ワルテル・ノヴェッリーノ

イタリアのサッカー選手・監督

ワルテル・ノヴェッリーノ(Walter Novellino、1953年6月4日 - )は、イタリアの元サッカー選手、サッカー指導者。戦術へのこだわりが深く厳格な指導者であるため、選手との対立も少なくない。

ワルテル・ノヴェッリーノ
名前
愛称 Monzon
カタカナ ワルテル・ノヴェッリーノ
ラテン文字 Walter NOVELLINO
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1953-04-06) 1953年4月6日(71歳)
出身地 モンテマラーノ
選手情報
ポジション MF
ユース
イタリアの旗 トリノ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1970-1971 イタリアの旗 トリノ 0 (0)
1971-1972 イタリアの旗 レニャーノ 37 (1)
1972-1973 イタリアの旗 トリノ 1 (0)
1973-1974 イタリアの旗 クレモネーゼ 30 (2)
1974-1975 イタリアの旗 エンポリ 36 (5)
1975-1978 イタリアの旗 ペルージャ 81 (11)
1978-1982 イタリアの旗 ミラン 120 (10)
1982-1984 イタリアの旗 アスコリ 59 (12)
1984-1986 イタリアの旗 ペルージャ 51 (1)
1986-1987 イタリアの旗 カターニア 16 (0)
通算 431 (42)
代表歴
1978 イタリアの旗 イタリア 1 (0)
監督歴
1992-1993 イタリアの旗 ペルージャ
1993-1995 イタリアの旗 ASグアルド英語版
1995-1996 イタリアの旗 ペルージャ
1996-1997 イタリアの旗 ラヴェンナ
1997-1999 イタリアの旗 ヴェネツィア
1999-2000 イタリアの旗 ナポリ
2000-2002 イタリアの旗 ピアチェンツァ
2002-2007 イタリアの旗 サンプドリア
2007-2008 イタリアの旗 トリノ
2008-2009 イタリアの旗 トリノ
2009 イタリアの旗 レッジーナ
2011 イタリアの旗 リヴォルノ
2013-2015 イタリアの旗 モデナ
2016 イタリアの旗 パレルモ
2016-2018 イタリアの旗 アヴェッリーノ
2019 イタリアの旗 カターニア
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

経歴 編集

トリノFCユース出身。エンポリペルージャACミランなどでプレーした。ポジションは主に攻撃的MF、そのフィジカルの強さと決定力の高さから、アルゼンチン出身プロボクサーモンソンの愛称が与えられた。イタリア代表としても1度プレーしている。

指導者に転身してから、4-4-2システムを基軸としている。ヴェネツィアナポリピアチェンツァを相次いでセリエAに昇格・残留させ、高い評価を受けた。

2002年より就任したUCサンプドリアでは、満足な補強が出来ない中で自らの戦術を選手に教え込みチームを躍進させた。2002-03シーズンにはチームを4年ぶりのセリエA昇格に導く。中盤での分厚い守備とサイドアタックを重視し、2003-2004シーズンにはチームを8位に導いた。翌2004-2005シーズンはチームを5位に導き、UEFAカップ出場権を確保。しかしチームはフランチェスコ・フラーキとサイドアタックへの依存度が高く、システムの限界が露呈してチームは低迷、2006-07シーズンはファビオ・クアリアレッラのブレイクもありUEFAインタートトカップ出場権を確保したものの9位に終わり、2007年にサンプドリアを去った。とはいえ、セルジオ・ヴォルピアンジェロ・パロンボやクアリアレッラなど、彼の指導により成長した選手は少なくなく、サンプドリアが中堅チームとしての地位を固められたことはノヴェッリーノの功績である。

2007-08シーズンにはトリノFCの監督に就任し、アルバロ・レコバアレッサンドロ・ロジーナエウジェニオ・コリーニらファンタジスタを擁して躍進が期待されたが、成績は低迷し、解任された。2008-09シーズン半ばに復帰するも、わずか4か月で解任されている。

サンプドリア時代には柳沢敦、トリノ時代には大黒将志を指揮している。

エピソード 編集

  • ヴェネツィア時代、アルバロ・レコバを獲得すると、19試合で10ゴールと彼の才能を存分に引き出したことで知られる。レコバは好不調の波が激しく、守備も怠る選手であるため、彼を使いこなした監督は少ない。なお、トリノFCにおいても彼を呼び寄せたが結果は残せなかった。

選手歴 編集

指導者歴 編集