ルイス・ファビアーノ・クレメンチ

ブラジルのサッカー選手

ルイス・ファビアーノ・クレメンチLuís Fabiano Clemente, 1980年11月8日 - )は、ブラジルサンパウロ州カンピーナス出身の元サッカー選手。元ブラジル代表。現役時代のポジションはフォワード

ルイス・ファビアーノ
名前
本名 ルイス・ファビアーノ・クレメンチ
Luís Fabiano Clemente
愛称 Fabuloso ファブローゾ(ポルトガル語で素晴らしいという意味)
ラテン文字 Luís Fabiano
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 (1980-11-08) 1980年11月8日(43歳)
出身地 カンピーナス
身長 185cm
体重 81kg
選手情報
ポジション FW
利き足 右足
ユース
ブラジルの旗 ポンチ・プレッタ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1998-2000 ブラジルの旗 ポンチ・プレッタ 12 (3)
2000-2002 フランスの旗 レンヌ 11 (0)
2001 ブラジルの旗 サンパウロ (loan) 22 (9)
2002-2004 ブラジルの旗 サンパウロ 65 (53)
2004-2005 ポルトガルの旗 ポルト 22 (3)
2005-2011 スペインの旗 セビージャ 149 (72)
2011-2015 ブラジルの旗 サンパウロ 101 (46)
2016 中華人民共和国の旗 天津権健 28 (22)
2017 ブラジルの旗 ヴァスコ・ダ・ガマ 20 (6)
通算 422 (214)
代表歴2
2003-2013 ブラジルの旗 ブラジル 45 (28)
1. 国内リーグ戦に限る。2017年11月5日現在。
2. 2010年7月2日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

クラブ経歴 編集

初期 編集

1980年11月8日、ブラジルサンパウロ州カンピーナスに生まれる。両親から十分な愛情を注がれずに育ち、反抗的な少年時代を過ごした[1]。当時の幼馴染は、「ルイス・ファビアーノはすぐに感情的になり、みんなから嫌われた近所の鼻つまみ者で、サッカーも下手だった」と語った[1]ロマーリオを憧れていた[2]。14歳でグアラニFCの15歳以下のチームのテストに合格するも、コーチやチームメイトと合わず、半年で退団。15歳の時イトゥアーノFCの17歳以下のチームに入団すると、ここのコーチから高い評価を受け、コーチと共にAAポンチ・プレッタに加入した。17歳になると、ほどなくプロ契約を交わし、18歳の時にトップチームに上がるとサンパウロ州リーグでデビューを果たした[1]

2000年にはフランススタッド・レンヌFCに移籍するも、ピッチの内外で馴染めずに、半年で母国のサンパウロFCにレンタル移籍した。サンパウロでの半年間は結果を残すも、再び戻ったレンヌでは活躍できず、2002年にサンパウロに完全移籍した[1]

サンパウロFCでは優れた得点感覚やポジショニングの強さを発揮してゴールを量産し、チームの象徴的な選手となった。2003年のカンピオナート・ブラジレイロで得点王を獲得し、2004年のコパ・リベルタドーレスでも得点王になった。サンパウロでは数々の乱闘を起こし、ファビアーノには悪役のイメージが付きまとった。2003年のコパ・スダメリカーナリーベル・プレート戦では相手選手に後ろからカンフーキックを見舞い[3]、3試合の大会出場停止処分が下された。

FCポルト 編集

2004年夏にスーペル・リーガFCポルトに移籍した。ポルトが支払った移籍金は187万5000ユーロであり、ポルトが権利の25%を、グローバル・サッカー・インベストメント社が権利の75%を保有する複雑な契約だった[4]。そこでコパ・アメリカ2004をともに戦ったジエゴと再会したが[5]、22試合出場3得点に終わった。

セビージャFC 編集

2005年夏、リーガ・エスパニョーラセビージャFCに移籍し、背番号10番を背負った。2006年5月10日、UEFAカップ決勝のミドルスブラFC戦でヘディングゴールを決めた。2007年1月、レアル・サラゴサとの試合中にカルロス・ディオゴと殴り合いの喧嘩を起こし、リーグ戦5試合の出場停止処分を受けた。2006-07シーズンはリーグ戦で24得点(このうち2点はPK)を決めて ピチーチ賞(得点王)争いに加わり、27得点のダニエル・グイサに次ぐ得点ランク2位につけた。この活躍で再び代表に招集されるようになった。2008年11月29日のFCバルセロナ戦ではセルヒオ・ブスケツに肘打ちしてレッドカードを受け、クラブのスタッフが止めに入らなければならないほど激昂した[6]。2009年にはクラブとの契約を2011年まで延長した[7]。2009年7月4日にはACミランが公式なオファーを出し、ファビアーノは移籍を容認するようクラブに嘆願したとされているが[2][8]、セビージャは移籍を認めなかった。2010年8月30日には契約を2013年まで延長し、移籍の噂を立ち切った。

サンパウロFCに復帰 編集

2011年3月11日に古巣のサンパウロFCに4年契約、移籍金は760万ユーロ(約8億6500万円)復帰が発表された[9]

天津権健 編集

2015年12月23日、中国の天津松江(現・天津権健)に加入することを自身のSNSで発表した[10]。2016年シーズンは中国甲級で29試合に出場し23得点を記録し、得点王とMVPを受賞した[11]

ヴァスコ・ダ・ガマ 編集

2017年2月17日、ヴァスコ・ダ・ガマへ移籍した[12]

代表経歴 編集

2003年6月11日のナイジェリアとの親善試合でブラジル代表デビューし、初得点も決めた。2003年にはFIFAコンフェデレーションズカップ2003に招集されたが、出場機会はなかった。2004年にはコパ・アメリカ2004に出場し、全5試合にFWアフォンソ・アウヴェスとともに先発出場した。

コパ・アメリカ2004後はFCポルトセビージャFCでの不調などから3年以上代表に招集されなかったが、セビージャでの好調が買われて2007年11月18日の2010 FIFAワールドカップ・南米予選ペルー戦で復帰した。復帰第2戦のウルグアイ戦には先発出場し、先制された後に2得点を挙げて勝利に貢献し、FWロビーニョなどとともにレギュラーポジションを勝ち取った。2008年11月19日、ブラジリアで行われたポルトガルとの親善試合では代表で初めてハットトリックを達成し、6-2での大勝に一役買った[13]。2009年夏にはFIFAコンフェデレーションズカップ2009に出場し、イタリア戦で2得点を挙げると、決勝のアメリカ戦では2点のビハインドから2得点を挙げて同点に追いつき、ブラジルの優勝に貢献した[14]。大会を通じて5得点を挙げてゴールデンブーツ(得点王)とシルバーボール(最優秀選手次点)に輝いた[15]

2009年9月の2010 FIFAワールドカップ予選アルゼンチン戦では宿敵から2得点を奪い、本大会出場を確定させた[2]。2010年に南アフリカで開催されたワールドカップ本大会グループリーグコートジボワール戦では代表で9ヶ月ぶりのゴールを含む2得点を挙げたが、2点目は2度のハンドの反則が疑われる得点だった[16]。試合後にはハンドを認め、「聖なる手が助けてくれた」と表現した[17]。決勝トーナメント1回戦のチリ戦でも得点したが[18]、準々決勝でオランダに敗れた。

個人成績 編集

クラブでの出場記録 編集

2017年1月10日時点
クラブ シーズン 国内リーグ 国内カップ[19] 大陸別カップ 通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
AAポンチ・プレッタ 1998 7 2 7 2
1999 5 1 5 1
スタッド・レンヌFC 2000-01 11 0 11 0
サンパウロFC 2001 22 9 4 5 7 2 33 16
2002 23 19 23 19
2003 34 29 8 8 4 1 46 38
2004 8 5 12 8 20 13
FCポルト 2004-05 22 3 5 0 27 3
セビージャFC 2005–06 23 5 2 0 12 2 37 7
2006–07 26 10 3 1 9 4 38 15
2007–08 30 24 4 2 10 8 44 34
2008–09 26 8 7 7 4 2 37 17
2009–10 23 15 6 4 6 2 34 21
2010–11 21 10 7 1 8 2 33 13
サンパウロFC 2011 10 6 2 1 12 7
2012 22 17 9 8 5 1 36 26
2013 24 6
2014 23 9
2015 22 8
天津権健 2016 28 22 1 1
通算 412 208

試合数 編集

チーム クラブ シーズン 出場 得点
ブラジル代表 サンパウロFC 2003 3 1
2004 9 5
セビージャFC
2007-2008 8 3
2008-2009 11 13
2009-2010 12 6
通算 43 28

代表での得点記録 編集

2010年7月2日時点[20][21][22][23]
 #  日時 場所 対戦相手 最終結果 大会
1. 2003年6月11日   アブジャ   ナイジェリア 3–0 親善試合
2. 2004年4月28日   ブダペスト   ハンガリー 4–1
3.
4. 2004年6月6日   サンティアゴ   チリ 1–1 2006 FIFAワールドカップ・南米予選
5. 2004年7月8日   アレキパ   チリ 1–0 コパ・アメリカ2004
6. 2004年7月14日   アレキパ   パラグアイ 1–2
7. 2007年11月21日   サンパウロ   ウルグアイ 2–1 2010 FIFAワールドカップ・南米予選
8.
9. 2008年5月31日   シアトル   カナダ 3–2 親善試合
10. 2008年9月7日  サンティアゴ   チリ 3–0 2010 FIFAワールドカップ・南米予選
11.
12. 2008年11月19日   ブラジリア   ポルトガル 6–2 親善試合
13.
14.
15. 2009年4月1日   ポルト・アレグレ   ペルー 3–0 2010 FIFAワールドカップ・南米予選
16.
17. 2009年6月6日   モンテビデオ   ウルグアイ 4–0
18. 2009年6月15日   ブルームフォンテーン   エジプト 4–3 FIFAコンフェデレーションズカップ2009
19. 2009年6月21日   プレトリア   イタリア 3–0
20.
21. 2009年6月28日   ヨハネスブルク   アメリカ合衆国 3–2
22.
23. 2009年8月12日   タリン   エストニア 1–0 親善試合
24. 2009年9月5日   ロサリオ   アルゼンチン 3–1 2010 FIFAワールドカップ・南米予選
25.
26. 2010年6月20日   ヨハネスブルク   コートジボワール 3–1 2010 FIFAワールドカップ
27.
28. 2010年6月28日   ヨハネスブルク   チリ 3–0

タイトル 編集

クラブ 編集

サンパウロFC
  • リオ-サンパウロ・トーナメント: 2001
FCポルト
セビージャFC

代表 編集

ブラジル代表

個人 編集

脚注 編集

  1. ^ a b c d 「ルーツを訪ねて 第58回 LUIS FABIANO」 『WORLD SOCCER DIGEST』No.274、日本スポーツ企画出版社、2008年9月4日発行、雑誌29891-9/4、86-87頁。
  2. ^ a b c 「INTERVIEW LUIS FABIANO ゴールこそすべて」 『WORLD SOCCER DIGEST』No301、日本スポーツ企画出版社、2009年10月15日発行、雑誌29893-10/15、74-76頁
  3. ^ Vickery, Tim (2005年7月3日). “Rivals braced for triple showdown Retrieved Jun 28, 2009”. BBC News. http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/world_football/4645957.stm 2010年6月26日閲覧。 
  4. ^ Facto Relevante Archived 2010年12月5日, at the Wayback Machine.FCポルト、2004年8月31日
  5. ^ “Porto adds quick-tempered, quick-footed Fabiano to roster”. Sportsillustrated.cnn.com. (2004年8月31日). http://sportsillustrated.cnn.com/2004/soccer/08/31/porto.fabiano/ 2010年6月26日閲覧。 
  6. ^ Sublime Barcelona Defeat Sevilla Archived 2012年10月8日, at the Wayback Machine.
  7. ^ Fabiano extends Sevilla contract”. Fifa.com (2008年7月19日). 2010年6月26日閲覧。
  8. ^ Fabiano pleads for Milan move”. Sky Sports (2009年7月4日). 2009年7月4日閲覧。
  9. ^ http://www.sevillafc.es/_www/actualidad.php?op=not&id=20223&leng=esp
  10. ^ “中国2部も大物獲得…元ブラジル代表のL・ファビアーノが移籍発表”. サッカーキング. (2015年12月25日). https://www.soccer-king.jp/news/world/world_other/20151225/382695.html 2018年4月10日閲覧。 
  11. ^ “天津権健のFWルイス・ファビアーノ、MFジャジソンがブラジル復帰へ”. サッカーキング. (2017年1月19日). https://www.soccer-king.jp/news/world/southamerica/20170119/543434.html 2018年4月10日閲覧。 
  12. ^ L・ファビアーノが中国を去る…2年ぶりブラジル復帰”. ゲキサカ (2017年2月19日). 2018年4月10日閲覧。
  13. ^ “Soccer-Luis Fabiano hat-trick helps Brazil thump Portugal”. Uk.reuters.com. (2008年11月20日). http://uk.reuters.com/article/worldFootballNews/idUKB44462820081120 2010年6月26日閲覧。 
  14. ^ “US 2–3 Brazil”. BBC Sport. (2009年6月28日). http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/internationals/8120561.stm 2009年6月30日閲覧。 
  15. ^ Top awards for Brazilian duo”. FIFA (2009年6月28日). 2009年6月30日閲覧。
  16. ^ “Brazil 3-1 Ivory Coast”. BBC Sport. (2006年6月20日). http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/world_cup_2010/matches/match_29/default.stm 2010年6月21日閲覧。 
  17. ^ 「聖なる手」ブラジル死の組突破/G組 日刊スポーツ、2010年6月22日
  18. ^ “Brazil 3-0 Chile”. BBC Sport. (2010年6月29日). http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/world_cup_2010/matches/match_54/default.stm 2010年6月30日閲覧。 
  19. ^ コパ・デル・レイスーペルコパ・デ・エスパーニャを含む
  20. ^ Seleção Brasileira (Brazilian National Team) 2002-2003”. Rsssfbrasil.com. 2010年6月26日閲覧。
  21. ^ Seleção Brasileira (Brazilian National Team) 2004-2005”. Rsssfbrasil.com. 2010年6月26日閲覧。
  22. ^ Seleção Brasileira (Brazilian National Team) 2006-2007”. Rsssfbrasil.com. 2010年6月26日閲覧。
  23. ^ Seleção Brasileira (Brazilian National Team) 2008-2009”. Rsssfbrasil.com. 2010年6月26日閲覧。

外部リンク 編集