和久井秀俊

日本のサッカー選手

和久井 秀俊(わくい ひでとし、1983年2月12日 - )は、栃木県出身の元サッカー選手。ポジションはMF。出身地である栃木県の観光大使「とちぎ未来大使」を務める。

和久井 秀俊
名前
愛称 トシ
カタカナ ワクイ ヒデトシ
ラテン文字 WAKUI Hidetoshi
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1983-02-12) 1983年2月12日(41歳)
出身地 栃木県
身長 173cm
体重 65kg
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2001-2002 ブラジルの旗 サント・アンドレ 0 (0)
2002-2003 ブラジルの旗 アトレチコ・ジャレゼンセ 0 (0)
2003-2004 日本の旗 アルビレックス新潟 0 (0)
2004 シンガポールの旗 アルビレックス新潟S (loan) 26 (4)
2004-2005 シンガポールの旗 アルビレックス新潟S 26 (5)
2005-2007 スロベニアの旗 リュブリャナ 39 (6)
2007-2008 オーストリアの旗 バッド・オウセー 15 (1)
2008-2009 スロベニアの旗 ゴリツァ 10 (0)
2009-2010 チェコの旗 ボヘミアンズ・プラハ 11 (0)
2010 ベラルーシの旗 ミンスク 2 (0)
2011-2016 エストニアの旗 ノーメ・カリュ 176 (67)
2017 フィンランドの旗 IFグニスタン 11 (0)
2018 エストニアの旗 タリナ・カレフ 31 (9)
2019-2020 フィンランドの旗 IFグニスタン 42 (6)
1. 国内リーグ戦に限る。2021年11月24日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

また、ブログTwitterfacebookといったソーシャルメディアを活用してファンとの直接のコミュニケーションを大事にすることから、ファンから『ソーシャルアスリート』と呼ばれている。日本人プロサッカー選手として最長の、海外キャリア20年を持つ。

来歴 編集

学生時代 編集

小学4年の時に、サッカーを始める。

当時Jリーグを退団したばかりの根岸誠一がコーチを務めるクラブチームにてサッカーの魅力に取りつかれる。

入学した中学校には、サッカー部が無かったため野球部に所属する。どうしてもサッカーをやりたかったため、中学2年時に生徒会長になり、サッカー部を創設した。

入学した当時の鹿沼東高校時代は、サッカー部に専属の顧問がいなかったため、選手でありながら自ら練習内容を考え技術向上をし、栃木県選抜まで上り詰める。

ブラジル時代 編集

2001年栃木県立鹿沼東高等学校の卒業が確定してから、卒業式を待たずにブラジルに単身渡航[1]

アルバイトで貯めた2ヵ月分の生活費だけを持ってブラジルに渡る。現地では、サッカーが下手な人のことを日本人と呼ぶほど日本人のサッカーのレベルが低いと見られていた。

2001年5月、サント・アンドレとプロ契約の夢を掴む。

ブラジルでは、試合に勝ったらお金をもらうという生活であり、過酷な生活環境の中でサッカーの技術向上に努めた。

2002年からは3部のアトレチコ・ジャレゼンセに所属。

日本への帰国 - 再び海外移籍 編集

ブラジルでの活躍がきっかけとなり、アルビレックス新潟へ逆輸入選手として帰国。

しかし、怪我の影響により出場機会を得られぬまま、アルビレックス新潟シンガポールに移籍することになる。

アルビレックス新潟シンガポール時代 編集

創設したばかりの当時のアルビレックス新潟シンガポールには、後々カナダ代表として活躍する中島ファラン一生や、シンガポールリーグ史上初の4連覇を達成させた新井健二などが所属していた。

欧州海外リーグ時代 編集

スロベニアNKインテルブロック・リュブリャナでは2005-06シーズンにチームの1部昇格に貢献、2006-07シーズンでは1部残留プレーオフでゴールをマークするなど活躍。2007年7月にオーストリア2部リーグのバッド・オウセーに移籍。2008-09年はスロベニア1部のNDゴリツァ、2009-10シーズンはチェコ1部のボヘミアンズ・プラハでプレーし、2010年9月からベラルーシ・プレミアリーグのFCミンスクに移籍した(この移籍により日本を含めアジア人初のベラルーシサッカーリーグ所属選手となった)。

ノーメ・カリュ 編集

2011年3月、エストニア・マイスターリーグノーメ・カリュFCに完全移籍。2011年3月、エストニア・マイスターリーグ月間ベストイレブンに選出され、エストニアのサッカー情報誌にて、今期の注目選手6名のうちの1人に選ばれた。2011年4月、6月、8月とベストイレブンに選出された。2011年は、所属するノーメ・カリュFCを主力として戦い抜き、シリーズ準優勝へと導いた。自身もシーズンにおけるベストイレブン及び、ベストMFに選出された。

2011年6月30日のFCホンカ戦でUEFAヨーロッパリーグ初出場、2012年7月5日のFKハザル・レンコラン戦でヨーロッパリーグ初得点を記録した。2013年7月17日にはHJKヘルシンキ戦でUEFAチャンピオンズリーグに初出場した。

2012年にはノーメ・カリュFCエストニア・マイスターリーグ優勝に貢献した。個人としても、2年連続でシーズンにおけるベストイレブン及び、ベストMFに選出された。また、シーズンMVP投票でも2年連続で2位となった[2]。この結果、欧州1部リーグと2部リーグの両方で優勝と降格を経験した日本人選手となった。2005-06シーズンにスロベニア2部で優勝、2007-08シーズンにオーストリア2部で降格、2009-10シーズンにチェコ1部で降格を経験している。降格はいずれもリーグ最下位での降格である。

2011年に加入してから2013年までの3シーズンでリーグ戦通算100試合32得点の成績を残した[3]。2014年7月14日、タルトゥJKタメカ戦でハットトリックを達成した[4][5]。9月27日、FCフローラ・タリン戦でシーズン18ゴール目を決め、エストニア・マイスターリーグの通算ゴール数を50とした[6]。4シーズン連続でベスト11を受賞した[7]。2014シーズンに記録した21得点は、日本人の欧州最多得点記録である[8]。2015シーズンは9月29日のエストニア・カップの試合で負傷し、残りのリーグ戦を欠場することになったが[9]、4シーズン連続の2桁得点となる11ゴールを記録した。

2016年11月、ノーメ・カリュ退団が発表された[10]。ノーメ・カリュではリーグ戦通算176試合67得点の成績を残した[11][12][注 1]

2017年8月、フィンランド2部IFグニスタン加入が発表された[11][12]

2021年11月をもって現役を引退したことを自身のブログにて発表。

エピソード 編集

  • 2013年11月10日に行われた最終節で、試合会場へ移動中にバスがパンクするアクシデントが発生した。試合開始時間に遅れると不戦敗になる中、その場でスタメンを発表し、スタメン11人と監督が会場に向かっていたサポーターの車に分乗して移動し事なきを得た。この件に関するUEFA公式サイトの記事でコメントが紹介された[13][14]
  • 2013年、合同トライアウト「World Soccer Challenge Selection」を開催する[15][16]。2013年のトライアウトでは橋本早十チョンブリーFCと契約した[17]

所属クラブ 編集

個人成績 編集

国内大会 編集

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
2001-02 サント・アンドレ 2部
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
2002-03 アトレチコ・ジャレゼンセ 3部
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2003 新潟 34 J2 0 0 - 0 0 0 0
シンガポール リーグ戦 リーグ杯シンガポール杯 期間通算
2004 新潟S 7 Sリーグ 26 4 1 1 - 27 5
2005 24 26 5 3 0 - 29 5
スロベニア リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2005-06 ファクター 10 2部 13 2
2006-07 ファクター/インターブロック 10/31 1部 26 4
オーストリア リーグ戦 リーグ杯オーストリア杯 期間通算
2007-08 バッド・オウセー 10 2部 15 1
スロベニア リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2008-09 NDゴリツァ 1部 10 0
チェコ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2009-10 ボヘミアンズ・プラハ 25 1部 11 0
ベラルーシ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2010 FCミンスク 23 プレミア 2 0
エストニア リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2011 ノーメ・カリュ 75 1部 35 7 2 0 37 7
2012 35 10 3 0 38 10
2013 30 15 4 0 34 15
2014 33 21 2 1 35 22
2015 28 11 5 0 33 11
2016 15 3 3 1 18 4
フィンランド リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2017 IFグニスタン 75 2部 11 0
エストニア リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2018 タリナ・カレフ 1部
通算 ブラジル 2部
ブラジル 3部
日本 J2 0 0 - 0 0 0 0
シンガポール Sリーグ 52 9 4 1 - 56 10
チェコ 1部 11 0 11 0
スロベニア 1部 36 4 36 4
スロベニア 2部 13 2 13 2
オーストリア 2部 15 1 15 1
ベラルーシ プレミア 2 0 2 0
エストニア 1部 176 67 19 2 195 69
フィンランド 2部 11 0
総通算 316 83 4 1 19 2 339 86
その他の公式戦

国際大会 編集

国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点 出場 得点
UEFAUEFA ELUEFA CL
2011-12 ノーメ・カリュFC 75 2 0 -
2012-13 2 1 -
2013-14 - 4 0
2013-14 2 0 -
2014-15 4 2 -
2015-16 4 1 -
2016-17 4 1 -
通算 UEFA 18 5 4 0

出典[18]

タイトル 編集

クラブ 編集

ノーメ・カリュFC
ファクターFC

個人 編集

  • エストニア・マイスターリーグにおけるシーズンベストイレブン (2) : 2011, 2012
  • エストニア・マイスターリーグにおけるシーズンベストMF (2) : 2011, 2012
  • エストニア・マイスターリーグにおけるシーズンMVP 次点 (Runner-up) (2) : 2011, 2012
  • エストニア・マイスターリーグにおける月間MVP (3) : 2011年8月, 2012年6月, 2013年3月
  • 2011年エストニア・マイスターリーグにおける月間ベストイレブン (5) : 2011年3月, 2011年4月, 2011年6月, 2011年8月, 2011年9月
  • エストニア・マイスターリーグにおけるシーズンベスト移籍(加入選手) 次点 (Runner-up) (1) : 2011

出典[20]

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ ノーメ・カリュが退団を伝えた記事では175試合67得点となっている[10]

出典 編集

  1. ^ “卒業式を待たずにブラジルに単身渡航。”. わくサカ. (2012年2月1日). オリジナルの2012年2月5日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20120205000456/http://www.wakusaka.com/2012/02/01/7656 2012年2月2日閲覧。 
  2. ^ オフィシャルブログ 2012年11月19日付けの記事より
  3. ^ Hidetoshi Wakui will continue in Nõmme Kalju”. Nõmme Kalju FC (2014年2月20日). 2017年8月20日閲覧。
  4. ^ Premium liiga liidrina jätkav Flora alistas Sillamäe Kalevi 1:0”. エストニアサッカー協会 (Eesti Jalgpalli Liit) (2014年7月14日). 2014年7月15日閲覧。
  5. ^ エストニアマイスターリーグ 第19節”. 和久井秀俊オフィシャルブログ (2014年7月15日). 2014年7月15日閲覧。
  6. ^ メモリアル通算50ゴール”. 和久井秀俊オフィシャルブログ (2014年9月29日). 2014年9月29日閲覧。
  7. ^ 4年連続ベスト11受賞”. 和久井秀俊オフィシャルブログ (2014年11月22日). 2014年11月23日閲覧。
  8. ^ 鈴木優磨、17得点は欧州日本人選手記録? 過去にはエストニアで21得点の選手もフットボールチャンネル(2021年4月7日)
  9. ^ 長期離脱のお知らせ”. 和久井秀俊オフィシャルブログ「海外サッカー選手のホンネ」 (2015年10月5日). 2015年10月16日閲覧。
  10. ^ a b Kalju otsustas kolme leegionäriga lepingut mitte pikendada”. Nõmme Kalju FC (2016年11月8日). 2017年8月19日閲覧。
  11. ^ a b Gnistan vahvistuu kokeneella keskikenttäpelaajalla”. Gnistan Edustus (2017年8月2日). 2017年8月19日閲覧。
  12. ^ a b 「欧州で20ゴール」のMF和久井秀俊、34歳で移籍!向かった先は北欧だ”. Qoly. コリー (2017年8月11日). 2017年8月19日閲覧。
  13. ^ ◆エストニアマイスターリーグ2013 第36節”. 和久井秀俊オフィシャルブログ (2013年11月10日). 2013年11月17日閲覧。
  14. ^ サネッティが待望の復帰、幸運を呼べないラマ - ファンの支え:JKヌンメ・カリュ”. UEFA.com(jp) (2013年11月15日). 2013年12月11日閲覧。
  15. ^ World Soccer Challenge Selection 2013 in JAPAN”. 和久井秀俊オフィシャルブログ (2013年11月13日). 2013年12月27日閲覧。
  16. ^ 和久井所属のノーメ・カリュなど海外クラブ幹部を招待した合同トライアウトが開催”. サッカーキング (2013年12月2日). 2013年12月27日閲覧。
  17. ^ FCポルトなどポルトガルの3クラブを招待した合同トライアウトが5月開催”. サッカーキング (2014年4月1日). 2014年10月31日閲覧。
  18. ^ Hidetoshi Wakui”. UEFA.com. 2015年10月18日閲覧。(英語)
  19. ^ Evald Tipneri karika võitis Nõmme Kalju FC”. Eesti Jalgpalli Liit (2015年5月30日). 2015年7月18日閲覧。(エストニア語)
  20. ^ 和久井秀俊オフィシャルブログより

関連項目 編集

外部リンク 編集