ロビー・クリーガー

ギタリスト

ロビー・クリーガー(Robby Krieger、本名:Robert Alan Krieger、 1946年1月8日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス出身のギタリストロックバンドドアーズのメンバー。

ロビー・クリーガー
Krieger performing live in London in June 2007
基本情報
出生名 ロバート・アラン・クリーガー
生誕 (1946-01-08) 1946年1月8日(78歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
カリフォルニア州ロサンゼルス
ジャンル ブルースロック, ブルース, サイケデリック・ロック, ロック
職業 ミュージシャン, ソングライター
活動期間 1965年 – 現在
レーベル エレクトラ・レコード
共同作業者 ドアーズ, ライダーズ・オン・ザ・ストーム
公式サイト Official website
著名使用楽器
Gibson SG

ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において2003年は第91位、2011年の改訂版では第76位。

人物 編集

クリーガーがギターを学んだのはメンロー・スクール英語版在学時の頃で、ウクレレをチューニングしフラメンコ・ギターのレコードを真似ることから始めた。後の1963年に、クリスマス休暇で訪れたプエルト・バジャルタでフラメンコ・ギターを購入、その演奏スタイルをマスターし、やがてブルースジャズ等の音楽にも傾倒した。フラメンコギターの影響から、5本の指全てを使うフィンガー・ピッキングで演奏するが、ジャズの影響も強く受けた浮遊感のあるフレーズを得意とし、そのロックギターのスタイルに捉われない演奏から、独自のバンドサウンドの構築に貢献している。

ドアーズ時代は、ギタリストとしてよりもソングライターとして評価されている。ドアーズが発表した13枚のシングルのうち、A面8曲がクリーガーの作曲によるものである。元々ドアーズの音楽は、リーダー格のレイ・マンザレクとメンバーの顔であるジム・モリソンの志向から曲調が暗く大衆性に欠けるところがあったが、クリーガーが中心になって作られた「ハートに火をつけて」の爆発的な人気がきっかけとなり、バンドの知名度が高まったという経緯がある。「ラブ・ミー・トゥー・タイムス英語版」「タッチ・ミー」「あの娘に狂って英語版」等のヒット曲もポップ性に富んだチャーミングな作品で、ボーカルのジム・モリソンの魅力を引き出し、バンドの音楽性を広げるのに貢献している。

1973年のドアーズの解散後、クリーガーはドアーズのドラマーのジョン・デンスモアとともにバッツ・バンド英語版を結成し、2枚のアルバムを残した。その後、マイペースにギタリストとしての活動を続け、2010年までに7枚のソロ・アルバムを発表している。

ドアーズ解散以降、ギタリストとしての評価が高まり、ブルー・オイスター・カルトのアルバムに参加するなど、対外的な活動も多い。息子のウェイロン・クリーガーもギタリストであり、1996年に結成されたロビー・クリーガー・バンドにはメンバーとして加わっている。

2002年にはレイ・マンザレクと共に、イアン・アシュベリー(元カルト)をボーカル、スチュワート・コープランド(元 ポリス (バンド))をドラマーに迎えてDoors of the 21st Century を結成。しかし、このバンドに対して、ジョン・デンスモアがドアーズの名称使用について訴訟を起こしたため、Riders on the StormRay Manzarek & Robby Krieger of The Doors と名称変更を経て、最終的に「マンザレク・クリーガー英語版」と名乗った。幾度かのメンバーチェンジを経ながら活動は2013年のレイ・マンザレクの死まで続いた。

外部リンク 編集