ロバート・リビングストン・ジ・エルダー

ロバート・リビングストンRobert Livingston the Elder, 1654年12月13日 - 1728年10月1日)は、ニューヨーク植民地の役人、毛皮貿易商人、Livingston Manorの初代の主。1679年にアリダ・スカイラー(ニコラス・ヴァン・レンセラー英語版の未亡人)と結婚し、フィリップ (en、ロバート (en、ギルバートなど9人の子をもうけており、ロバート・リビングストン・ザ・ヤンガーの叔父、フィリップ・リビングストンウィリアム・リビングストンの祖父にあたる。

ロバート・リビングストン
肖像
生誕 Robert Livingston
スコットランドRoxburghshireジェドバラ近郊Ancrum
死没 1728年10月1日(1728-10-01)
民族 スコットランド人
配偶者 アリダ
子供 フィリップ・リビングストン (en, ロバート・リビングストン (en、ギルバート・リビングストンなど9人。
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生い立ち 編集

スコットランドRoxburghshireジェドバラ近くのAncrumの村でジョン・リビングストン牧師の7人の子の一人として生まれた。ジョンは第4代リビングストン卿 (enウィリアムの子孫で、スコットランド国教会教役者であった。ジョンは1663年に流罪となり、家族はオランダ共和国ロッテルダムで育ったが、そのためオランダ語が堪能になり、後に旧オランダ植民地ニューネーデルラントでこれが大いに助けとなった。

経歴 編集

1673年の父ジョンの死後、ロバートはスコットランドに戻り、次いで北アメリカで一旗揚げようとボストンへ渡航した。オールバニに引っ越し、毛皮貿易で裕福になり、16万エーカー(650km²)の土地を得た。その土地は後にコロンビア郡ダッチェス郡のLivingston Manorとなった。

リビングストンは義兄弟ピーター・スカイラーと共に、オールバニでライスラーの反乱に対抗した。1695年にCommissioners for Indian Affairsになり、死ぬまで務めた。1696年、ウィリアム・キッドの私船Adventure Galleyを支援した。1709年から1711年と1716年から1725年にニューヨーク植民地議会の代表を務め、1718年に議長に選出された。

家族・子孫 編集

息子ギルバートはコーネリア・ビークマン(スケネクタディ市長ヴィルヘルム・ビークマンの孫)と結婚し、その娘はニューヨーク州副知事ピエール・ヴァン・コートランドと結婚した。もう一人の娘マーガレット・リヴィングストンはピーター・ストイフェサントの曾孫ピーター・ストイフェサント(1727年 – 1805年)と結婚した。その息子ニコラス・ウィリアム・ストイフェサント(1769年 - 1833年)はギルバートの曾孫キャサリン・リビングストン・Readeと結婚した。

姪キャサリン・スカイラーはアレント・スカイラー・デ・ペイスター英語版と結婚した。

著名な子孫としてアメリカ合衆国大統領ジョージ・H・W・ブッシュジョージ・W・ブッシュエレノア・ルーズベルト、ニューヨークのファーストレディアンナ・モートン英語版、俳優モンゴメリー・クリフトマイケル・ダグラス、女優ジェーン・ワイアット、詩人ロバート・ローウェル、撮影監督フロイド・クロスビーと息子のデヴィッド・クロスビー、作家ウォルコット・ギブス英語版アスター家などが挙げられる。

リビングストンの意志で、Livingston Memorial Church and Burial Groundが設立された[1]。そこは1985年にアメリカ合衆国国家歴史登録財となっている[2]

参考文献 編集

  1. ^ Neil Larson (1985年7月). “National Register of Historic Places Registration: Livingston Memorial Church and Burial Ground”. New York State Office of Parks, Recreation and Historic Preservation. 2010年7月4日閲覧。
  2. ^ National Park Service (13 March 2009). "National Register Information System". National Register of Historic Places. National Park Service. {{cite web}}: Cite webテンプレートでは|access-date=引数が必須です。 (説明)

外部リンク 編集