孟山郡

北朝鮮、平安南道にある県

孟山郡(メンサンぐん)は、朝鮮民主主義人民共和国平安南道に属する

平安南道 孟山郡
位置
各種表記
チョソングル: 맹산군
漢字: 孟山郡
日本語読み仮名: もうざんぐん
片仮名転写: メンサン=グン
ローマ字転写 (MR): Maengsan kun
統計(2008年
面積: 723.13 km2
総人口: 48,155 人
人口密度: 66.59 人/km2
行政
国: 朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国
上位自治体: 平安南道
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地理 編集

隣接行政区 編集

行政区域 編集

1邑・24里を管轄する。

  • 孟山邑(メンサヌプ)
  • 広和里(クァンファリ)
  • 岐陽里(キヤンニ)
  • 大興里(テフンニ)
  • 嶺雲里(リョンウンニ)
  • 龍巌里(リョンアムニ)
  • 梅香里(メヒャンニ)
  • セマウル里(セマウルリ)
  • 松広里(ソングァンニ)
  • 松山里(ソンサンニ)
  • 水田里(スジョンニ)
  • 柴億里(シオンニ)
  • 新上里(シンサンニ)
  • 新興里(シヌンニ)
  • 羊山里(ヤンサンニ)
  • 遊勝里(ユスンニ)
  • 隠浦里(ウンポリ)
  • 仁興里(イヌンニ)
  • 長洞里(チャンドンニ)
  • 貞坪里(チョンピョンニ)
  • 朱浦里(チュポリ)
  • 中興里(チュンフンニ)
  • 智城里(チソンニ)
  • 坪地里(ピョンジリ)
  • 豊林里(プンニムニ)

歴史 編集

前近代 編集

高句麗時代には、浿水県・鉄甕城・鉄城鎮などの名称で呼ばれた。高麗初期には鉄翁県となり、1019年に孟州となった。その後、殷州安州の行政区画に編入される時期を経て、1390年に孟州県が設置された。1414年には徳川郡と合わせて孟徳県となったが、翌1415年に徳川郡と分離され、孟山県が設置された。

近代 編集

1895年に孟山郡となり、1896年に平安南道所属となった。

1945年8月15日の時点で、孟山郡には8面(孟山面、元南面、東面、智徳面、藹田面、封仁面、鶴川面、玉泉面)が存在した。

第二次世界大戦後 編集

1952年12月、玉泉面・封仁面・鶴川面が分割されて北倉郡となり、孟山面・元南面・東面・智徳面・藹田面に咸鏡南道永興郡横川面の一部が統合され、孟山郡が再編された(1邑26里)。

年表 編集

この節の出典[1]

  • 1895年 - 孟山県から平壌府孟山郡となる(二十三府制)。
  • 1896年 - 平安南道孟山郡となる(十三道制)。
  • 1908年 - 順川郡の一部(雷封面・仁和面・鶴川面・玉井面・鉱泉面)が孟山郡に編入。
  • 1914年4月1日 - 郡面併合により、平安南道孟山郡に以下の面が成立。(8面)
    • 郡内面・東面・元南面・智徳面・藹田面・封仁面・鶴川面・玉泉面
  • 1929年 - 郡内面が孟山面に改称。(8面)
  • 1952年12月 - 郡面里統廃合により、平安南道孟山郡孟山面・東面・智徳面・藹田面・元南面、咸鏡南道永興郡横川面の一部地域をもって、平安南道孟山郡を設置。孟山郡に以下の邑・里が成立。(1邑26里)
    • 孟山邑・大興里・中興里・郷校里・長洞里・松広里・梅香里・貞坪里・水田里・新上里・朱浦里・岐陽里・仁興里・柴億里・坪地里・牧場里・放牧里・智城里・新興里・龍巌里・松山里・広和里・隠浦里・長峴里・豊林里・遊勝里・嶺雲里
  • 1953年12月 (1邑26里)
    • 仁興里の一部が柴億里に編入。
    • 牧場里の一部が中興里に編入。
    • 遊勝里の一部が嶺雲里に編入。
    • 長峴里の一部が遊勝里に編入。
  • 1967年10月 (1邑24里)
    • 放牧里・牧場里が合併し、羊山里が発足。
    • 長峴里が隠浦里・遊勝里に分割編入。
  • 1981年10月 - 郷校里がセマウル里に改称。(1邑24里)

脚注 編集

外部リンク 編集