ルーヴェン

ベルギーの都市

ルーヴェンオランダ語:Leuven [ˈl̪øːvə(n̪)] ( 音声ファイル) 発音例(ルーフェ(ン)、レーヴェ(ン)など)、フランス語:Louvain [luvɛ̃] 発音例ルーヴァンまたはルヴァン))は、ベルギーフラームス=ブラバント州の州都である。現在の市街地は歴史上のルーヴェン市域と隣接したヘーヴェルレー(Heverlee)、ケッセル=ロー(Kessel-Lo)、コルベーク=ロー(Korbeek-Lo)の一部、ウィルセレ(Wilsele)、ウェイクマール(Wijgmaal) を含んでいる。人口は102,126人(2020年1月1日)。広さは56.63km2あり、1km2あたり1803.39人の人口密度である。

ルーヴェン
: Leuven
: Louvain
ルーヴェンの市旗 ルーヴェンの市章
市旗 市章
位置
フラームス=ブラバント州地図の位置図
フラームス=ブラバント州地図
位置
ルーヴェンの位置(ルーヴェン内)
ルーヴェン
ルーヴェン (ルーヴェン)
ルーヴェンの位置(フラームス=ブラバント州内)
ルーヴェン
ルーヴェン (フラームス=ブラバント州)
ルーヴェンの位置(ベルギー内)
ルーヴェン
ルーヴェン (ベルギー)
地図
座標 : 北緯50度52分 東経4度42分 / 北緯50.867度 東経4.700度 / 50.867; 4.700
行政
ベルギーの旗 ベルギー
 地域圏 フランデレン地域の旗 フランデレン地域
 州 フラームス=ブラバント州の旗 フラームス=ブラバント州
 行政区 ルーヴェン行政区
 市 ルーヴェン
地理
面積  
  市域 56.63 km2
人口
人口 2020年1月1日現在)
  市域 102,126人
    人口密度   1,803人/km2
その他
等時帯 中央ヨーロッパ時間 (UTC+1)
夏時間 中央ヨーロッパ夏時間 (UTC+2)
郵便番号 3000, 3001, 3010, 3012, 3018
市外局番 016
公式ウェブサイト : http://www.leuven.be

歴史 編集

891年、西ローマ皇帝(東フランク王アルヌルフヴァイキング軍を打ち破ったとき、Loven として言及されたのにはじまる。伝説によればその赤、白、赤の紋章は、戦闘後の血に染まったデイレ川の岸辺を描いたものだという。デイレ河畔にあり、またブラバント公の要塞への近さのために、11世紀から14世紀にかけて、ルーヴェンは公領における商業の最も重要な拠点となった。織物生産の拠点としての以前の都市の重要性の一端は、14世紀から15世紀の文章で lewyn(外には: Leuwyn, Levyne, Lewan(e), Lovanium, Louvain)として知られる典型的なルーヴェンのリネンによく反映されている。

15世紀低地地方で最も大きくかつ最も古い大学の創設と共に、新しい黄金時代が幕を開けた。1425年創立のルーヴェン・カトリック大学 (Katholieke Universiteit Leuven, K. U. ルーヴェン) である。

18世紀になり、のちに Interbrew として世界最大になる醸造所(2004年に InBev に改称)の繁栄もあって、ルーヴェンの重要性は増した。InBev本社とステラ・アルトア醸造所は実際、鉄道駅からメヘレンへの運河にいたる、市街の北東部の大分を占めている。

20世紀、この町は2度の世界大戦によって重大な損害を受けた。第一次世界大戦の緒戦において侵入したドイツ軍はルーヴェンで虐殺をなし、市街やルーヴェン・カトリック大学の図書館を焼き払った。また、図書館は大戦の終了後、アメリカの義捐基金およびドイツからの賠償金によって完全に再建された。この際に連合国諸国を記念する意匠を加えて造られたが、日本も連合国であったため含まれている。

第二次世界大戦が拡大した1940年5月17日、ルーヴェンはドイツ軍の包囲攻撃を受けて再び陥落した[1]。 この際、ドイツ軍は市街にはほとんど手をつけずに図書館をのみ放火した。図書館は再度立て直され、悲惨な戦争の象徴として立っている。現在はルーヴェン・カトリック大学や同大学設立による研究所であるInteruniversity Microelectronics Centre (IMEC) など研究施設があるため、学術都市として有名となっている。

見所 編集


主な施設 編集

スポーツ 編集

出身著名人 編集

姉妹都市 編集

日本との関係 編集

 
ルーヴェン大学図書館に立ち寄った皇太子裕仁親王

1921年皇太子時代の昭和天皇が訪問した。

脚注 編集

  1. ^ ベルギーの首都ブリュッセル陥落(『東京日日新聞』昭和15年5月19日夕刊)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p368 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年

参考文献 編集

  • George Wharton Edwards: , Some Old Flemish Towns, 1911. (Wikisource)
  • 飯島洋一「マリネッティの予言 「未来派創立宣言」から100年後」『季刊d/SIGN』8号、太田出版、2004.7。

外部リンク 編集