七尾短期大学(ななおたんきだいがく、英語: Nanao College)は、石川県七尾市藤橋町西部1番地に本部を置いていた私立短期大学である。1988年に設置され、2004年に廃止された。大学の略称は七短(ななたん)。

七尾短期大学
大学設置/創立 1988年
廃止 2004年
学校種別 私立
設置者 学校法人七尾短期大学[注釈 1]
本部所在地 石川県七尾市藤橋町西部1番地[注釈 2]
学部 経営情報学科
ウェブサイト ウィキデータを編集
テンプレートを表示

概要 編集

大学全体 編集

  • 石川県七尾市に所在した日本私立短期大学で、設置主体は学校法人七尾短期大学[注釈 1]
  • 1988年に経営情報学科のみの1学科、入学定員150名体制で開学[4]
  • 能登唯一の高等教育機関として石川県、七尾市、商工会議所などが20億円を投じて、経営情報学科(定員300人)で創設した。1993年には397人[注 1]が在学したが、1996年より定員割れとなった[注 2]。留学生の受入れで学生を確保しようとしたが、2001年に中国人留学生14人が集団失踪したことから、名古屋入国管理局が中国人留学生の入学を認めなくなり、学生数の減少によって経営が悪化し、2004年3月末に閉校した。最終年度の卒業生は、留学生14人を含む29人であった。16年間で約1700人が卒業している。
  • 学校法人は解散し、校舎、敷地は石川県と七尾市に寄付することとなった[11]。跡地は、国際医療福祉専門学校七尾校となっている[12]

教育および研究 編集

  • 経営情報をベースとした専門教育が行われ、観光開発・情報管理・経営実務の各コースがあった。アメリカでの語学研修が行われていた。

学風および特色 編集

  • 七尾短期大学は私立短大であるが、厳密には石川県・七尾市・鹿島郡6町など公私の協力もあったため、事実上は公設民営方式となっていた。
  • 留学生の受入れや国際交流も盛んに行われていた。
  • 青柏祭」など地元のイベントに学生参加していた。

沿革 編集

基礎データ 編集

所在地 編集

  • 石川県七尾市藤橋町西部1番地[注釈 2]

象徴 編集

  • 大学歌および学旗は1990年に制定された。

教育および研究 編集

組織 編集

学科 編集

  • 経営情報学科 入学定員150名[注 8]

取得資格について 編集

研究 編集

  • 『七尾論叢』[23]

学生生活 編集

部活動・クラブ活動・サークル活動 編集

学園祭 編集

スポーツ 編集

  • 北陸三県私立短期大学体育大会に参加していた

大学関係者と組織 編集

大学関係者組織 編集

  • 七尾短期大学には保護者組織があり、「青柏会」と呼ばれていた

大学関係者一覧 編集

大学関係者 編集

歴代学長

教員

施設 編集

キャンパス 編集

  • 設備:図書館・体育館・学生食堂ほか

対外関係 編集

関係校 編集

系列校 編集

社会との関わり 編集

  • 「石川県民大学校」や「七尾コミュニティカレッジ[注 9]」と称した公開講座が行われていた。

卒業後の進路について 編集

編入学・進学実績 編集

注釈 編集

注釈グループ 編集

  1. ^ a b 出典[1]。ほか学校法人稲置学園、石川県、七尾市、鹿島郡、地元経済界などを含め公私の協力もあり[2]
  2. ^ a b 2007年度より、かつての短期大学キャンパス跡地に学校法人阿弥陀寺教育学園が運営する国際医療福祉専門学校七尾校が設置され、現在に至る[3]

補足 編集

  1. ^ うち女157[5]/定員300
  2. ^ 1995年は334(うち女99)[6]/300、1996年は277(うち女80)[7]/300、1997年は221(うち女72)[8]/300、1998年は161(うち女51)[9]/300、1999年は154(うち47)[10]/300
  3. ^ 現在の文部科学省
  4. ^ 現在の文部科学省
  5. ^ 出典[16][17]
  6. ^ うち84
  7. ^ 平成15年度より学生募集停止[20]
  8. ^ 最終募集となった2002年における体制[22]
  9. ^ 簿記講座として行われていた。

出典 編集

参考文献 編集

全国学校総覧 編集

全国短期大学高等専門学校一覧 編集

短期大学受験案内 編集

梧桐書院 編集

短期大学入学案内冊子 編集

関連項目 編集

関連サイト 編集