固定観念(こていかんねん)は、固着観念(こちゃくかんねん)ともいい、ある人が自らの心中に潜在している「主観」「物事について抱いているイメージ」に囚われており、考え方が凝り固まっている状態。状況が違っても考え方を変えず、他者の意見に耳を貸さない頑固な考え・その意識のこと[1][2][3]

使う者がかなりいるが、「固定概念」は辞書にもない誤用[1][2]。そもそも「概念」は客観的事実や辞書的意味を表し、主観を意味する「観念」とは対義的な語である[2]。固定観念は「個人の思い込み」という主観的であり、逆に既成概念は「社会の思い込み」という客観的である[4]

概要 編集

『広辞苑』第3版では、絶えず行動を決定するように支配している観念だが、強迫観念のように病的なものではない[5]。1988年の『大辞林』では、他人の意見や、周囲の状況に応じて変化しない、行動を決めているような観念[5]

何かの思い込みがあるとき、慣用的に「固定観念にとらわれる」と言い表すことがある。例えば、「鳥は飛ぶものである」という考えは、多くの人が持つ思いこみであるが、固定観念ではない。鳥であっても飛ぶことのない例、たとえば、ペンギンダチョウを示されると、一般に人は思い込みから脱して、「飛ばない鳥もいる」という考えになる。ペンギンやダチョウの例を出して説明してもなお、色々な理屈を述べたりして、「鳥は飛ぶ」という観念や自己の主張をどうしても変えない場合には、固定観念となっている。

固定観念は人の経験や得てきた知識から形成され、思考の基盤にはなるが自由な発想を制限する[6]。まだ考えるための時間の余裕はあるのに、固定観念の枠にはまってしまうと、固定観念の枠の中で堂々巡りし行き詰まり状態になることがある[6]。偏った情報が蓄積されることで固定観念が形成されることもある[7]

似ている言葉 編集

既成概念では、社会に広まっている概念、考え方となる。「既成概念や固定観念にとらわれない」のように続けて用いられることもある[8]

固定観念と混同され易いものに、ステレオタイプな考えがある。ステレオタイプは元々、判で押したような考え方や類別を意味し、多くの人が同じものを共有している状態を表す。単純で底が浅く個性に欠けるのを特徴とし、タブロイド思考の一種ともいえる。ステレオタイプが多くの人に受け入れられるのは、物事を単純化類型化するため、複雑な思考の努力や反省が不要で、流行などに乗って安易に受け入れが可能となるからである。多くの人にとって、吟味作業や反省は負担が大きく、一旦受け入れたステレオタイプを考え直すということが困難となり、固定観念化しやすい。

人は未知なことやよく知らないことについて、実証的な根拠に乏しい思い込み・先入観を持っていることも多い。先入観は一旦持つと改めにくいものであるため、固定観念の様相を帯びるが、これも厳密には別の概念である。

固定観念からの脱却 編集

固定観念による堂々巡りを脱して自由に発想するためには、他者と共に考えたり発散的思考法が使われる[6]。そうした方法としてブレインストーミングは多用されており、自分になかった視点、自分が気づいていなかった視点に対する気づきを得て、固定観念から脱却することができる[6]

ブレインストーミングをする際にも、誰かが支配的となってしまうことを防ぐために発言数の偏りを調整する調整役が必要で、そうしないと固定観念が参加者全員に拡大されていく危険性がある[6]。集団であれ一人であれ固定観念に縛られるものであり、扇風機の改良について意見を集めてから、羽の改良に意見が多かった場合、これが固定観念であり、次回は別の部分の意見を求めるといった方法で、強制的に盲点について考えることができる[6]

「この物質は酸性」だと常識的に思い込んでいるようでは、新規化合物の開発につながらないということもある[9]

教育的な固定観念 編集

2014年には日本の政府や文部科学省が、教育のIT化を進めていくことを決定しているが、紙と鉛筆が重要だと教師が固定観念を持っている場合もある[10]。日本では、意思疎通のために英語を使わず、多くの教育者が「英語教育は読んで訳すものだ」という固定観念に縛られており、意思疎通できない英語を教えていると批判され、学習者が英語を楽しく学ぶことができないとも言われる[11]。教育を「教える」「教わる」の固定観念で考えず、「学ぶ」という主体性のある行動から考え直すこともできる[12]。教師が教えているふりをし、生徒が学ぶふりをしているだけでは形式的であり、相互の演技となってしまう[12]

出典 編集

  1. ^ a b 【固定概念】は実は誤用!? 正しい表現や意味、使い方とは”. Domani (2023年5月5日). 2023年11月15日閲覧。
  2. ^ a b c 【固定観念】の意味や類語を解説!「固定概念」とはどう違う?”. Domani (2023年2月11日). 2023年11月15日閲覧。
  3. ^ https://kotobank.jp/word/%E5%9B%BA%E5%AE%9A%E8%A6%B3%E5%BF%B5-502738
  4. ^ https://wagokan.or.jp/cms/wp-content/uploads/be0295051a72a4d9f212d21763fe1ff2.pdf
  5. ^ a b 三好保「固定観念の意味するもの」『民族衛生』第60巻第6号、1994年、295-296頁、doi:10.3861/jshhe.60.295 
  6. ^ a b c d e f 長谷部礼、西本一志「思考者の盲点を発見し活用する発散的思考技法」『研究報告グループウェアとネットワークサービス』第2015巻第8号、2015年3月5日、1-7頁。 
  7. ^ 吉永敦征、畔津忠博、金恵媛「ICTを活用した多主体間の長寿文化共有のためのシステム構築」『山口県立大学学術情報』第9巻、2016年3月31日、57-60頁。 
  8. ^ 既成概念・固定観念にとらわれない新しい材料加工の世界を求めて」『精密工学会誌』第81巻第11号、2015年、1013-1014頁、doi:10.2493/jjspe.81.1013 
  9. ^ 雑村史高「固定観念から外れる一歩」『ネットワークポリマー』第25巻第1号、合成樹脂工業協会、2004年、56-56頁、doi:10.11364/networkpolymer1996.25.56ISSN 2186-537XNAID 130003389731 
  10. ^ 中村好則「学習指導要領とその解説及び教科書から見る中学校数学指導におけるICT 活用の方向性」『岩手大学教育学部附属教育実践総合センター研究紀要』第15号、岩手大学教育学部附属教育実践総合センター、2016年3月、69-78頁、doi:10.15113/00014110ISSN 1347-2216NAID 120005956012 
  11. ^ 上松一「自由の発露としての英語学習」『21世紀教育フォーラム』第1号、弘前大学21世紀教育センター、2006年3月、17-33頁、NAID 110004652960 
  12. ^ a b 佐々木英和「「教える-学ぶ」関係についての理論的考察 : 「教える-教わる」関係から「生きる-学ぶ」関係ヘ」『宇都宮大学教育学部教育実践総合センター紀要』第28号、宇都宮大学、2005年4月、341-350頁、ISSN 13452495NAID 110004633135 

関連項目 編集