十朱幸代

日本の女優 (1942-)

十朱 幸代(とあけ ゆきよ、1942年11月23日 - )は、日本女優東京市日本橋区(現・東京都中央区)出身[1][注 1]。血液型はO型。父は俳優の十朱久雄。所属事務所は株式会社アクターズ・セブン。

とあけ ゆきよ
十朱 幸代
十朱 幸代
『映画情報』1962年3月号より
本名 小倉 幸子
おぐら ゆきこ
生年月日 (1942-11-23) 1942年11月23日(81歳)
出生地 日本の旗 日本東京府東京市日本橋区
(現:東京都中央区
血液型 O型
職業 女優
ジャンル 映画・テレビドラマ・舞台
活動期間 1958年 -
配偶者 独身
著名な家族 十朱久雄(父)
主な作品
テレビドラマ
バス通り裏
黄金の日日
かりん
北条時宗

映画
震える舌
花いちもんめ。
夜汽車
蛍川
極道の妻たちII

ラジオ番組
いってらっしゃい
CM
はごろもフーズ
 
受賞
ブルーリボン賞
その他の賞
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ニッポン放送のラジオ番組『いってらっしゃい』の初代パーソナリティ。「国民の恋人」と称された[3]

略歴 編集

父・十朱久雄は日本橋江戸時代から続く、麻問屋「小倉貿易」の長男だったが[2]、学生時代から芝居に熱中し、家業を継ぐ気が全くなかったことから、祖父が東京を離れれば芝居を辞めるだろうと、母との結婚を契機に自社の機械工場があった奈良県へ送り出した[2]。父が江戸っ子であることに誇りを持っていたため、母をわざわざ東京に送り返し、十朱幸代を東京の病院で出産させた[2]。十朱久雄の三人兄妹の長子として生まれる[1]。本籍は日本橋小網町一丁目[2]。8歳まで近鉄奈良線大和西大寺駅前の家で育った[2]西大寺境内が遊び場だったという[2]。父の演劇熱はいっこうに収まらず、その後家族を引き連れて東京に戻る[2]。母も芝居好きで十朱幸代も幼い頃から芝居や映画に親しみ、「大きくなったら絶対に女優になる!」と公言していたという[2]。中学生でモデルを始め、父親について見学に訪れたNHKでスカウトされる[3]。1958年、NHKバス通り裏』でデビュー[4]。翌年、映画『惜春鳥』で映画デビュー[5]

1971年の銀河ドラマ『ゼロの焦点』で日本放送作家協会女性演技賞受賞[4]。1984年~96年にかけて、日本アカデミー賞優秀主演女優賞など5回にわたって受賞した[1]

1976年、第2回菊田一夫演劇賞を受賞[6]。1980年、『震える舌』でブルーリボン主演女優賞受賞[4][5]、1985年、『花いちもんめ』で再び同賞を受賞する[4]。1987年、毎日映画コンクール女優主演賞受賞[7]。1989年、田中絹代賞受賞[8]日刊スポーツ映画大賞主演女優賞を受賞[9]

2002年、第27回菊田一夫演劇大賞[10]。2003年、紫綬褒章受章[10]。2004年、第15回日本ジュエリーベストドレッサー賞(60代)受賞[10]。2005年、第26回松尾芸能賞大賞受賞[10]

2014年、2013年度秋の旭日小綬章受章[3]

人物・エピソード 編集

  • 兄と妹がいる。
  • 歌手・俳優の小坂一也と14年間に渡って交際・同棲し、事実婚の関係にあったが、入籍には至らなかった[11]
  • 愛犬家であり、毎朝の散歩を欠かさない。
  • 2011年4月(68歳)、トータルで21時間もかかった足首の大手術をした(変形した踝に腰の骨を移植)。半年間、車椅子で生活をし、その後、1年間リハビリテーションをした[12]

出演作品 編集

映画 編集

 
『光る海』(1963年)。左から十朱、吉永小百合和泉雅子

テレビドラマ 編集

舞台 編集

  • おせん 柳橋物語(1975年、芸術座、原作:山本周五郎、脚本・演出:小幡欣治)- 駒子 役
  • 雪国(1986年、芸術座、原作:川端康成、脚本:菊田一夫、演出:中村哮夫)- 駒子 役
  • 雪国(1988年、御園座、原作:川端康成、脚本:菊田一夫)- 駒子 役
  • 雪国(1990年、芸術座、原作:川端康成、脚本:菊田一夫、演出:中村哮夫) - 駒子 役
  • 雪国(2000年、御園座、原作:川端康成、脚本:菊田一夫、演出:深町幸男) - 駒子 役
  • 松廼家おけい ―虚空遍歴(山本周五郎)より(2009年)
  • ジョン・ガブリエルと呼ばれた男2010年) - エルラ 役
  • 三越劇場8月公演「姑は推理作家」(2011年8月13日-22日、三越劇場) - 山吹蘭子 役
  • 燃えよ剣〜土方歳三に愛された女、お雪〜(2013年) - お雪 役

ラジオ 編集

バラエティ 編集

CM 編集

ディスコグラフィー 編集

シングル 編集

  1. いたずら恋の風(1961年5月、コロムビア
    (c/w 青春の並木路)※共演:小坂一也
  2. セイタカアワダチ草(1977年9月5日、ビクター、SV-6277)
    (c/w 風の盆)
  3. ピローフレンド - PILLOW FRIEND(1981年、ビクター)
    (c/w 私の名前は…)
  4. Shadow Blanca─白い影─(1982年8月、トーラス
    (c/w 風の盆)
  5. 他人の自由(1983年、トーラス)
    (c/w メモリー・ファイル)
  6. 私も酔うわ(1983年7月21日、トーラス)
    (c/w 愛したいけど愛せない)
  7. 愛待草(1984年6月、トーラス)
    (c/w 想い出のスィング)
  8. 星まつり(1986年、トーラス)
    (c/w こぼれ陽の町)
  9. 黄昏物語(1986年、トーラス)※共演:岸田智史
    (c/w 一瞬価千金)※共演:岸田智史

オリジナル・アルバム 編集

  1. 佃囃子(1976年、ビクター)
  2. 風の盆〜忘れかけていた故郷の心(1977年、ビクター)
  3. 望郷〜忘れかけていた日本の心(1978年、ビクター)
  4. トワイライト・シーン(1980年、ビクター)
  5. 他人の自由(1983年、トーラス)

著書 編集

  • 十朱幸代『愛し続ける私』集英社、2018年。ISBN 9784083331558 

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 著書では「日本橋生まれ、奈良育ち」と述べている[2]

出典 編集

  1. ^ a b c 十朱幸代さん「恋愛は大切。人生でいちばん素敵な感情だと思います」”. telling,. 2022年1月9日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i 十朱 2018, pp. 16–19.
  3. ^ a b c 十朱幸代が今だから明かす、大スターとの恋。40代からの仕事と恋の叶え方 | インタビュー 人生、おしゃれ、そしてこれから | mi-mollet(ミモレ) | 明日の私へ、小さな一歩!(1/2)”. mi-mollet(ミモレ). 2022年1月9日閲覧。
  4. ^ a b c d NHK. “十朱幸代|NHK人物録”. NHK人物録 | NHKアーカイブス. 2022年1月9日閲覧。
  5. ^ a b 十朱幸代|『男はつらいよ』第14作 マドンナ”. 『男はつらいよ』公式サイト | 松竹株式会社. 2022年1月9日閲覧。
  6. ^ 菊田一夫演劇賞(第10回~第1回) -映画演劇文化協会”. www.eibunkyo.jp. 2022年1月9日閲覧。
  7. ^ 毎日映画コンクール 第42回(1987年)”. 毎日新聞. 2022年1月9日閲覧。
  8. ^ 田中絹代賞について”. kinuyo-bunka.jp. 下関市立近代先人顕彰館 田中絹代ぶんか館. 2022年1月9日閲覧。
  9. ^ 十朱幸代74歳、その若々しさに改めて驚かされた - 芸能 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2022年1月9日閲覧。
  10. ^ a b c d 十朱 幸代”. actors7 公式ホームページ. 2013年11月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年1月9日閲覧。
  11. ^ 女優としてやっていく…十朱幸代明かす「『結婚した』ってことにした」理由 - スポニチ Sponichi Annex 芸能”. スポニチ Sponichi Annex. 2021年8月23日閲覧。
  12. ^ 十朱幸代 「もう立てないかもしれない」両足を手術し車椅子だったことを告白”. ライブドアニュース. 2021年1月6日閲覧。
  13. ^ NHKアーカイブス「バス通り裏」参照。ネット上でも確認できる。
  14. ^ NHKアーカイブス「おねえさんといっしょ」参照。ネット上でも確認できる。
  15. ^ 日本放送協会放送文化研究所放送情報調査部『NHK年鑑'90』日本放送出版協会、1990年、142頁。 
  16. ^ 『東京ガス 暮らしとデザインの40年 1955→1994』1996年2月1日発行、株式会社アーバン・コミュニケーションズ。128頁~131頁

外部リンク 編集