝17敗に終わった。

アメリカに戻った1994年から1995年の2年間は、コロラド・ロッキーズデトロイト・タイガースのマイナー及びメキシカンリーグで過ごしたのち引退

引退後 編集

引退後は、マイナーリーグ数球団のピッチングコーチやシンシナティ・レッズの巡回コーチ、福岡ソフトバンクホークスの駐米スカウトなどを務めた。

2012年7月末から前任者の解任によりミルウォーキー・ブルワーズでブルペンコーチに就任し、2018年まで務めている。

2019年シーズンからはレッズのブルペンコーチに就任した[1]2022年限りで退団した[2]

投球スタイル・人物 編集

1992年のシーズン前に、評論家の平松政次から「低めの制球が素晴らしい。15勝はする」と絶賛されていた。ストレートの球速こそ130km/h台と大して速くはなかったが、緩急を駆使し、多彩な変化球を低めに集める投球術は特筆すべきものがあった。スライダー、シュートで散らす投球スタイルである。

ダイエー時代は眼鏡をかけた牧師風のスタイルが話題だったが、「野球選手よりも宣教師みたいな性格だ」と言われたこともある。

詳細情報 編集

年度別投手成績 編集





















































W
H
I
P
1982 PIT 5 3 0 0 0 1 1 0 -- .500 75 18.1 17 1 5 0 2 4 0 0 8 8 4.00 1.20
1983 35 25 5 3 1 11 6 0 -- .647 731 177.2 167 15 58 3 2 95 11 5 81 72 3.65 1.27
1984 26 6 0 0 0 1 7 1 -- .125 317 68.1 81 6 40 6 0 51 6 2 44 40 5.27 1.77
1985 24 23 0 0 0 4 10 0 -- .286 565 132.1 126 11 57 4 1 74 3 0 70 59 4.01 1.38
1987 STL 32 9 0 0 0 4 4 0 -- .500 335 74.1 90 5 34 7 1 49 2 5 45 40 4.84 1.67
1989 MIN 10 0 0 0 0 1 0 0 -- 1.000 59 12.0 18 1 6 1 0 7 0 0 8 8 6.00 2.00
1991 ダイエー 12 11 5 1 1 6 2 0 -- .750 364 90.1 70 7 30 0 2 45 2 0 33 32 3.19 1.11
1992 19 12 1 0 0 2 9 0 -- .182 418 90.0 115 13 47 0 4 36 1 0 73 67 6.70 1.80
1993 20 12 0 0 0 2 8 0 -- .200 333 74.2 83 5 37 0 1 28 2 0 44 40 4.82 1.61
MLB:6年 132 66 5 3 1 22 28 1 -- .440 2082 483.0 499 39 200 21 6 280 22 12 256 227 4.23 1.45
NPB:3年 51 35 6 1 1 10 19 0 -- .345 1115 255.0 268 25 114 0 7 109 5 0 150 139 4.91 1.50
  • 「-」は記録なし

年度別守備成績 編集



投手(P)












1982 PIT 5 1 4 0 0 1.000
1983 35 11 35 0 6 1.000
1984 26 8 14 1 1 .957
1985 24 7 23 0 1 1.000
1987 STL 32 6 12 0 1 1.000
1989 MIN 10 0 0 0 0 ----
1991 ダイエー 12 6 17 0 0 1.000
1992 19 2 16 2 1 .900
1993 20 1 14 1 2 .938
MLB 132 33 88 1 9 .992
NPB 51 9 47 3 3 .949
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録 編集

NPB

背番号 編集

  • 22(1982年 - 1985年, 1992年 - 1993年)
  • 42(1987年)
  • 27(1989年)
  • 99(1991年)
  • 85(2012年)
  • 43(2013年 - 2017年)
  • 58(2018年 - 2022年)

脚注 編集

  1. ^ Evan Lewis (2018年11月28日). “Delino DeShields Among 4 New Members of Reds Coaching Staff” (英語). 12up.com. 2019年3月29日閲覧。
  2. ^ Bobby Nightengale (2022年10月6日). “David Bell to return for 2023 season, Cincinnati Reds dismiss five coaches from staff”. Cincinnati Enquirer. 2023年6月18日閲覧。

関連項目 編集

外部リンク 編集