レッド・フェイバー

アメリカ合衆国の野球選手 (1888-1976)

アーバン・クラレンス・フェイバーUrban Clarence "Red" Faber , 1888年9月6日 - 1976年9月25日)は、アメリカ合衆国アイオワ州カスケード出身のプロ野球選手投手)。右投げ両打ち。

レッド・フェイバー
Red Faber
1929年
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アイオワ州カスケード
生年月日 1888年9月6日
没年月日 (1976-09-25) 1976年9月25日(88歳没)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
180 lb =約81.6 kg
選手情報
投球・打席 右投両打
ポジション 投手
プロ入り 1909年
初出場 1914年4月17日
最終出場 1933年9月20日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • シカゴ・ホワイトソックス(1946 - 1948)
殿堂表彰者
選出年 1964年
選出方法 ベテランズ委員会選出

シカゴ・ホワイトソックスで20年間活躍、通算254を挙げた。1920年以降もスピットボールを公式に認められていた投手の一人であった。1964年アメリカ野球殿堂入りを果たした。

経歴 編集

 
1914年3月9日。世界周遊旅行中にチームメイトのトム・ダリー(左)と
 
1929年。フェイバーの豪快な投球フォーム

1909年MLBピッツバーグ・パイレーツと契約し、傘下マイナーリーグ投手としてキャリアを開始した。

1910年8月にはマイナーで完全試合を達成している[1]

1911年に右腕を負傷し、その際にチームメイトからのアドバイスを参考にスピットボールを習得した[1]

シカゴ・ホワイトソックスチャールズ・コミスキーオーナーニューヨーク・ジャイアンツジョン・マグロー監督との雑談中に提案をして実現した1913年10月からのジャイアンツとホワイトソックスの合同の世界周遊野球チームに参加し、好投した[2]

世界周遊から帰国した後の1914年4月17日に移籍先のホワイトソックスでMLBデビュー。同年は40試合に登板して109防御率2.68の成績を残した。

1915年は24勝14敗・防御率2.55を記録した。

1917年には防御率は1.92にまで下がった。同年のワールドシリーズでは全6戦中4戦に登板して計3勝を挙げ、特に第4戦から第6戦までは3連投して2勝を挙げる活躍をしてチームをワールドチャンピオンに導いている。また、同年9月のダブルヘッダー2試合とその翌日の試合に連続して先発登板し3試合連続で先発登板している。これ以降はMLBで3試合連続先発登板は行われず、2012年ザック・グレインキーが記録するまで95年間行われなかった。ただし、グレインキーは1試合目の投球数は4球で、2試合目と3試合目の間にオールスターゲームがあったため、8日のインターバルがあった[3]

第一次世界大戦が終盤に差し掛かった1918年シーズン中にアメリカ海軍に従軍した。

1919年は腕や足首の故障があった上に当時世界的に流行していたスペインかぜインフルエンザ)にも苦しみ、一時的に数週間解雇されてしまった[1]

1920年はフェイバーにとっても激動の年になる。この年からいわゆるライブボール時代に突入して投手が軒並み成績を落とす。フェイバーは投手側の救済処置によってスピットボールを投げる事が認められた17投手のうちの一人であった。同年にエディ・シーコットレフティ・ウィリアムズディッキー・カーと共に史上初の20勝カルテットを形成した。しかしケネソー・ランディスコミッショナーによって、シーコットとウィリアムズは翌1921年ブラックソックス事件のため、カーは1922年に給与カットに不満を持ってチームからの放出を要求したために永久追放処分を科された。3人の先発投手を短期間に失った中で、フェイバーは1920年から1922年にかけて3年連続で20勝以上を挙げ、うち1921年と1922年は最優秀防御率のタイトルを獲得する活躍を見せている。

1931年から1933年までリリーフ投手として3年連続で40試合近く登板した。

1933年に球団側が提示した年俸3分の1カットの翌年の契約プランに激怒して他球団への移籍を望んだが認められず、45歳で現役を引退した[1]

1946年から1948年までホワイトソックスの投手コーチを務めた[1]

1964年ベテランズ委員会による投票でアメリカ野球殿堂入りを果たした。

1976年9月25日イリノイ州シカゴにて死去。88歳没。

詳細情報 編集

年度別投手成績 編集





















































W
H
I
P
1914 CWS 40 19 11 2 -- 10 9 4 -- .526 721 181.1 154 3 64 -- 12 88 8 0 77 54 2.68 1.20
1915 50 32 21 2 -- 24 14 2 -- .632 1212 299.2 264 3 99 -- 11 182 4 0 118 85 2.55 1.21
1916 35 25 15 3 0 17 9 1 -- .654 798 205.1 167 1 61 -- 5 87 0 1 67 46 2.02 1.11
1917 41 29 16 3 1 16 13 3 -- .552 1001 248.0 224 1 85 -- 10 84 1 1 92 53 1.92 1.25
1918 11 9 5 1 0 4 1 1 -- .800 319 80.2 70 3 23 -- 0 26 2 0 23 11 1.23 1.15
1919 25 20 9 0 0 11 9 0 -- .550 698 162.1 185 7 45 -- 8 45 2 0 92 69 3.83 1.42
1920 40 39 28 2 4 23 13 1 -- .639 1291 319.0 332 8 88 -- 4 108 4 0 136 106 2.99 1.32
1921 43 39 32 4 5 25 15 1 -- .625 1350 330.2 293 10 87 -- 7 124 5 0 107 91 2.48 1.15
1922 43 38 31 4 3 21 17 2 -- .553 1464 352.0 334 10 83 -- 6 148 2 0 128 110 2.81 1.18
1923 32 31 15 2 0 14 11 0 -- .560 1000 232.1 233 6 62 -- 6 91 5 0 114 88 3.41 1.27
1924 21 20 9 0 0 9 11 0 -- .450 698 161.1 173 5 58 -- 2 47 4 0 78 69 3.85 1.43
1925 34 32 16 1 1 12 11 0 -- .522 1009 238.0 266 8 59 -- 2 71 0 0 117 100 3.78 1.37
1926 27 25 13 1 3 15 9 0 -- .625 798 184.2 203 3 57 -- 2 65 1 0 84 73 3.56 1.41
1927 18 15 6 0 0 4 7 0 -- .364 488 110.2 131 2 41 -- 5 39 3 0 64 56 4.55 1.55
1928 27 27 16 2 1 13 9 0 -- .591 876 201.1 223 11 68 -- 4 43 1 0 98 84 3.75 1.45
1929 31 31 15 1 0 13 13 0 -- .500 984 234.0 241 10 61 -- 9 68 3 0 119 101 3.88 1.29
1930 29 26 10 0 1 8 13 1 -- .381 742 169.0 188 7 49 -- 5 62 3 0 101 79 4.21 1.40
1931 44 19 5 1 2 10 14 1 -- .417 807 184.0 210 11 57 -- 3 49 0 0 96 78 3.82 1.45
1932 42 5 0 0 0 2 11 6 -- .154 472 106.0 123 0 38 -- 1 26 1 0 61 44 3.74 1.52
1933 36 2 0 0 0 3 4 5 -- .429 376 86.1 92 2 28 -- 1 18 3 0 41 33 3.44 1.39
通算:20年 669 483 273 29 21 254 213 28 -- .544 17104 4086.2 4106 111 1213 -- 103 1471 52 2 1813 1430 3.15 1.30
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル 編集

脚注 編集

  1. ^ a b c d e Red Faber” (英語). SABR.org. 2013年10月19日閲覧。
  2. ^ Red Faber - BR Bullpen” (英語). Baseball-reference.com. 2013年10月20日閲覧。
  3. ^ 95年ぶり、ブ軍・グリンキーが3戦連続先発” (英語). サンケイスポーツ. 2012年7月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年10月19日閲覧。

外部リンク 編集