中村 隆太郎(なかむら りゅうたろう、1955年4月15日 - 2013年6月29日)は、日本のアニメ監督演出家千葉県出身。

なかむら りゅうたろう
中村 隆太郎
生年月日 (1955-04-15) 1955年4月15日
没年月日 (2013-06-29) 2013年6月29日(58歳没)
出生地 日本の旗 日本千葉県
職業
ジャンル テレビアニメアニメ映画
活動期間 1977年2013年
主な作品

映画
地球を救え!なかまたち ちびねこトムの大冒険
劇場版 キノの旅 the Beautiful World 病気の国―For You―


テレビアニメ
serial experiments lain
サクラ大戦TV
キノの旅
神霊狩/GHOST HOUND
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経歴 編集

1977年にアニメーターとしてマッドハウスに入社[注 1][2]。『家なき子』『宝島』『あしたのジョー2』『スペースコブラ』などのTVシリーズ、『エースをねらえ』『ユニコ』などの劇場映画の作画を担当した。同社の会報「星のカフェテラス」に漫画を描いて載せたこともある[1]

1980年にスタジオあんなぷるに活動の場を移した後、1986年からフリーとなり、演出を手掛けるようになる。

『ちびねこトムの大冒険 地球を救え!なかまたち』で初めて監督を担当する[2][3]。構成・絵コンテ・脚本までを手掛け、5年の歳月と6万枚の動画をかけて制作された作品だったが、1992年の完成後、劇場公開はされず、約20年以上アニメファンはもちろん、業界関係者でさえもほとんど作品に触れる機会に恵まれない"幻"の作品となってしまった[注 2][2]

ちびねこトムの大冒険が公開されなかったことから1994年、宮沢賢治の童話を原作とした映画『グスコーブドリの伝記』で監督デビュー[2][3]

1998年、脚本家小中千昭イラストレーター安倍吉俊と組んだテレビアニメ『serial experiments lain』で監督を担当する。インターネットに題材をとったこの作品は、中村自身も含めてスタッフがコンピュータに精通していたことから緻密かつ見るものをうならせる描写が行われ、国内外に根強いファンを生み出した[2]。当初はほかの監督の可能性もあったが、第1話のコンテが上がってきたときに脚本作業をしていた小中とプロデューサーの上田耕行はその出来に驚かされ、中村に決まった[5]

2003年、テレビアニメ『キノの旅』を監督[6]。2007年の劇場版第二作では再び小中と組んでいる[5]

2009年からアニメ雑誌『アニメージュ』で中村・小中・安倍という『serial experiments lain』のトリオによるグラフィックノベル『ですぺら』を連載[2]。中村を監督とするアニメ化企画もあったが、彼の体調が思わしくないことから2010年時点で企画は凍結、2011年に発行された書籍版でアニメ化の話はなくなったことが明かされた[2]

2013年6月29日、膵臓癌のため死去[7][8]。58歳没。

作風 編集

絵を描ける監督だが、制作現場で自分が描くということはなかった[5]。「アニメーター」と「監督・演出」の仕事をはっきりと分けていて、作画作業は専門のセクションに任せて自分で直すことはなかった[5]。その分スタッフにはこだわる人で、それは作品が変わってもスタジオが変わっても続き、気に入ったアニメーター(岡真里子岸田隆宏)にはずっとラブコールを送っていた[5]。作品への向かい方はどの作品でも変わらないが、撮影にしても編集にしても、自分がこだわりたいところはとにかく時間をかけてスタッフと「セッション」するというスタイルだった[5]。脚本については、あまり要望は言わないタイプだった[5]。演出では普通のアニメではありえないようなこともやっていた。スタッフの持っているものを支えて後押ししてくれるようなところがあり、どのセクションであっても、普段の仕事のルーティンとは違う、自身の好みを入れるとそれを活かしてくれる監督だった[5]。映像処理についてはすごくこだわっていた[5]。『グスコーブドリ』や『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』第5話では普段の絵と監視カメラでの絵の違いやそこにどう処理を加えるかについて、『lain』では影の処理についてこだわることで、視点を変えることから来る違和感や「日常の中の非日常」を描いていた[5]。音響については、必要ないと思えば音を付けなくても良いとし、逆に何もないところでも「lain」から「神霊狩」まで使っていた「©中村隆太郎」サウンドを鳴らせたりする[5]。『キノの旅』では登場する二輪車「エルメス」のエンジン音はモデルの型まで合わせて付けさせた[5]。音響監督の鶴岡陽太曰く、「あんなにも音にセンシティブな人はいないのではないか」とのこと[5]

作家としてのホームグラウンドはジュブナイルで、そこからはみ出したのが小中らと生み出した作品群であり、その中では『神霊狩/GHOST HOUND』は小中の方が「中村隆太郎のホームグラウンド」に寄せていった作品だった[5]。先鋭的な映像表現を行う印象が強いが、根幹の部分で表現したいのは人間の悲しみや切なさといった「心」で、それをシナリオから読み取り、一番いい形の表現としてアウトプットするタイプの監督[5]

もともとは上手いアニメーターとして知られ、マッドハウス時代は「杉野昭夫の右腕」に近い存在だったという[5]。監督の出崎統からは「第2の杉野だ」として高く評価され、目をかけられていた[1]。しかし、ある時点で自分はアニメーターではなく演出家だと定めたのか、自らそれを言うことはなく、他人にそれを言われると不機嫌になった[5]

監督作品 編集

テレビアニメ 編集

映画 編集

OVA 編集

ゲーム(アニメパート) 編集

作品リスト 編集

テレビアニメ 編集

劇場アニメ 編集

OVA 編集

書籍 編集

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ アシスタントをしていた友人の伝手を頼って村野守美にサインをもらおうと仕事場を訪ねたところ、少しの間その手伝いをすることになった。その時に村野に絵を見てもらい、マッドハウスに行くよう勧められた[1]
  2. ^ 地方での上映会やCSでの放映を経て、2014年にミニシアターながら劇場で初上映された[4]
  3. ^ 安倍吉俊小中千昭との共同作品。アニメージュにて中村を監督とするアニメ化を前提に小中による原作小説が2009年7月号から2010年7月号まで連載された。その後、中村の体調不良によりアニメ化企画が凍結された。
  4. ^ 幻の初監督作品。1992年に完成後、お蔵入りとなった。
  5. ^ 長編オムニバス映画に挿入される短編アニメ。
  6. ^ 遺作。中村の死から半年近く後に公開された[10]
  7. ^ 佐藤順一が監督した劇場版とは別作品。

出典 編集

  1. ^ a b c キャラクターデザイン・総作画監督 大橋学さん:PART-3”. 『地球を救え!なかまたち ちびねこトムの大冒険』公式サイト. 有限会社エスユー企画. 2022年2月6日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g 【訃報】「serial experiments lain」「キノの旅」の中村隆太郎監督が死去”. GIGAZINE. 株式会社OSA (2013年7月26日). 2022年2月6日閲覧。
  3. ^ a b 中村隆太郎初監督作「ちびねこトムの大冒険」 20年の沈黙を破って幻のアニメ映画が登場!”. アニメ!アニメ!. イード (2014年11月19日). 2022年2月6日閲覧。
  4. ^ 幻の長編アニメ「ちびねこトムの大冒険」が22年ぶりにスクリーンで復活!”. 映画.com. 株式会社エイガ・ドット・コム (2014年11月30日). 2022年2月6日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 中村隆太郎監督の作品をこれからも楽しんでいきたいという思いが詰まった「プレイバック中村隆太郎」レポート”. GIGAZINE. 株式会社OSA (2016年9月16日). 2022年2月6日閲覧。
  6. ^ “TVアニメ『キノの旅-the Beautiful World- the Animated Series』田口智久監督のインタビューを公開!”. 小学館. (2017年9月19日). https://cho-animedia.jp/article/2017/09/19/3776.html 2022年2月4日閲覧。 
  7. ^ ちびねこトムの大冒険(アニメの公式twitterアカウント)2013年7月25日付
  8. ^ アニメ監督・中村隆太郎さんが死去 58歳 代表作に「lain」「サクラ大戦」など”. シネマトゥデイ (2013年7月26日). 2013年7月26日閲覧。
  9. ^ サクラ大戦”. マッドハウス. 2016年5月22日閲覧。
  10. ^ 「十五少年漂流記 海賊島DE!大冒険」11月16日全国公開 中村隆太郎監督の遺作”. アニメ!アニメ!. イード (2013年10月25日). 2022年2月6日閲覧。