ロータス 77 (Lotus 77) は、チーム・ロータス1976年のF1世界選手権参戦用に開発したフォーミュラ1カーである。設計者はコーリン・チャップマンジェフ・オールドリッジマーティン・オジルビードイツ語版チーム・ロータスにおける呼称はジョン・プレイヤー・スペシャル・マークII (John Player Special Mk.II) 。

ロータス 77
シアーズポイント・レースウェイ、2005年
カテゴリー F1
コンストラクター ロータス
デザイナー コーリン・チャップマン
ジェフ・オールドリッチ
マーティン・オジルビードイツ語版
先代 ロータス・76
後継 ロータス・78
主要諸元
エンジン フォード・コスワース・DFV
主要成績
チーム ジョン・プレイヤー チーム・ロータス
ドライバー アメリカ合衆国の旗 マリオ・アンドレッティ
スウェーデンの旗 グンナー・ニルソン
スウェーデンの旗 ロニー・ピーターソン
イギリスの旗 ボブ・エバンス
出走時期 1976年
コンストラクターズタイトル 0
ドライバーズタイトル 0
初戦 1976年アルゼンチンGP
出走優勝ポールFラップ
16111
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開発 編集

77は1975年76の失敗と、ロータス72の老朽化による低迷から脱するための応急処置となった。

車体は従来のバスタブ式モノコックに代わる、ボックス断面の細く軽いモノコック設計を特徴とした。細いフットボックス周りでは、バスタブ式モノコック(ツインチューブ・モノコック)で必須となる閉断面のサイドチューブの容積が極端に省略され、これは後のグラウンドエフェクトカーで一般的となり、更には今日のカーボンモノコックにも続くシングルスキン・モノコック構造の布石となるが、ハニカムサンドイッチ材が自由に使えなかった77のモノコックでは剛性が不足し、結果、左右荷重移動量不足によりタイヤの負担が減り、皮肉にも雨の最終戦(イン・ジャパン)での77の初優勝につながる事となる。サスペンションはトーションバーからロッキングアーム式に変更された。ブレーキは前作同様インボードタイプだったが、フロントはモノコック側面にブレーキキャリパーを直付けし、コイル・ダンパーユニットやサスペンションアームのマウントを兼ねるユニークな構造だった。メンテナンスを容易にすることで、コース特性に合わせてホイールベーストレッドを調節することが可能な「アジャストカー」という触れ込みだった。

 
改修後の77のフロントサスペンション

アジャストカーの狙いは一応実現したが、未経験かつ無限に調整可能なシステムゆえに、大抵は最適なセッティングが得られなかった。ドライバーのロニー・ピーターソンは77の出来に失望して開幕戦限りでチームを去った。マリオ・アンドレッティグンナー・ニルソンステアリングと操縦性が時折曖昧で手応えがないと報告した。アンドレッティはマシンを好まず、それを「犬」であると宣言した。

シーズン中、77はスポットで開発を依頼されたトニー・サウスゲートによりリヤサスペンションのジオメトリが変更され、その後レン・テリーの指示により全面的に改装されたことにより、徐々に戦闘力を向上させた。レン・テリーは、以前自身が設計したラルトF2の部品を一部流用してフロントブレーキを一般的なアウトボードに変更した。しかし、モノコックが細いため、無骨なサスペンションユニットは外部に剥き出しのままだった。空力的な改善が施され、冷却効果を高めるためにラジエーターの位置が移動された。皮肉なことに、当初のコンセプトを修正することで77の戦闘力は向上した。

シーズン末にはサイドポンツーンの縁にブラシが取り付けられた。箱形モノコックとこのブラシは、翌年登場する衝撃的なベンチュリカー78への先行実験だった。

シーズン 編集

 
展示会での77

シーズン初めは出遅れたものの、77はフェラーリマクラーレンティレルに次ぐ存在であることを示した。アンドレッティはマシン開発のために懸命に働き、シーズン半ばから77の成績は上向いた。特にロングコーナーをもつサーキットには最適で、アンデルストープ第7戦スウェーデンGP)ではエンジントラブルでリタイアする前にアンドレッティは容易にリードを奪い、ザントフォールト第12戦オランダGP)とモスポートパーク第14戦カナダGP)では表彰台に登った。

ザントフォールトで78を出走させるというアンドレッティの要請をコーリン・チャップマンが拒否したので、マリオはシーズン終了までしぶしぶ77を走らせた。最終第16戦日本富士スピードウェイで豪雨の中行われた。アンドレッティは、レインタイヤを最後まで持たせる技をみせ、パトリック・デパイユや新しい世界チャンピオン、ジェームス・ハントを抑えてロータスに2年ぶりの優勝をもたらした。アンドレッティは1977年シーズンに向けて78の開発に専念するため、77から解放されることに感謝した。

スペック 編集

シャーシ 編集

エンジン 編集

記録 編集

1976年 編集

No. ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 ポイント ランキング
BRA
 
RSA
 
USW
 
ESP
 
BEL
 
MON
 
SWE
 
FRA
 
GBR
 
GER
 
AUT
 
NED
 
ITA
 
CAN
 
USE
 
JPN
 
1976 5   ピーターソン Ret
(18)
29 4位
5   エバンス 10
(23)
DNQ
6
5
  アンドレッティ Ret
(16)
Ret
(9)
Ret
(11)
Ret
(2)
5
(7)
Ret
(3)
12
(12)
5
(9)
3
(6)
Ret
(14)
3
(5)
Ret
(11)
1
(PP)
6   ニルソン Ret
(25)
Ret
(8)
3
(7)
Ret
(22)
Ret
(3)
Ret
(6)
Ret
(12)
Ret
(14)
5
(16)
3
(4)
Ret
(13)
13
(12)
12
(15)
Ret
(20)
6
(16)

参考文献 編集

  • 英語版ウィキペディア Lotus_77 の 23:28, 29 March 2010 UAT(本稿初版訳出)
  • Franey, Matthew (1999). "Turning Point". Motor Sport, 75/1 (January 1999), 78-85. Haymarket Consumer Media. ISSN 0269-946X.
  • Tipler, John (2003). Lotus 78 and 79: The Ground-Effects Cars. The Crowood Press Ltd. ISBN 978-1861265869 
  • Car Model: Lotus 77”. ChicaneF1.com. 2007年8月1日閲覧。

外部リンク 編集