処刑の部屋』(しょけいのへや)は、石原慎太郎短編小説1956年(昭和31年)、雑誌『新潮』3月号に掲載。同名のタイトルの映画作品(太陽族映画)も1956年(昭和31年)6月に公開された。

処刑の部屋
作者 石原慎太郎
日本の旗 日本
言語 日本語
ジャンル 短編小説
発表形態 雑誌掲載
初出情報
初出新潮1956年3月号
刊本情報
収録太陽の季節
出版元 新潮社新潮文庫
出版年月日 1957年8月
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何かと賛否両論の別れた石原の初期作品の中では比較的、作家文芸批評家らから好意的に受け入れられ、心の動きと肉体の痛みをリアルに描いた作品として、文学的にはもっとも評価された石原の短編小説である[1]

あらすじ 編集

大学生の克己は、親友の良治が主催したパーティーの上りのさや(収益金)を狙いに来た竹島らM大のグループにわざと近づき、良治らが金を運ぶ車を教えた。克己と共に花やかな戦歴を誇っていた良治は近頃、高校時代とは人が変り、克己が遊びに誘っても乗らず、喧嘩もしなくなっていた。克己はそんな良治とM大グループを鉢合わせて、良治が以前のように乱闘する勇ましい姿を期待したが、良治はM大の連中に金をすんなり渡した。がっかりしてM大の竹島のいる酒場の裏部屋に行った克己は彼らがピストルで良治を脅したことを知る。

帰ろうとした克己を、竹島らが捕らえリンチをする。そこへ竹島の仲間の石川とその従妹の顕子が来た。顕子は以前に克己がビール睡眠薬を入れて犯し、付き合っていた女だった。克己に遊ばれ捨てられた恨みを持つ顕子は克己に平手打ちし泣き崩れる。石川らはますます克己を暴行するが、顕子はナイフで克己を縛っていたベルトを切り、逃がそうとした。怒ったM大の連中はさらに克己の腹を割れたビール壜で突き、克己を店の外へ放り出して去って行った。克己は左手で、傷口から出たを押さえながら、指の千切れかかった右の掌で地面を掻き、裏通りを目指して這って行った。

作品評価・解釈 編集

『処刑の部屋』の文学的な評価は石原文学の中では比較的評価が高く、酷評の混じっている『太陽の季節』や『完全な遊戯』に比べると総体的に安定した評価がなされている[1]

山本健吉は、『処刑の部屋』について、「背徳をえがきながら実に健康」で、「小説の原型への郷愁さえこの中に脈打っている」とし、以下のように評している[2]

太陽の季節」の方が、虚飾的な文体だけにかえって感銘がナマであり、世の母親たちをして怖れさせるような要素があるのだ。「処刑の部屋」も、リンチの描写はもっと簡潔に書けるはずだし、結びの独白のごとき、ヘミングウェーの「誰がために鐘は鳴る」の結末の手法そっくりでもある。だがともかく、この作品に新人石原の成長ぶりを認めたい。 — 山本健吉「文芸時評」[2]

『処刑の部屋』と『黒い水』が石原慎太郎の小説で「最もいいもの」と評する三島由紀夫は、その会話の場面にリアリティーがあるとして以下のように解説している[3]

『処刑の部屋』にゑがかれた世界は、映画ではそんなに珍らしい世界ではない筈だが、ああいふ世界を描いて、あれだけリアリティーのある会話を駆使したものは、映画にも小説にも見当たらない。あの会話に、作者および現代の若い人たちの生活感情がよく出てゐる。ぶつきらぼうで、叩きつけるやうな会話、口に出して言へないやうなことを物の見事に言つてしまふ会話、あのスピード、あの行動性、……ああいふ会話は、今まで会話の部分に来ると、描写が停滞する感のあつた日本伝来の小説と正に逆である。 — 三島由紀夫「『処刑の部屋』の映画化について」[3]

その設定や構成については、『太陽の季節』のようなブルジョア家庭の背景がないため、主題が矛盾なく提示され、舞台と登場人物も「特殊化」され、「いきいきとして写実的な会話で物語がつながれながら全体は抽象化」し、「甘さの印象を与へかねない〈〉の主題」が引っ込められている代りに、「反理知主義、反知性主義が正面に押し出されてゐる」とし、「インテリ劇画」的な吉村という「非力な」登場人物も配置され、「多分にメロドラマティックな調子で、血なまぐさいクライマックスへ向つて押しすすめられる」物語の構成には「ほとんど瑕瑾がない」と三島は評している[4]

また、作中の「反知性主義」の最も重要な一行として、〈これがか、こんなに手応えがあるじゃねえか〉という主人公・克己の言葉を挙げ、その「ひたすら〈張って行く肉体〉に対する克己の信仰」には、自らの行動の「無意味」を要請するものがあり、克己は〈本当に自分のやりたいこと〉をやろうとするが、それが何であるのかを知らない状況に自らを置きつづけるために、「最後に彼が縛られてあらゆる行動を剥奪される成行」は、いかにもそれを象徴的に表すが、作者・石原の主眼はその先にあると三島は説明しつつ[4]、「抵抗責任モラルも持たない行為が、肉体苦痛の強烈な内的感覚に還元されるところに、一篇の主題がこもつてゐる」とし、その理由を、「肉体の苦痛の究極は、(彼が克己であつてもなくても)、知性の介入を厳然と拒むから」だと考察している[4]。そして、苦痛が「厳密に肉体的なものである」ということに、「克己が今まで求めて来た本当の〈無意味〉」があり、「どんな野放図な行動にも平然と無意味を見てゐた主人公が、自分の置かれた究極の無意味の中に、意味を見出さうとするところでこの作品は終る」とし、以下のように論じている[4]

だからこの死苦は、彼自身の必然的帰結であり、彼が自ら求めたものなのだ。克己の言ひたいことは、肉体にはかうした自己放棄が可能であるのに、知性にはそれが不可能ではないか、といふ嘲笑的思想であらう。皮肉なことに、これは又、多くの宗教家、肉体的苦行者が内に抱いてゐる嘲笑的信念と同じものである。肉体は知性よりも、逆説的到達が可能である。何故なら肉体には歴然たる苦痛がそなはり、破壊され易く、滅び易いからだ。かくてあらゆる行動主義の内には肉体主義があり、更にその内には、強烈な力の信仰の外見にもかかはらず、「脆さ」への信仰がある。この脆さこそ、強大な知性に十分拮抗しうる力の根拠であり、又同時に行動主義や肉体主義にまとはりついて離れぬリリシズムの泉なのだ。石原氏の共感が、いつも挫折する肉体的力、私刑される学生、敗北する拳闘家へ向ふのは偶然ではない。 — 三島由紀夫「解説」(『新鋭文学叢書8・石原慎太郎集』)[4]

また三島は、「力の勝利」と「知性の勝利」がオリンピックのように相似るのは、「勝利」の性質が「肉体の向う側」へ人を放り出し、「勝利」(幸福)を人は「厳密に肉体的に味はふことができない」からであり、「幸福といふのは精神の発明物」であるからだとし[4]、しかしそれが「敗北」においては二者(力と知性)が「截然と」違う様相となり、肉体と力が「生々しい知性への侮蔑」を表わすのは、「肉体的敗北は明白な苦痛」だからであり、「苦痛こそ純肉体的領域であつて、どんな精神的苦痛も目前の歯痛を鎮めることはできないのだから」と説明しつつ[4]、〈これが夢か、こんなに手応えがあるじゃねえか〉の一行に、『処刑の部屋』の芸術的特色があるとし、その時の克己は、「夢」と「手応へ(現実)」の中間にいて、その場面は、克己の考えた「現実」が、物語の始まりからどんどん「限局」「圧縮」され、「かつて思ひのままに行動した世界の花やかなひろがりは、記憶の中の喚起にすぎず、圧縮された現実はつひにベルトに縛られたの感触の一点にまで絞られて、ともすると夢がこの現実をくつがへしてくれさうな予感にをののきながら、主人公が小さな一点の感触に向つて必死に集中する」と考察しながら、「この件りは、石原氏の書いた最も美しい文章の一つである」と評している[4]

映画 編集

処刑の部屋
監督 市川崑
脚本 和田夏十
長谷部慶治
原作 石原慎太郎
製作 永田秀雅
出演者 川口浩若尾文子
音楽 宅孝二
撮影 中川芳久
編集 中静達治
製作会社 大映
配給 大映
公開   1956年6月28日
上映時間 96分
製作国   日本
言語 日本語
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『処刑の部屋』(大映1956年(昭和31年)6月28日封切。併映短編は『売春』、7月5日より『月の講道館』。1962年9月9日に成人映画として大映系の映画館で再上映。その際の併映は『銭形平次捕物控・死美人風呂[5]

市川崑監督が日活から大映へ移籍後の第1作。川口浩の初主演作品でもある。石原原作の小説を映画化した『太陽の季節』や『狂った果実』とともに「太陽族映画」と呼ばれた。惹句は、「『俺達はしたい事をするんだ!』青春の奔流のまゝに爆発する現代学生の生態!」である[6]

調布にあった大映東京撮影所の企画部長だった土井逸雄が、移籍第1回の御祝儀として企画したもので、大映らしくない題材として原作が選定された。企画者の土井は話題作になると意気込んでいたが、当の市川は映画化を引き受けたものの気乗りせず、「内容を原作と変えますよ。それを原作者に言っといて下さい」と念を押した上で、『太陽の季節』を鑑賞して映画作りの参考にしたが、撮影中は、初めて組んだカメラマンの中川芳久と大映らしくないイメージを擦り合わせることに苦労したという。

映画はヒットを記録したが、社会的な圧力も強く、朝日新聞井沢淳が公開前日に紙面の映画評で「永田大映社長殿、上映を中止していただきたいと思いますが、それが無理なら、主人公が睡眠薬で女子大生を睡らせて犯す部分を切っていただきたい。グランプリ・大映の名誉のためにも」と激しく非難し、これを受けて、6月30日神奈川県で本作の18歳未満の鑑賞が禁止となった。後日、市川は井沢とキネマ旬報1956年8月下旬号の誌面で井沢と論戦を行った。本作のストーリーを真似た学生たちによる薬物混入の強姦犯罪が多発した事を踏まえ、「映画は一種のマスコミであり、社会的影響への自覚を持つべきだ」と主張する井沢に対し、市川は「映画はレジスタンスとしての芸術であるべきだ」と応戦し、作品のモチーフだけでなく描写自体をよく見るよう主張した。ただ、当時の市川の太陽族に対する考え方は原作者と食い違っており、映画自体も主人公より主人公の両親にウェイトが置かれている。本作の試写を見た石原慎太郎は「僕の小説と全然違うものが出来ちゃった」と明言し、市川は「やや批判的ではあるけれども、あなたが訴えている主題を尊重した上で、僕なりの映画を作ったんだ」と応じたという[7]

あらすじ 編集

スタッフ 編集

キャスト 編集

その他 編集

  • この映画の公開後、作品に影響を受けたとして強姦事件などが起こった。19歳の無職の少年5人によって強姦目的の女性監禁事件が起こっている。また中学3年生が隣りの家に忍び込んで砂糖壷に睡眠薬を仕込んだことによって、主婦が誤って飲み昏睡状態に陥る事件が起こった[8]。他にも16歳の高校生7人によってカルモチン入りのジュースを飲ませ昏睡状態にさせた強姦事件が起こっている[9][10]。1959年には高校3年生5人が女子高校生5人とコーヒーを飲んでいる時に、隙を見て1人の女生徒のコーヒーに睡眠薬を入れて飲ませ、近くの旅館に連れ去るという暴行未遂事件が起こっている[11]
  • 映画の脚本が執筆されている頃、原作者の石原慎太郎が実弟の石原裕次郎を映画の主役に起用したいと要望し、監督の市川崑と大映常務の松山英夫がオーディションをすることになった。市川が「あなたのお兄さんが主役に推薦しているんだけど、俳優をやる気があるの?」と質問すると、裕次郎は「今はまだはっきり考えていません」と正直に答えたので、大映の社風でもあった社長の永田雅一にも面通しをさせたが、まぁいいだろう程度の反応しか見せなかった。そこで主役をやるか否かは裕次郎に判断を委ねる事とし、裕次郎も「ありがとうございました」と礼儀正しく頭を下げて、その日は終了した。後日、石原慎太郎から「あいつ、やっぱり日活のほうが、雰囲気が合っているらしくてね。このままやりたいって言ってるんだ」という断りの連絡が入り、映画の主役は川口浩が起用された[12]。結果的に慎太郎が同様の形で売込を図り、本作の2週間後に公開となった『狂った果実』への主演が決定したために、この話は流れた。市川はその後、1963年に公開された裕次郎主演の『太平洋ひとりぼっち』で監督を務めるまで、一度も彼と会うことはなかったという[13]

脚注 編集

  1. ^ a b 中森明夫「解説―石原慎太郎の墓碑銘」(『石原慎太郎の文学9 短篇集I』(文藝春秋、2007年)
  2. ^ a b 山本健吉「文芸時評」(朝日新聞 1956年2月21日号に掲載)
  3. ^ a b 三島由紀夫「『処刑の部屋』の映画化について」(大映映画ポスター 1956年6月)
  4. ^ a b c d e f g h 三島由紀夫「解説」(『新鋭文学叢書8・石原慎太郎集』)(筑摩書房、1960年)。三島由紀夫「石原慎太郎氏の諸作品」(『美の襲撃』)(講談社、1961年)に所収。
  5. ^ 『完本 市川崑の映画たち』、2015年11月発行、市川崑・森遊机、洋泉社、P500
  6. ^ 「処刑の部屋」(ポスター 2000, p. 5)
  7. ^ 『完本 市川崑の映画たち』、2015年11月発行、市川崑・森遊机、洋泉社、P127~130
  8. ^ 少年犯罪データベース 昭和31年(1956)の少年犯罪
  9. ^ Transition
  10. ^ サンケイ(産経新聞)』1957年5月30日夕刊 大阪版 3面
  11. ^ 少年犯罪データベース 昭和34年(1959)の少年犯罪
  12. ^ 『完本 市川崑の映画たち』、2015年11月発行、市川崑・森遊机、洋泉社、P131~132
  13. ^ 『完本 市川崑の映画たち』、2015年11月発行、市川崑・森遊机、洋泉社、P217

参考文献 編集

  • 『石原慎太郎の文学9 短篇集I』(付録・解説 中森明夫)(文藝春秋、2007年)
  • 『決定版 三島由紀夫全集第29巻・評論4』(新潮社、2003年)
  • 『決定版 三島由紀夫全集第31巻・評論6』(新潮社、2003年)
  • 秋山大輔三島由紀夫と石原慎太郎」三島由紀夫研究会メルマガ
  • 栗原裕一郎豊崎由美『石原慎太郎を読んでみた』(原書房、2013年)
  • 山本健吉『文芸時評』(河出書房新社、1969年)
  • 西林忠雄; 円尾敏郎 編『日本映画ポスター集 大映映画篇II 昭和30年代―西林忠雄コレクション―』ワイズ出版、2000年11月。ISBN 978-4898300466 

外部リンク 編集