ロベール・ジョルジュ・ニヴェル(Robert Georges Nivelle, 1857年10月15日 - 1924年3月22日)は、フランスチュール出身の陸軍軍人で、第一次世界大戦におけるフランス軍の指揮において主導的な役割を果たした一人。

ロベール・ニヴェル
Robert Georges Nivelle
生誕 1857年10月15日
フランスの旗 フランス帝国コレーズ県 チュール
死没 (1924-03-22) 1924年3月22日(66歳没)
フランスの旗 フランス共和国パリ
所属組織 フランスの旗フランス陸軍
軍歴 1878 - 1921
最終階級 陸軍中将
(Général de Division[1][2])
指揮 北アフリカ軍司令官
第2軍司令官
第3軍団長
第61予備歩兵師団長
第27歩兵旅団長
第5砲兵連隊長
戦闘 義和団の乱
第一次世界大戦
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経歴 編集

フランス人のイギリス人のの子として生まれ、1878年にエコール・ポリテクニークを卒業し、砲兵少尉に任官。1887年には大尉となった。中国遠征軍で任務をこなしたほか、仏領インドシナアルジェリアなど当時の植民地へ赴任した。1913年砲兵大佐1914年に第一次世界大戦が勃発し、マルヌ会戦を戦った後、少将[1][2]に昇格。1915年2月22日に中将[1][2]、第61歩兵師団長、同年12月23日に第3軍団長、翌1916年3月1日に第2軍司令官に任ぜられた。1916年2月21日から12月19日までのヴェルダンの戦いにおいてフィリップ・ペタンを補佐し、ドゥオモン堡塁ヴォー堡塁英語版の奪還などに活躍した。その功績もあって12月12日、ジョゼフ・ジョフルに代わって陸軍総司令官となる。

 
ニヴェルのオートクローム1916年

イギリス陸軍と共同で戦局を打開するためにフランス陸軍120万人を動員する大規模な攻勢を企図。ニヴェル攻勢と呼ばれたこの戦いで連合軍はドイツの陣地を突破できず、英仏両軍で35万人の死傷者を出した(独軍は31万人)。事前に勝利を約束したニヴェル率いる指導部は非難と逆命にさらされた。ニヴェルは北アフリカ軍司令官に左遷され、後任にはフィリップ・ペタンが就いた。1921年退役。パリで没。

脚注 編集

  1. ^ a b c 1788年に当時の准将 (Brigadier des armées du roi)が廃止されて以来、第二次世界大戦後まで准将位は存在していなかった。en:Major general#France文末参照。
  2. ^ a b c 『知っておきたい現代軍事用語【解説と使い方】』78頁、「著」・高井三郎、「発行」・アリアドネ企画、「発売」・三修社、2006年9月10日。

外部リンク 編集