ループレヒト・フォン・デア・プファルツ

ループレヒト・フォン・デア・プファルツ(Ruprecht von der Pfalz, 1481年5月14日 - 1504年8月20日)は、プファルツヴィッテルスバッハ家の公子で、父はプファルツ選帝侯フィリップ、母は同族のバイエルン=ランツフート公ルートヴィヒ9世の娘マルガレーテルートヴィヒ5世の弟、フリードリヒ2世の兄。

ループレヒト・フォン・デア・プファルツ
Ruprecht von der Pfalz

出生 (1481-05-14) 1481年5月14日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
プファルツ選帝侯領ハイデルベルク
死去 (1504-08-20) 1504年8月20日(23歳没)
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
バイエルン・ランツフート公領ランツフート
埋葬 神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
バイエルン・ランツフート公領ランツフート、ゼリゲンタール修道院
配偶者 エリーザベト・フォン・バイエルン
子女 オットー・ハインリヒ
フィリップ
家名 プファルツ家
父親 プファルツ選帝侯フィリップ
母親 マルガレーテ・フォン・バイエルン=ランツフート
役職 フライジング司教(1495年 - 1498年)
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生涯 編集

1495年フライジンク司教に就任したが1498年に辞職(後任の司教は兄フィリップが就任)、翌1499年に伯父のバイエルン=ランツフート公ゲオルクの娘エリーザベトと結婚した。1503年のゲオルクの死後にバイエルン=ランツフート公領の相続を主張して、同族のバイエルン=ミュンヘン公アルブレヒト4世と対立、ランツフート継承戦争が勃発した。アルブレヒト4世と神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の軍勢と対峙したが、1504年にランツフートで急死した。同年9月、妻エリーザベトも後を追うように亡くなった。

死後、ランツフート継承戦争はアルブレヒト4世の勝利で終結、バイエルン=ランツフート公領の大半はアルブレヒト4世が領有した。残りはループレヒトの2人の息子オットー・ハインリヒフィリッププファルツ=ノイブルク公領として領有した。

子女 編集

  1. オットー・ハインリヒ(1502年 - 1559年) - プファルツ=ノイブルク公、プファルツ選帝侯
  2. フィリップ(1503年 - 1548年) - プファルツ=ノイブルク公