吏部(りぶ)は六部の一。文官の任免・評定・異動などの人事を担当した。

後漢のときに吏曹が設置され、尚書常侍曹と改められた。魏晋南北朝時代より吏部と称され、五代十国では尚書省のもとで六部の首位に置かれた。

長官として尚書中国語版吏部尚書)が、次官として侍郎吏部侍郎)が2人置かれた。隋唐期には吏部の下に吏部中国語版司封(しほう)中国語版司勲(しくん)中国語版考功(こうこう)中国語版の4司が置かれ[1]、各曹の長にはそれぞれ判官である郎中(ろうじゅう)員外郎(いんがいろう)中国語版が据えられた[2]

唐の初期には科挙を主管したが、玄宗開元24年(736年)からは礼部が主管した。唐の中期に至り尚書省の権限が他の機関に侵されるようになると、吏部の役人の任免権も低下していった。司列、天官、文部と改称されたこともあるが、やがて吏部に戻された。

日本の律令制においては、式部省唐名

脚注 編集

  1. ^ 『隋書』百官志下。『旧唐書』職官志2、『新唐書』百官志1。
  2. ^ 『旧唐書』職官志2、『新唐書』百官志1。

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