吉田都

日本のバレエダンサー、バレエ指導者 (1965-)

吉田 都(よしだ みやこ、1965年10月28日 - )は、日本バレリーナ

よしだ みやこ

吉田 都
くるみ割り人形』 で金平糖の精を踊った吉田都 (2009年)
生誕 (1965-10-28) 1965年10月28日(58歳)
日本の旗 日本
東京都国立市
出身校 ロイヤル・バレエ学校
職業 バレリーナ
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東京都国立市出身。1988年より2010年まで22年間にわたって英国の2つのロイヤル・バレエ団プリンシパルを務めた。2020年9月より、新国立劇場の舞踊芸術監督を務めている。

経歴 編集

東京都国立市に生まれる。父親は地方公務員、母親は専業主婦で、二人姉妹の二女だった[1]

1974年、9歳で石沢秀子バレエを習い始める。1981年に全国舞踊コンクール・ジュニア部門で第1位[2]。その後石沢の勧めで松山バレエ学校に移籍した。松山在籍中の2年間にはコール・ド・バレエとして松山バレエ団の公演にも出演した[3]

都立北多摩高等学校2年在学中[4]1983年ローザンヌ国際バレエコンクールでスカラシップ賞を受賞し、英国ロイヤル・バレエ学校に入学。当初は上級学校の1年生のクラスだったが間もなく最終学年に移され[5]、1年後の1984年にサドラーズウェルズ・ロイヤル・バレエ団 (現バーミンガム・ロイヤル・バレエ団) に入団した。ピーター・ライト卿に認められ、4年後の1988年には最高位プリンシパルに昇格した。

ロンドンを本拠地とする姉妹カンパニーのロイヤル・バレエ団にはプリンシパルとして度々客演していたが、1995年にバーミンガムから正式に移籍した[注釈 1]。この理由について家族的な雰囲気のバーミンガムに居続けることで成長が止まってしまうことを恐れたためと後に説明している[7]

イギリスでは 『眠れる森の美女』、『白鳥の湖』、『くるみ割り人形』、『ジゼル』、『ドン・キホーテ』 といった代表的な古典の主役のほか、アシュトン振付 『シンデレラ』、ニネット・ド・ヴァロア振付『コッペリア』、マクミラン振付『ロミオとジュリエット』などの少女役・妖精役を得意とした。

2009年11月、ロイヤル・バレエ団からの引退公演が発表された[8]。2010年4月にロンドンのオペラ・ハウスにてさよなら公演として『シンデレラ』を踊った。2010年6月29日、東京文化会館で同バレエ団の来日公演 『ロミオとジュリエット』 のジュリエット役を踊り、26年間に及んだイギリスでのキャリアを終えた。

ロイヤル退団後は日本を拠点にフリーランスとして活動している。2011年3月11日の東日本大震災の直後には、ロンドンにてJapan Tsunami Appeal Concertというチャリティー公演を企画し、支援活動を行った。2011年5月には東京で、古巣バーミンガム・ロイヤル・バレエ団と『真夏の夜の夢』を踊った[9]

2018年6月28日に行われた新国立劇場運営財団理事会審議にて、同年9月から新国立劇場舞踊部門次期芸術監督予定者として芸術参与に就任することが決定した[10]

2019年8月7日・8日に引退公演「Last Dance」を上演し、ダンサーを引退[11]。2020年9月1日、新国立劇場の舞踊芸術監督に就任し、新国立劇場バレエ団を率いることとなった[12]

私生活では2005年に日本人の遠藤貴と結婚した。

バレエ以外の活動と受賞 編集

その他 編集

ドキュメンタリー 編集

著書 編集

  • 『Miyako : The jewel of the royal ballet :英国ロイヤルバレエ団の至宝・吉田都の軌跡』宮沢優子, ビル・クーパー写真. 文藝春秋, 2001.8
  • 『吉田都終わりのない旅。』阪急コミュニケーションズ, 2005.6
  • 『吉田都一瞬の永遠 英国ロイヤルバレエ・プリンシパルのすべて』篠山紀信写真. 世界文化社, 2011.6
  • 『Miyakoレッスン 吉田都のエッセンス・バレエ・クラス』吉田都 指導・モデル. 新書館, 2011.6
  • 『バレリーナ踊り続ける理由』河出書房新社, 2016.11 のち文庫
  • 『吉田都 永遠のプリンシパル』河出書房新社, 2019.8

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 1995年以前には米国のバレエ団への移籍を考えていたが、バーミンガムの監督だったP・ライトに本家ロイヤルを勧められたという[6]
  2. ^ 日本人ではバイオリニストの二村英仁に次いで2人目。

出典 編集

  1. ^ 「こころの玉手箱(2)」 日本経済新聞 2008年2月26日夕刊
  2. ^ 『全国舞踊コンクール50年史』 (東京新聞社、1994年)p.101。同書によると吉田は同コンクールで1979年に入賞(このときの部門名は「バレエ第2部」)、1980年 第2位、1981年 第1位であり、3年目にしての優勝だった(pp.97-101)。
    なお 『MIYAKO 英国ロイヤルバレエ団の至宝・吉田都の軌跡』 (文藝春秋、2006年 ISBN 9784163577203) および 『バレエのプリンセス 吉田都の世界』 (新書館、1997年 ISBN 4-403-32003-1)では誤って「1980年 第1位」と記載されていた。
  3. ^ 前掲 『…吉田都の世界』、p.53。
  4. ^ 「特報 第11回ローザンヌ賞」 The TES Graphic 1983 Vol.7-1 〔通巻42号〕、テス・カルチャーセンター、ISSN 0387-8368 p.26
  5. ^ 吉田都 『吉田都 一瞬の永遠』 世界文化社、2011年、ISBN 978-4-418-11502-0、p.92
  6. ^ "Miyako Yoshida & Kevin O'Hare", The Ballet Association, 14 April 2004.
  7. ^ 丸の内キャリア塾 No.76」 日本経済新聞東京版夕刊 特集広告、2008年10月21日(火)
  8. ^ "Royal Ballet Guest Principal announces her final performances with the Company", Royal Opera House
  9. ^ 2011年公演ラインナップ」、日本舞台芸術振興会
  10. ^ “会長、理事長、芸術監督および次期芸術監督予定者について” (日本語). 新国立劇場. http://www.nntt.jac.go.jp/release/detail/23_012652.html 2018年7月6日閲覧。 
  11. ^ 水沼啓子 (2019年9月25日). “吉田都、バレエ人生の集大成 引退公演 NHK・BS放送”. 産経新聞. 産業経済新聞社. 2021年1月3日閲覧。
  12. ^ 渡辺志帆 (2020年9月2日). “【吉田都】新国立劇場の芸術監督に就任、コロナ禍で自分に言い聞かせた言葉”. 朝日新聞グローブ. 朝日新聞社. 2021年1月3日閲覧。
  13. ^ a b c d e f g 人物 - 吉田都”. バレエアーカイブ - 昭和音楽大学. 2023年7月3日閲覧。
  14. ^ "Richard Sherrington Award for Best Female Dancer for the year 2006", Critics' Circle
  15. ^ バレリーナ吉田都氏特別客員教授就任」、神戸女学院大学
  16. ^ 洋画の奥谷博氏ら5氏に文化勲章 文化功労者にコシノジュンコ氏ら 産経ニュース、2017年10月24日閲覧。
  17. ^ バレリーナ・吉田 都、ラストステージまでの軌跡”. NHK (2020年11月16日). 2021年6月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年6月26日閲覧。
  18. ^ 吉田都×宇佐見りん”. NHK (2021年6月19日). 2021年6月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年6月25日閲覧。
  19. ^ NHKアカデミア 吉田都 "揺るぎない知性"との出会い”. NHK (2022年8月30日). 2022年9月2日閲覧。

著書 編集

評伝 編集

  • ビル・クーパー (Bill Cooper) 『MIYAKO 英国ロイヤルバレエ団の至宝・吉田都の軌跡』 文藝春秋、2001年、ISBN 4163577203
  • くりた陸『Miyako バレリーナ吉田都ものがたり』新書館、2010年、ISBN 978-4-403-33043-8

関連項目 編集

外部リンク 編集